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 施設の仕事も、今年で二年目に入る。他のボランティアと同様に、バイト感覚で仕事に励む毎日だが、将来は正式に臨床心理士として病院で働きたいと思い始めていた。

 今の智紀の現状には、そんな背景があった。

「でも、そんな仕事をしていても、夜家に帰って思うのは、和樹のことばかりなんだ。
 仕事中は、目の前の患者に真摯になって働きかけていても、一人になると、和樹の笑った顔や怒った顔や、可愛い和樹が目の前にちらついて。
 四年間、忘れたことはなかった。もう一度、この腕に抱きしめたい。和樹に、俺を求めて欲しい。キスをして、それ以上のこともいっぱいして。
 気持ち良いって思ってもらえたら嬉しいし、俺も幸せになれると思うから」

 智紀が目指している仕事は、時には自分を押し殺しても相手を包み込んで守ってあげられるだけの包容力が要求される。もしくは、優しく突き放してあげる勇気も要求されてくる。
 それだけの、心の余裕が必要なのだ。

 自分の心の中を振り返って、もう二度と会えない弟にその大部分を占められていることに気づく。
 そんな、自分は望まない余裕のない自分が嫌で、しばらく眠れない夜を過ごしたこともあったのだ。和樹と出会ったことすら、後悔したこともあったのだ。

「今は、和樹に再会したことを、素直に喜んでる。
 でも、和樹が元気になったら、また別れなきゃいけない。それが、辛いんだ。
 和樹と一緒にいるから、他の子のことも考えてあげられる。そんな余裕が自分の中にある。
 でも、きっと、和樹と離れ離れになれば、またそうやって悩むんだろうな、って思う。それに、きっと、和樹も泣かせてしまうんだろうね。
 そんな将来が目に浮かぶようで、俺は辛い。今がずっと続けば良い。そんな風に思ってしまう。
 身勝手なのはわかってるのに」

 今までずっと心の中にしまって耐えてきた、本当の自分の気持ちを、智紀は吐き出すように語り続ける。

 そんな兄の言葉を、和樹は黙って聞いていた。
 智紀の気持ちが痛いほど伝わって、その思いをまるで共有しているかのように、はらはらと涙を流す。ギアやサイドブレーキをまたいで、兄の左腕に抱きついた。

 抱きつかれて、和樹が泣いていることに気づいた智紀は、そんな弟を抱きしめ返し、その頭に頬擦りをする。

「ごめんな。泣かせちゃって」

 ふるふる。謝る兄に、和樹は大きく首を振った。そうして、智紀を強く抱きしめる。
 その仕草は、今まで兄がしてくれていたのを真似るように、まるで包み込むような抱擁だった。

「兄ちゃん。好き」

 智紀を抱きしめて、きっと慰めたい気持ちでいっぱいなのだ。
 でも、たくさんの言葉を作るには、和樹にはまだそこまでの力はなくて、そんな言葉が精一杯で。

 短いその言葉に、智紀は胸を熱くした。
 和樹の深い気持ちが、凝縮されていた。好き、だけの気持ちではなかった。智紀が和樹に対して、守ってあげたい、助けてあげたい、そう思うように、和樹もそう思っていたのだ。
 出来る限りの精一杯の力で、兄を助けたい。大人としての苦労も背負ってくれる恋人を、守りたい。まだ無力な子供だからこそ、出来る限りで。

 気持ちが伝わるから、智紀は深く頭を下げる。

「ありがとう」

 思わぬ礼を言われて、和樹は驚いて兄を見返し、それから首を振った。

 いつもいろいろと気を遣ってもらっている。それを、少しでも返したい。そう思うから、湧いてくる気持ちだった。
 恋人だというのなら、対等な立場に立ちたいから。少しでも力になりたいから。
 そして、自分に弱さを見せてくれた、その兄の気持ちが嬉しくて。

 だから、礼など言わなくても良いのだ。
 そう言いたいのに、言葉が作れなくて、ただ首を振る。抱きしめられて、抱きしめ返す。
 そのくらいしか、今の和樹には出来ない。自分がとてももどかしい。そして、悔しかった。

 すがり付いて、自分で涙を拭って、自分から智紀の唇にキスをする。
 とはいっても、そのやり方など知らないから、唇をくっつけるくらいしか出来ない。
 そっと舐めると、その舌を迎え入れられた。いつのまにか、貪るようなディープキスに変わる。
 頭の奥が麻痺していくような感覚に、少し恐くなって、兄の首に腕を回し、すがりつく。智紀にもしっかり抱き寄せられて、すべてを任せている安心感に、今まで以上の幸せを感じた。
 そっと目を開けると、目の前の兄は、少し苦しそうな顔をしていた。

「ごめん。止められない」

 名残惜しそうに啄ばむようなキスを繰り返しながら唇を離して、智紀が耳元に囁く。
 その声は、本当に苦しそうだった。和樹の頬や首筋に唇を寄せ、また、唇に貪りつく。
 まるで、堰が切れたような様子に、それでも和樹は嫌がることがなかった。
 自分から智紀の舌を迎え入れ、智紀がしたいように身を任せて、嬉しそうに微笑む。

 背後を走り抜けていく車の音で、はっと我に返った智紀は、ゆっくり目を開ける和樹が嬉しそうに微笑んでいるのに、またも泣きそうな顔をした。

「こんな兄ちゃんで、ごめんな」

「兄ちゃん?」

 どうして謝るの?と和樹は不思議そうな顔で兄を見返した。
 自分はそんな様子の兄が嬉しくて仕方がないのに、その気持ちが智紀には伝わらない。
 身体で表現しようにも、どうしたら良いのかわからないのだ。

「兄ちゃん」

 甘えた声で兄を呼び、その頬にキスをする。
 頭をグリグリ撫でられて、無邪気に笑った。その和樹の笑みに、智紀もやっと笑顔を見せる。

「さ、帰ろうか」

「うん」

 座り直し、再びハンドルに手をかける兄に、和樹も頷いて助手席に座り直す。

 車は再び車道へ戻ると、ふもとを目指して走り出した。





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