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 食事が終わった頃を見計らって居間に戻ると、和樹は腹が減っていたにも拘らず、よそってもらった飯や味噌汁、煮付けや玉子焼きなどを、ほとんど手を付けられないまま残していた。

 突然帰ってきた兄の姿が見えなくなったせいなのか、いつもほとんど食べないのか。
 両親や祖母はそんな和樹を見て、しかし無理に食べさせようとはせずに、放っておいている。
 取り皿に山のように盛られたそれは、彼を思う気持ちが伝わってくる。食べて欲しいのだろう。だが、どうやって食べさせたら良いものやら、彼らには頭痛の種だ。

 戻ってきてそんな状態を見た智紀は、一つ大きくため息をつく。

 和樹のそばに寄って行って、その頭をぐりぐりと撫でた。

「食わないと大きくなれないぞ」

 突然頭を撫でられて声をかけられて、驚いたらしい。和樹ははっと顔を上げ、兄を見上げた。
 それから、泣きそうな顔になる。

「どうした? 兄ちゃんがいないと不安か?」

 腹は減っているのだろう。茶碗と箸を手に持って、しかし、それを胃におさめようという動きがない。

 兄にそう問われて、和樹は一度自分の手元の茶碗を覗き込み、それを兄に差し出した。
 そばに腰を下ろした智紀が、その仕草に、一瞬だけ苦しそうな顔になる。

「俺はいいから。お前が食え。少し太らないと、体力続かないぞ。お前、軽すぎ」

 それは、食卓に兄の姿がないことが、ずっと一緒にいるわけではないらしいという判断に繋がって、不安を掻き立てられていたことを示すものだった。
 一緒に食べよう、もしくは、お兄ちゃんも食べて、という意思表示だ。
 この時間である。自分も家族も食事をしているところに兄がいないのは、どう見ても不自然だ。

 兄に拒否されて自分の手元に戻したそれを、和樹はもう一度見つめる。
 唇を噛み締め、悔しそうな表情で、親の敵でも見るように自分の茶碗を見つめていた。

 それから、何を思ったか、両手のものを父の方へ投げつけた。

 茶碗から飯が飛び散り、辺りに散らばる。父の膝に茶碗がひっくり返り、箸がその周りに二本、乾いた音を立てて落ちた。

「和樹っ」

 ぺち。

 和樹の突然の行動に、誰一人として動けない中、癇癪を起こして泣きかけた和樹に、叱りつけるように強く名を呼び、その頬を叩いたのは、隣に座った智紀だった。

 智紀に叱られたのが、ショックというよりも驚きだったのだろう。出かけた涙が引っ込み、目を見開いて兄を見返す。

 何故叱られたのか、わかっていないのだ。もしくは、この兄に叱られるとは思っていなかったのだろう。

 しばらくして、叩かれた頬の痛みに気づいてそこを手で押さえ、目に涙をためていく。
 声も出さずに泣き出したのに、智紀は自分を落ち着けるように深く息を吐き出すと、その和樹をそっと抱き寄せる。

「食べ物を投げちゃダメだろ。それに、人に向かって投げるのもダメ。和樹だって痛いのは嫌だろ?」

 言い諭すように和樹の耳元に囁いて、すがり付いて泣いている和樹の背を、幼い子供にするように、ぽんぽんと優しく叩く。

 和樹が泣き出したことで、ようやく動き出したのは、父であった。
 和樹と自分の間に散らばった飯粒を、拾っては茶碗に戻す。
 もうすっかり冷めていたそれは、手で掴んでも温い温度でしかなく、それだけの時間が経った証拠でもあった。

 やがて、祖母も立ち上がって飯粒を片付け始めた。
 母は、台所へ行って雑巾を取ってくる。

 片付けついでに、食事のしたくも片付け始めた。少し残っている煮物や炒め物を小皿に移していく。

 和樹のために用意した取り皿も片付けようとした母に、智紀は顔を上げた。

「母さん。それ、和樹に食べさせて」

 言われて、母はそれと和樹を見比べ、取りかけた手を下ろす。そうして、反対に台所に入っていくと、新しい茶碗と箸を持って戻ってきた。和樹の前に揃えて置く。

「ほら、和樹。腹減ってるんだろ? 飯、食え」

 言われて、やっと和樹は兄から離れ、再び食卓に目を向ける。自分の周りにだけ残された食事に、また寂しそうに眉を寄せ、兄を見上げた。

 これは、どうあっても、自分も食事をしないと食べそうもない。

 和樹の視線にそう感じて、智紀は肩をすくめる。
 今は無理やりにでも食べさせないと、甘え癖がついてしまう。
 だが、この家で食事を取らせてもらえるのかは、まだ微妙だ。自分の立場の問題が、解決していない。

「母さん。俺ももらっていい?」

 食べたそうに、新しい茶碗を眺めている和樹が、それでも手を出そうとしないのに、母は嫌そうに眉を寄せたものの、頷いて台所にまた戻っていった。

 茶碗と箸を母の手から受け取って、智紀は和樹に見せるように箸で茶碗を叩いた。
 チンチン、と高い音が出る。その音に促されて顔を上げて、和樹はやっと嬉しそうに笑った。自分も茶碗と箸を取る。

「ゆっくりちゃんと噛んで食えよ」

 頷いて、しかし少し慌てた様子で箸を動かす。そんな弟の様子に、少し痛そうに微笑んだ。





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