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 その夜。

 和樹は兄の手を決して離そうとはしなかった。
 ぎゅっと握り締めたまま、それでは動きにくいだろうに、どこへ行くにも何をするにも、兄を連れて行くし兄の用事にはついて来る。
 風呂には一緒に入り、トイレもその前までは一緒に行って、その隙に兄がいなくなろうものなら大声で泣き出す始末だ。
 おかげで、和樹がトイレに行ったのを見計らって小言を言う両親が、おろおろと和樹に走りより、反対に嫌がられてしまっている。

 そんな様子を、祖母だけが楽しそうに笑って見ていた。
 傍観者の立場では、和樹の行動は面白いくらいに微笑ましい。
 まるで幼稚園児の行動なのだ。大事なものは持ち歩く。誰にも渡さない。そんな小さなわがままが、可愛い。

 和樹が寝床に着いたのは、夜の十一時を回った頃だった。
 欧米風に額にキスをしてもらって、彼は幸せそうに眠りにつく。それを見届けて、智紀はそっと和樹の部屋を出た。

 居間では、夜のニュースをBGMに、両親が寛いでいた。
 すでに就寝したのだろう。祖母の姿はない。

「ちょっと、お話があります」

 智紀に声をかけられて、二人ははっとそちらを振り返った。
 智紀は、部屋の中央に鎮座する重い座卓に歩み寄り、そこに置かれたテレビのリモコンを手に取ると、電源スイッチを押す。
 途端に、部屋の中が静かになった。

 両親が座っている場所とは丁度向かいになる場所に席を取り、智紀は姿勢を正した。
 その表情は厳しい。だが、その話を聞く側も、智紀には良い感情を持っていない。自然と、部屋に重苦しい空気がのしかかる。

 先に口を開いたのは、父だ。

「何の用だ。和樹を連れまわしたことに対する謝罪なら聞くぞ」

「謝罪など、する気はありません。
 夕飯時間に間に合わなかったことに関しては、事前に電話で連絡を入れましたし、行き先も和樹を連れて行く理由もお話したはずです。
 渋滞にはまってしまったことも、不可抗力であると理解しています。後は、何を謝罪しろというのですか」

 両親の理不尽な怒りに、智紀ははじめて、真っ向から立ち向かった。
 今までは、そばに和樹がいたからこそ、黙ってそのお叱りを受けていた。
 だが、和樹が眠ってしまった今なら、智紀は智紀の言葉を話すことができる。

「そもそも、二人とも、和樹を甘やかしすぎです。現状を維持することしか考えてない。
 夕方にも言いましたけど、あいつは、もうすぐ十六歳ですよ。
 自分で考えられるし、良いことも悪いことも判断がつくし、今だって彼なりにできる範囲でいろいろと考えて行動している。
 言葉が使えない分、行動で示すしかないので、態度が子供っぽく見えるのかもしれませんが、頭の中はすでに普通の十六歳と変わらないくらいに回復しているんです。
 だから、いつまでも、ガキ扱いしないでください。少し心を鬼にして、あの子にいろいろな経験をさせてください。
 俺が構うようになってからまだ三日しかたたないというのに、意思表示もできなかった和樹が声まで出せるようになったのは、何故だと思うんですか?
 今まで抑制されていたのが、箍をはずしてもらえたせいでしょう。
 それだけの和樹の力を押し込めていたという事実を、認識してください。
 心身症の治療には、本人の努力と周りの協力が不可欠なんです。
 本人は、俺から見ても、本人にとって最大限の努力をしている。
 あなた方は、どんな努力をしていますか?
 和樹がああなってしまった原因の追究とか、今後の和樹の人生設計とか、その辺を手伝ってやれるのは、肉親しかいないんですよ」

 一息に語ったその話を、両親は口を挟むこともできずに、ただ呆然と聞いていた。
 本当にわかってるのかな、と智紀は不安になってしまう。それだけ、両親からの反応がない。
 智紀の偉そうな態度に怒って見せたり、言われたことにショックを受けて見せたりしてくれれば、智紀としても次のアクションを考えるきっかけになるのだが。

 これは、もしかして、両親のカウンセリングも必要か? そう感じて、智紀は眉をひそめるのだ。

 確かに、和樹ほどの重症患者を抱えれば、家族も精神的に疲れが出て当然である。
 それを否定するつもりは全くないし、家族のケアも治療の一環であると認識している。
 だが、智紀は、この両親のカウンセラーとしては不向きだ。
 カウンセリングには、お互いの信頼関係が何より不可欠である。両親と智紀の間にある深い溝は、その深さの分だけ大きな障害となる。

 和樹の主治医である藤堂医師に、相談するべき問題かもしれない。
 これ以上は、何も資格的権限のない智紀には、判断ができないことだ。

「良く考えてください」

 そう言い置いて、智紀は居間を後にする。残された両親は、ともに、身動きすらしなかった。





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