20
晴れたおかげもあるのだろう。鍾乳洞は想像していたよりも大盛況で、智紀は少し後悔する。さすがにこの人数は、和樹には辛いかもしれない。
だが、和樹の方は、特に気にした様子もなかった。上着を抱え、兄と手をつないで、人のいる方へ躊躇することなく歩いていく。
「人がたくさんいるけど、大丈夫か?」
「うん」
ぜんぜん平気、という態度で、和樹は大きく頷いた。そして、兄を見上げる。困ったような表情の兄に、反対に不思議そうだ。
そんな和樹の態度に、智紀はふと自分を振り返り、軽く反省する。
両親に甘やかしすぎだと注意しておきながら、自分も和樹を甘やかそうとしていた。
先週までは、病院へ行くのにも、祖母に手を引かれてバスで通っていたのだから、この程度の人数はどうってことはないはずだった。すっかり失念していたが。
「ごめん。俺も、甘やかしすぎだったな」
首を振って、否定する。そんな和樹の頭を、智紀はグリグリと撫でた。
この一週間、ことあるごとにそうしていたので、和樹も慣れたらしい。嬉しそうにきゃっきゃっとはしゃいだ。
「行くか」
声をかけて、歩き出す。和樹もその手につかまったまま、遅れないようについて来た。
入場料を払って、順路に従って洞窟の自然な石段を下りていく。
一歩一歩進むに従って、気温がどんどん下がっていく。
入る前に上着を着ておいて、正解だった。これは、上着があっても寒い。
それに、電灯がついているにもかかわらず、薄暗かった。
なんでも、コケの繁殖を防ぐためなのだという。一定以上明るい場所では、これだけ湿気が多いこともあり、コケが発生するのだそうだ。
せっかくの自然の芸術を、コケで台無しにするのはもったいないので仕方がないが、それにしても薄暗い。
「足元、気をつけろよ」
「うん」
その返事が少し遠くから聞こえてきて、智紀は来た道を振り返る。
和樹は慎重すぎるくらい慎重に、石段を下りてきていた。
そう言っても、後ろから追いつかれるほどではないので、智紀が早かったのだろう。
しばらく待ってようやく降りてきた和樹に手を差し出す。
置いていかれてしまった和樹の心細さが、それだけのことですっと消え失せた。兄の手を取り、横に並ぶ。
この鍾乳洞を訪れるのは、智紀は実に十年ぶりだ。
入り口が屈まなければならないほど狭い割りに、案外大きな鍾乳洞で、改めて驚いた。
こんなに都心に近い場所で、自然は人間の営みと関係なく、ゆっくりと動いている。
鍾乳石にこんなに見入ったのは初めてだった。
入り口はただの洞窟のようだが、ある程度進むと、ごつごつしていた岩がつるつるに磨かれた石に変わる。
薄ぼんやりとした明かりを頼りに、順路に従って進みながら、時折名前をつけられた芸術的な石に出会い、じっくり眺める。水と岩が作り出す、幻想風景だ。
「すげぇな。ここまでくるのに、何年かかるんだろう」
何百年、何千年の月日が作り上げる芸術だ。そんな風に感動する兄に、和樹も隣で感心している。
それから、しばらくして飽きて、次へ行こう、と兄の腕を引っ張った。
大きいとはいえ、その大きさはたかが知れている。
あっという間に、洞窟の外へ出た。本来はもっと深いのだが、人が観光で入れる距離はせいぜいこのくらいだ。
洞窟を出ると、途端に周囲の気温が上昇する。身体が冷えているので、丁度良いくらいだ。
時計を見ると、丁度昼の一時を回ったところだった。
日は頂点より少し傾き、日差しが狭い駐車場に集まった車を熱している。
「腹減ったな。飯、食いに行こうか」
「うん」
無邪気な様子で、和樹が大きく頷く。
どうも、和樹の頭の位置は智紀にとって弄りやすい位置にあるらしく、その頭に手を乗せて、髪をぐしゃぐしゃかき回した。
癖になりにくいその髪は、手を放せばするりと元に戻る。便利だ。
ここから近くておいしい店は、と頭の中のナビで検索する。
「ラーメンで良いか?」
最近のラーメンブームで、全国各地でおいしいラーメン屋さんが増えている。
このあたりでも例外ではない。
こんな山の中に、と思うようなところに、行列のできる店ができているのだから、日本人のラーメン好きはすごいと思う。
行列のできる、とはいかないらしいが、青梅にうまいラーメン屋があるとバイト先のオーナーに教えてもらったことがあった。
丁度これから行けば、昼時の最終に滑り込める時間だ。
和樹が頷いたので、そういうことになった。
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