壱の4




 弘一郎がすばるを拾ったのは、この場所に道場を開くことになる日のちょうど一月前であった。

 場所は武蔵野の山奥。
 河原に建った古い掘っ立て小屋の前で、ぼんやりと釣りをしているすばるを見つけたのだ。
 地元の人でも滅多に来ない山奥である。

 弘一郎が現われたのに、すばるは驚きもしなかった。
 いや、驚いたのだろうが、それを身体で表現するだけの気力がなかったらしいのだ。

 すばると弘一郎は、山県氏との会話にもあったように、知らない仲ではなかった。
 その当時は敵味方に分かれていたとはいえ、雌雄決着のついた今となっては関係のない話である。

 当時からは想像もつかないほど痩せ衰えてしまったすばるに、弘一郎は思わず声をかけていた。

「そなた、生きておったか」

 その言葉に、すばるはかすかに微笑んだだけであった。
 ぼさぼさの髪にぼろぼろの着物、髭は伸び放題、目は虚ろ。浮浪者という言葉がよく似合う。

 そもそも、すばるは男である。
 普段も女装をしているだけの話で、心は男のままだ。
 女装をしているというのも、正体がばれると政府の役人に殺されてしまうのがわかるからであって、それ以上の意味はない。
 後にすばると名付けられるその男は、現在の政府役人たちの天敵であった存在なのである。
 用心に越したことはないのだ。

「病はどうした? 治ったのか?」

「……あれからもう七年になりますね、藤堂さん」

 釣り糸の先を見つめたまま、男はそう言ってかすかに笑った。
 その笑い方が何ともはかなげで、弘一郎はようやく、その男が精神的に病んでいると知る。

 原因はほどなくしてわかった。

「……愛されて、なかったのかなあ?」

「土方か?」

 先を急ぐ旅でもない。
 弘一郎は考えつく人の名を口にして、彼の隣に腰を下ろした。
 その男は虚ろに笑っているだけだ。何も答えない。
 こうしてしゃべっているのも、もしかしたら自分の世界での独り言なのかもしれない。
 弘一郎は、そこを通りかかっただけの存在で、もうその目には映っていない。

「函館で死んだよ。立派な最期であった。立場は違えど、私も土方も、この国の行く末を案じた者同士。できることなら酒でも酌み交わし語らってみたかったと、大久保さんなら言うだろうな」

「……生きなさいって、言うんですよ。あの人。一緒につれて行けって言っているのに、お前はまだ死ぬべきじゃないって。この国の行く末を見守ってやれって。そんなの、俺には興味のない話なのに。あの人しかいらないのに……」

 そんな言葉を聞いて、弘一郎は思わず目を見張った。

 もしかしたら、いや、もしかしなくても。
 この男、土方と恋仲だったのだ。
 しかも、死んだことを知っている。
 死んだ土方と話をしている。
 あれからもう七年も経っているのに。
 こんなところにいては他の人間と交わる機会もなく、死んだ土方の言葉に精神を蝕まれ続けている。

「そばに置いてくれていたら、あの人のこと、守ってやれたのに。一緒にあの世まで逝けたのに。どうして置いていくんだろう。一緒につれていってほしいのに。側にいてほしいのに……」

(哀れな人だ)

 死んでまでもこの男の前に現われた土方の思いも、よくわかる。
 自分は死んでしまったからこそ。愛した男を救ってやりたいのだ。それだけなのだ。
 自分の分まで生きていてほしい。こんな時代だからこそ、病などで死んでほしくない。
 その気持ちも、痛い程よくわかる。しかし。

(お前は馬鹿だよ、土方)

 おそらくこの男の病を治してしまったのは土方の思いだ。
 生きていてほしいという強い思いが、愛する男に近づいていた死神を追い払ってしまった。

 だが、おそらくそれは間違いだったのだ。
 愛していたのなら。それだけの思いがあったのなら、つれていってやればよかった。
 一人残された相手の気持ちまで、わからなかったのだろう。
 その思いが、逆にこの男を不幸にしてしまった。幸せにしたいと望んだのに。完全に裏目だ。

 このままでは放っておいても死んでしまうだろうな。
 弘一郎はそう感じた。
 肉体は生を求めてこうして釣りなどしているが、このままでは先に精神が死んでしまう。精神が死んでしまえば、完全な植物人間だ。本当の死も時間の問題であろう。
 だが。

「一緒に来るか?沖田総司」

 せっかく生きているのだ。
 むざむざと死なせるのはもったいないというもの。
 土方が生きてほしいと望んだのなら、自分はそれを手助けしてやらなければならない。
 その義務があったから。

 気づいたら、手を差し出していた。
 土方に止めを刺した、その手を。
 まるで罪を償わせてくれと請うように。

 戦争を終わらせるためには必要だったその行為も、この男にとっては罪でしかないのだ。
 それが痛いほどわかったから。

 許せとは言えない。許されるはずもない。
 だが、これが現実なのだ。皮肉な話だが。

「私はこれから東京へ行く。そろそろ腰を落ち着けようと思う。そなた、共に生きてはくれないか。一人で生きるよりは、二人肩を寄せあったほうが暖かかろう? 嫌だというなら無理強いはせん。どうせ、生きねばならぬのだろう? ならば、共に生きよう。昔のことは水に流して」

「……ありがとう、藤堂さん。歳さんを、楽にしてくれて」

 え?

 驚いて目を見張った弘一郎に笑って見せて、沖田総司はその手をしっかりと掴んだ。

 これが、二人の人斬りの、再会であった。





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