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 和樹の涙で濡れた顔を洗いに洗面所へ降りて行って、通り道にある玄関で母と祖母が話し合っている姿を見つけた。
 その視線の先には、彼女たちには見慣れないフランス車がある。

 それを見て、思わず天井を仰ぎ見る智紀である。
 和樹の泣き声に呼ばれて、帰宅の順番が狂ってしまった。

「その車、俺の。和樹の顔洗ったら移動するから、ちょっと待ってて」

 見慣れない車が自宅の玄関前に横付けされていれば、問題になって当然である。危うく警察に通報されるところであった。
 もらったとはいえ、名義はまだ友人になっているはずである。何かあったら、友人のところへ連絡が行ってしまう。
 今までも今回のことでも、いろいろと迷惑をかけた相手だ。こんなことでさらに問題を起こすわけには行かない。
 さすがにヤクザの恋人がいるだけのことはあって、本人も怒らせると恐いのだ。

 それにしても。その車、俺の、なんて言う日が来るとは。
 何故だか嬉しい気持ちになる智紀である。

 自分で顔を洗わせて、タオルを取る作業だけは手伝って、智紀は次に、和樹を伴って玄関を出た。

 母と祖母は、元々車に興味がないせいか、外車をこんなに近くから見る経験が生まれて初めてなようで、物珍しげにそれを眺めている。
 キーについているスイッチを押してオートロックを解除してみせると、おぉ〜などと歓声を上げた。
 それは、しかし、いくらなんでもやりすぎだろう。今時、新車で百万円そこそこのお買い得小型車でも、オートロック、キーレスエントリーは標準装備に近い。

 車から少し離れた場所で、それを前庭の隅に移動するのを見ていた和樹が、運転席を降りた智紀に走り寄っていった。
 腕にすがりつき、何故だか楽しそうに目を輝かせて車の中を覗き込む。さすがにそろそろ飽きた母と祖母が、家の中へ戻っていった。

「和樹も車好きか?」

 うん。問いかけられて、頷く。
 窓ガラスにべったり張り付くように中を覗き込んでいるので、智紀はそのドアを開けて運転席に彼を座らせてやった。

「なかなかだろ。俺なんかじゃ手も出ない高級車なんだけどな。貰い物なんだ」

 自慢するようにそうやって説明して、興味津々な様子でさまざまな機器類を眺めている和樹に、目を細める。

「そうだ。荷物を片付けたら、山の方までドライブに行こうか。新緑がキレイだぞ。幸い、今日は天気もいいし、最高のドライブ日和だ」

 その提案は、和樹も気に入ったらしい。
 非常に嬉しそうに表情をほころばせて、大きく頷いた。

 久しぶりに兄と半日一緒にいて、久しぶりに外の空気をめいっぱい吸って、軽快に流れていく景色にはしゃいで、車道のそばまでやってきた野生の鹿に喜んではしゃいで、疲れたらしい。
 ドライブから帰った和樹は、軽く背もたれを倒した助手席で、寝息を立てていた。

 出かけていた父が、タイヤが砂利を踏む音を聞きつけて家を出てくる。
 助手席で寝ている和樹に、心配そうに眉を寄せた。

「昨日の今日でいきなり和樹を連れ出して。何を考えているんだ」

「大丈夫ですよ。森のマイナスイオンでリフレッシュできたらしくて、始終はしゃいでましたから」

 早速咎める口調の父に、智紀は苦笑を返した。
 それから、助手席に回って、和樹をお姫様抱っこで抱き上げる。
 膝でドアを閉め、キーのボタンを押す。
 このあたり、キーレスエントリーは便利だ。応答のウインカーがチカ、と点滅した。

 車の背中をすっぽりと包み込むようなシートから不安定な人の腕に移動したことで、目が覚めたらしい。
 ん〜、と和樹が声を上げた。
 目を開けて、自分を抱き上げているのが兄であることに安心したらしい。また、目を閉じる。

 そんな仕草がいちいち愛らしくて、智紀は目を細めて笑った。

 智紀を傍から見ていた父には、その慈しみに満ちた表情がよほどショックだったのだろう。
 玄関の方へ進んでいく息子たちを、呆然と見送ってしまった。

 眠たがる弟を無理やり起こして、少しでも食事を取らせ、一人ではおぼれそうな風呂に一緒に入って汗を流し、ベッドに寝かしつけたのはまだ夜の八時を回った時刻だった。
 朝が早かったおかげもあって、智紀も大あくびをする。
 自分の部屋は未だに荷物でいっぱいなので、昨夜と同じように、仕舞い込んであった防虫剤臭い毛布に包まり、和樹のベッドの下に丸くなる。

 実際、智紀が弟を見る目は、どう取り繕ってみたところで、恋する男の目にしかならない。
 だが、今の智紀は、和樹に対してどうこうしようという気が起こらないのだ。
 時折、可愛い仕草や甘える態度に下半身を熱くすることもある。それは否定しない。
 しかし、そんな衝動が、直接実行に移されることはないことを、何となく自覚していた。

 それはおそらく、この相手が庇護の対象となっていることと、彼の心の傷を掘り起こしてしまう危険性を本能で察知しているせいだ。

 恋焦がれた相手である以前に、血の繋がった弟であり、心を病んでしまった、自分にとって初めての患者だ。
 彼を守りたい、助けたいと思う気持ちは、それだけ強いのだ。人間の四大欲求の一つである性衝動を押し殺してしまうほどに。





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