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 奥の部屋で書をしたためていた藤堂弘一郎は、入ってきた愛娘と客人を見上げ、腰を抜かすほどに驚いた。

 反対に、客人の方は、顔を見てもそれが昔知った顔と結びつかず、首を傾げる。

 それもそのはず、二人は直接顔を合わせたことなど無いのだ。元々、弘一郎は攘夷派の影で暗躍する人斬りとして行動しており、顔を合わせて無事帰ってきたのは沖田総司のみだったのだから。
 その時は、弘一郎の方が敵前逃亡した形ではあるのだが。

「父上様。お客様をお連れしました」

「……すばる。っていうか、沖田よ。お前の客だろう?」

「ま、そうですね」

 この家の娘として客を案内してきたすばるは、弘一郎の苦笑を受けてあっさりと女声をやめた。取り繕う必要の無い家の中では常に地声で生活しているすばるにとって、もちろん地声の方が楽なのだ。

 その声と弘一郎の呼び方から、杉村はそこに立ち止まり、まじまじと娘を見つめてしまった。

 つまり、今の今まで、わからなかったわけだ。すばるの正体が。

「沖田くん、なのか?」

「はい。お久しぶりです、永倉さん」

 客を振り返ってにこりと微笑み、すばるは部屋の隅から座布団を二枚持ってくると、全員が向かい合えるように三角に並べた。弘一郎の正面を杉村に勧める。

「お茶、淹れてきますね。藤堂さん、ちょっとお願いします」

「茶くらい俺が淹れてくるから、お前、座ってろよ」

「ダメです。藤堂さん、お茶っ葉の場所すら知らないでしょ」

 座っててください、と、言葉こそ丁寧ながら言いつけるようにそう言って、すばるは部屋を出て行く。

 残された杉村と弘一郎は、その背を見送って、それから互いに正面を向いて顔を見合わせた。杉村は弘一郎を知らず、弘一郎は昔その姿を見てさっさと逃げてしまったような間柄だ。話題など無いに等しい。

 ひとまず、自己紹介が先のようだ、と判断し、弘一郎は膝に手を突いて頭を下げた。

「当道場の主、藤堂弘一郎と申します。初めてお目にかかります」

「杉村義衛です」

「永倉さん、ですよね? 新撰組二番隊組長の」

 訊ねるというよりは確認する意味で、弘一郎がそう問いかける。それに対して、杉村は身構える姿勢を取った。

 その警戒の姿勢に、弘一郎はそれは当然のことと受け取り、敵意が無いことを示すように笑ってみせる。

「気にすることは無い。沖田はこの通りうちにおりますしね」

「あなたも、幕府方の?」

「いえ。覚えていらっしゃいませんか? 討幕派の人斬りで、藤堂って名前の」

「串刺し……?」

 そうそれ、と弘一郎はこっくり頷いた。すばると親しそうにしていたこの男が、かつては敵方にいたという事実に、杉村は驚いた様子だった。

「それが、どうして沖田くんと?」

「いや、何年か前に偶然会いまして、思わず拾っちゃいましたよ。ちょうど江戸に腰を落ち着けて剣術道場でも開こうかと思っていた矢先だったので、渡りに船。何しろ俺は自己流だったもので、人に教える経験も人に教わる経験も皆無だったんですよね。沖田なら、ちょうど武蔵流だし、願っても無い人材で。今では指導は全面的にあいつに任せてますね」

「何言ってるんですか。藤堂さんのはただの不精でしょ」

 長々と説明しているうちに、すばるは丸い盆に茶碗を三つ載せて戻ってきた。三つの座布団の前にそれぞれ置いて、自分は盆を隣に置いて空いた座布団に腰を下ろす。道着のままなので取り繕うことなく胡坐をかく。

「藤堂さん。こちら……」

「永倉さんだろ? 二番隊の。さっき自己紹介はしたよ。お前、紹介くらいしてから行けよ」

「あはは、忘れてました。舞い上がっちゃって」

 さすがに、死に別れたと思っていた旧友に会えば、普段動じることがあるのかと不思議なくらい冷静なすばるも、舞い上がってしまうらしい。普通の人間らしい返答に、藤堂は苦笑を隠せない。

 それから、改めて二人揃って杉村に向き直った。

「それで、今日はまた何故こちらに?」

 先ほどすばるが沖田であると知って驚いていたことから考えると、すばるが女装していることも歳を取らないでいることも知らずにやってきたということになる。ならば、この道場にどんな用事があったのか、気になるところだ。

 当然の質問に、杉村は茶碗を置いて姿勢を正した。

「あの事変以来蝦夷に身を隠し、今は松前で婿に入り杉村を名乗っています。此度は樺戸集治監に剣術指南役として指導に当たることになった報告にと、板橋に近藤くんの墓参りに来たのですが、そこで意外な人物に会いまして。勝海舟殿をご存知ですか?」

「あぁ、勝先生。存じ上げてます。良い方ですよね。気さくで飾らないし、人を家柄や過去では判断しない公正な目をお持ちです。ひょうきんな方でしょう?」

 ひょんなことから知り合いになり、定期的にお宅に伺っては茶飲み友だちとして世間話に花を咲かせる間柄のすばるは、その名を聞いた途端ににこりと微笑み、手放しで誉める。人を誉めることに関しては、上役であった近藤や土方などより格段に上手いと昔思っていた杉村としては、なんだか懐かしいようだ。

 それで?と弘一郎に促され、杉村は続けた。

「そこで、勝殿にこの道場を紹介されました。懐かしい顔がいるから、時間があるなら行ってみたらどうだ、と」

「誰がいるとは聞いていなかったんですか。勝先生は相変わらずいたずらっ子だ」

 くっくっと楽しそうに喉を鳴らして笑うすばるに、杉村は少々困惑気味で、弘一郎は嬉しそうに微笑む。明るい性格は昔からだが、もっとおおっぴらに笑う男だったことを知っている杉村にとっては、すばるのその笑い方は彼らしくないと思えるのだ。反対に、三途の川に片足どっぷり浸かっていた過去を知っている弘一郎は、明るく笑うすばるの表情が嬉しい。

「しかし、本当に意外な人に会えた。勝殿には感謝しなければ」

「じゃあ、もう一人意外な人の居場所を教えましょうか。まだ東京にいらっしゃいますか?」

「えぇ、来週には発ちますが」

「時間があれば、麻布に足を運んでみてください。麻布警察署で警部になっているらしいですよ」

「……警察?」

「そう、警察。名前は藤田五郎……でしたっけ。俺も直接お会いしたことは無いんですけどね」

「誰、なんです?」

「それは、秘密です」

 会えばわかる、とだけ伝えて、それ以上はすばるはまったく口を割らなかった。弘一郎も知っている様子で、しかし、助言はしない。すばるの方の悪戯を手伝うつもりらしい。

「会えるでしょうか」

「うーん。断言は出来ませんけどねぇ。俺のように常にそこにいるわけにもいかないでしょうから」

 ふふっと意味深に笑うすばるに、杉村は怪訝な表情を隠しもせず、茶碗に口をつけた。





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