壱の6




「で、その伊藤とかいう人の居場所って……」

 八十助が話を元に戻そうとそう言いかける。
 その語尾に、爆発音が重なった。音が近い。おそらくこの家の敷地内だ。

 庭に面した障子戸が、突然強い風に打たれたようにガタガタとなった。
 音のした方には、道場があるはずだ。八十助があわてて庭に出る。

 外に出た八十助があんぐりと口を開けたまま呆けて突っ立っているのに、弘一郎とすばるは顔を見合わせて首を傾げた。
 庭を覗き込むように顔を出してみる。

「うわーっはっはっはあ。出てこいよお、山県のイヌどもお」

 道場の方から声がする。
 聞き覚えのない声だ。とりあえず、伊藤惣瑞の声ではない。
 誰だ?

「山県さんのイヌですって」

「失敬な。私は人間だぞ」

 いや、そうじゃなくって、とすばるが苦笑する。
 別に弘一郎も真面目にそう答えたわけじゃなく、すばるを笑わせたことに満足して、にんまりと笑顔を作った。

「な、何だぁ? あれは」

 庭に裸足で立ち尽くしている八十助が、やっと声が出たように擦れた声で叫んだ。
 すばるも弘一郎もくだらないことを言って笑うしかないというその状況は、あまりにも常識はずれだった。
 八十助が驚くのも無理はない。

 そこに見たものとは、大破した外壁と半分崩れた道場の壁と巨大な人形だったのである。
 しかも、八十助の叫んだ声に反応して、人形の首がこちらを向いた。
 動いている。
 この大きさでは、中に誰か人が入ったとしても、動かすのは困難だ。首を動かすのも一苦労のはず。

「からくり人形、かな」

 すばるが、思いついたままそう言った。
 人形はこちらに向かって足を一歩踏み出す。
 そのままこちらへ歩いてくるつもりらしい。

「おいおいおいおいーっ」

 庭の世話は八十助の仕事。その仕事が今にも踏み潰されそうなこの状況に、八十助は半分泣きそうな声を出した。

「うわーっはっはっはあ。そうら、逃げろ逃げろう。踏み潰してしまうぞお」

 人形が足をおろすと、ドスンと地面が揺れた。
 なかなか重そうだ。
 まあ、この大きさでは木で作られたとしてもある程度の重さはあるはずだ。きっちり立ったら、頭が屋根より高い。

「どどど、どうするんですか、師範ーっ」

「どうするって、丁重にお帰りいただくしかないだろう。八十助。剣でもってあれを叩き壊す自信はあるか?」

「……え? 叩き壊す?」

 弘一郎としては当然のことを言ったつもりで、八十助はそんなことは考えもしなかったというように驚いた。
 いつのまにかいなくなっていたすばるが、手に三本の木刀を持っている。

「これで足りますよね、父上」

「お前がやるというなら、一本で足りるな」

 いつのまにか藤堂すばるとしてしゃべっているすばるに、弘一郎が苦笑して返す。
 私が出るまでもないでしょう、とすばるはにっこり笑って返した。
 弘一郎も、自分が出る気はさらさらないらしい。
 ということは、八十助が剣を取るしかないということだ。

「こんなもの相手に、死ぬんじゃないぞ、八十助」

「こ、これを倒したら、奥義を授けてくださいますか?」

 恐くて恐くて、目標がないと足が竦んでしまいそうだ、と八十助がすがるように師を見つめる。
 弘一郎はせいぜい真剣そうに、考えておこう、と答えた。すばるが笑っている。

 ぱんっと自分の両頬を叩いた八十助は、うっしゃあっと掛け声を掛けて気合いを入れると、すばるから木刀を受け取った。

「藤堂一心流師範代、斎藤八十助。いざっ」

 たっと地を蹴った。

 地を蹴ったはいいが、どこを狙えば良いのやら、わけがわからない。

 生身の人間なら、急所を狙えば良いのだが、からくり人形の急所などわかるはずもないのだ。
 それに、相手が何でできているのかもさっぱりわからない。
 木でできているのか、はたまた鉄でできているのか。
 木ならば勝算もないではないが、鉄が相手では木刀では歯が立たないはず。

 とにかく、足を狙えば立ってはいられないはずだ。
 そう判断した八十助、足を払うことに神経を集中した。
 自分の読みが外れても、すばると弘一郎が後に控えている。大丈夫だ。

「やあああっ」

 べきっ。
 音をたてたのは、案の定、木刀の方だった。
 足の方にもひびが入っていて、とりあえずこれが木製だということだけはわかる。

「うわーっはっはっはあ。どうしたどうした。痛くも痒くもないぞおう」

 からくり人形の頭の方から声が降ってくる。
 誰かがそこに入って、この人形を操っているのだ。

 ぶんっと人形が手を横に振ると、ちょうど当たった屋根瓦が一気にばらばらと崩れ落ちてきた。
 八十助があわてて逃げ出す。
 すばるも弘一郎も安全な場所に退避しているものの、あわてた様子はまったくない。

「八十助。ただ木刀を力任せに叩きつけるだけなら、阿蘇屋の弥治郎にもできるぞ」

 阿蘇屋の弥治郎とは、この藤堂一心流の門下生で、まだ六才になったばかりの子供のことだ。
 今はまだ、たまに母につれられてやってきては、弘一郎相手に大きすぎる竹刀を振り回しているだけの子である。

 つまり、今八十助がしたことは、別に師範代でなくても誰でもできるぞ、ということを言いたいらしい。

 痛いところをつかれた八十助は、すばるに二本目の木刀を投げてもらって、再びそれを構えた。
 じっとからくり人形を見つめる。

 藤堂一心流の教え、その一。相手はよくよく見定めること。どんな相手にも弱点はある。それを見つけだすまでは、下手に手を出すべきではない。

 藤堂一心流の教え、その二。剣の扱いは引くことと突くこと以外にない。叩きつけるなどもってのほかである。

 藤堂一心流の教え、その三。力は最小限に使うこと。余計な力を入れることは、失敗の元であり、余計に体力を消耗することである。

 これだけをしっかり頭にたたき込んで修業すれば、それなりの強さは手に入る。これが弘一郎が教えた剣である。

 そのことを、すっかり忘れていたらしい。初めての実践で緊張していたとはいえ、師範代失格だ。

「その一。相手をよくよく見定める」

 呟いて、からくり人形を見据えた。弱点は、どこだ。

「八十助。動いたときの音を聞きなさい」

 助言をしたのはすばるの声だった。その声に気づかされる。
 相手を見るということは、相手が発する音を聞くことも当然含まれるのだ。

 足を持ち上げたときの音。それは。

「そこだあっ」

 八十助の足が、再び地を蹴った。

 二本目の木刀は、真っすぐに足の付け根に潜り込んでいく。
 ガリガリッといやな音がした。歯車が木刀を噛んだ音だ。

 そして、それ以上は動けるはずもない。
 木刀をそこに残して八十助が離れると、からくり人形が足をあげたまま後ろに倒れていく。
 どっすーんっと物凄い地響きをあげて、人形はそのまま動かなくなった。

 三本目の木刀を受け取って、八十助はゆっくりからくり人形の頭に近づいていく。

 そこから声が聞こえてきたのだ。誰か人が乗っているのに違いなかった。
 しかし、そこはうんともすんとも言わない。もう動けないのだから逃げ出してくるはずなのに。

 コンコンと、木刀で頭を叩いてみる。やはり、反応がない。

 困ってしまって、八十助は他の二人を振り返った。
 月明かりに照らされているからくり人形の頭は、ただ丸いものが乗せられているだけのようで、目も鼻も口もない。

 すばるが部屋の中から提灯を持ってやってきた。弘一郎も一緒に近づいてくる。

 提灯の光に照らされて、ようやくそこに、小さな穴が一つだけ開いているのを見つけた。
 八十助がその穴に木刀をつっこんで、木の節にそって梃子の原理を利用してそれを破り、穴を広げてみる。

 中に、やはり人が一人入っていた。
 しかも、どうやら気絶しているらしい。普通の商人風の小柄な男だった。

 八十助とすばると弘一郎は、それぞれ顔を見合わせて、やがて楽しそうに笑いだした。





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