肆の7




 扉を開けたのは、八十助だった。もちろん、すばるに促されてのものである。

 扉を開けて、唖然とした。あまりにも、想像とはかけ離れた世界だった。

 道案内でついて来たはずの安藤もまた、同じような表情をしていた。
 これまで、安藤はエターが待ち構えていたあの部屋までしか来たことがなかったのだ。
 この扉の先に足を踏み入れることが出来たのは、エターと伊藤の娘だけだった。

 実に、西洋の女の子らしい部屋である。
 部屋中の棚という棚に花瓶が置かれ、壁や天蓋付きのベッドはレースで飾られ、照明はもちろんシャンデリア、ベッドの上はふんわりとした羽根布団と大きなクッションで埋め尽くされている。

 そこに、彼女は横たわっていた。

 見るからに、華奢な女の子である。線が細く、小柄で、少し不健康そうな印象を与えた。
 それは、ベッドに横たわっているからこそ、余計に感じるのかもしれない。
 レースをあしらったドレス風の寝巻きに身を包み、漆黒ともいえる美しい黒髪を三つ編みにしてお下げにしている。
 こちらを見つめる黒く大きな瞳が、余計にその年齢を幼く見せた。

「だぁれ?」

 その舌ったらずな言葉運びが、思わず大人たちの警戒を解かせてしまう。

 が、一番後ろから入ってきたすばるは、自分の前にいる、ほとんど無防備な三人の男たちに、大きなため息を聞かせた。

「安藤さん。この扉を押さえてて。絶対に閉めるんじゃないよ」

 すばるの声に緊張の色を聞いて、安藤ははっと振り返った。
 さらにその目を見つめられての無言の命令に、素直に従う。
 すばるは、他の二人を中に入るように促すと、自分はその二人を追い越して、部屋の向こう側に付けられた扉へ向かった。

「ここに、男が一人、入ってきたでしょう?」

「えぇ。父様のお友達でしょう? その扉の先に、ご案内したわ。父様はこの先よ。追いかけて行かれたら?」

「……そうやすやすと罠にはめられると思わないことだよ、お嬢さん」

 罠?

 そう首をかしげたのは、この部屋にいる、すばるを除いた全員だった。
 こんな可愛くて儚げな少女に、罠、とは、実に考えにくいのだが。
 すばるは、はっきりと断言して見せた。

 そして、辿り着いた扉を、押して開く。

 目の前に現れたのは、闇だった。
 壁に用意されたのは、二本の松明。
 扉の裏を探れば、それはのっぺりとした木の板で、取っ手もない。
 扉を閉めたが最後、閉じ込められる仕組みだ。
 とはいえ、それだけでは住んでいる人間にも危険だから、他にこの扉を開ける手段はあるのだろうが。

 と、暗闇の向こうから、人の足音を聞きつけた。
 それは、どうやら走っているらしく、なかなかの速度でこちらに近づいてくる。

 さらに、声も聞こえてきた。
『沖田ーっ』
 それは、実に聞きなれた、偽装父の声。
 聞こえた途端、すばるの表情に笑みが浮かぶ。どうやら無事だったらしい。

 やがて、松明の光と共に、弘一郎の姿が見えてきた。
 怪我の一つもした形跡はない。
 そもそも、こんなにも長い階段を昇って戻ってくるということは、下りてから戻ってくるまでの時間に、誰かと争うような時間がかかっている形跡が認められない。
 弘一郎をこの部屋に先にやってから、自分が追ってくるまでにかかった時間など微々たるものだ。
 その間に、人を殺して戻ってくるなど、ありえない。もし自分であったとしても、少し難しかろう。

 ということは、どういうことだ?

「藤堂さん。伊藤惣瑞は?」

「死んでるっ」

 長い階段を駆け上って、ここまで辿り着いた弘一郎の第一声が、その事実を告げる言葉だった。
 その後、よほど懸命に階段を駆け上ったらしく、荒い息をつく。

「……死んでる?」

「うそよっ! 父様が、死んでるなんて、そんなっ」

 聞き返したすばるの言葉に、少女の悲鳴のような声がかぶった。
 まるで、初めてその事実を知ったかのような、動揺した声だった。

 そんな少女の反応に、傍らで何がどうなっているのかいまいちわかっていない正己と八十助が、気の毒がる風で少女に近づいていく。

 だが、その歩みをすばるの鋭い声が押しとどめた。

「しらばっくれてんじゃないよっ。何企んでるか知らないけど、大人しく黙って待ってろ」

 その言葉が、何を指しているものか、さすがにわからない正己ではない。
 すばるの経験豊富な目が、少女の仮面の裏を見ているらしいのだ。となれば、警戒するべき状況だ。

 改めて少女を観察してみれば、確かに、何かおかしい。
 弱々しげな身体の内に、剣客特有の隙のなさが感じられなくもない。
 病弱な少女を装って、その実力を隠しているとでもいうのか。

 一方、弘一郎もまた、すばるを驚いた表情で見ていた。
 武蔵野の河原で再会してから、すばるがこんなに真剣な表情をしていて声を荒げることなど、初めてだった。
 それも、どうやら、自分でさえころりと騙された少女を、一目で見破ったらしいのだ。

「……やっぱり、沖田には敵わないよなぁ」

 こんな状況にもかかわらず。思わず和んでしまった弘一郎だ。

 弘一郎の呟きに、すばるは呆れたような表情を見せた。

「何言ってんの。で? 死んでるってどういうこと?」

「何年か前に、とっくに死んでるんだ。干からびてる」

「じゃあ、日本政府を脅したのって……? 彼女?」

「だろ。他に、残っていない」

 意識は、どうやら一致したらしい。期せず、二人は同時に少女に視線を向けた。
 クッションを抱きしめて、こちらをこわごわとうかがっている彼女に、そんな様子は微塵も見えないのだが。

「それで、どうするんです? 藤堂さん」

「俺の仕事は、伊藤惣瑞を始末することだ。その本人が、死んでいるんだから、仕事は白紙だろう」

「……と、思う?」

「彼女を、成敗する依頼は受けていないぞ」

「もう。藤堂さん、女子供に甘いんだから」

 ということは、すばるの意見は違うということだが。
 呆れてみせるすばるに、弘一郎はその真意がわからず、顔を覗き込んでしまった。

「沖田は、殺すべきだと言うのか?」

「言うも何も、彼女は、俺たちをそのまま帰してくれる気は無さそうだよ」

 ねぇ、と振ったのは、その本人で。彼女は、びっくりしたように目を見開いてこちらを見る。
 それが本心なのか、装っているだけなのか、判断がつかないのだが。





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