肆の6




 どこまでも続くように思われた長い長い下り階段は、しかし、意外とあっさり、その底を現した。
 上を見上げれば、置いてきた何本かの松明が、小さな光の点となって見える。

 そこには、またもや扉が付けられていた。
 今度の扉は、実に脆そうな、小さな扉だ。今までの一枚板と違い、何枚かの薄い板を横に並べて、横板で止めただけの、シンプルなつくりになっている。
 そして、その扉には、取っ手の替わりに、丸い穴が一つ開いていた。
 その穴に指をかけ、手前に引く。それは、何の抵抗もなく、簡単に開かれた。

 扉の先は、冷たい空気が淀み、埃臭い。ついでに、かすかな腐臭も感じられた。

 松明を掲げ、広くもない室内を隅々まで照らす。

 少なくとも、ここに人の気配はなかった。そして、その先に繋がる扉のようなものもなさそうだった。

 あるのは、燭台の置かれた洋風のテーブルと、こちらに背を向けた椅子が一つ。

 室内に足を踏み入れれば、そこに積もった埃が小さく舞った。
 床を見下ろすと、子供、もしくは女性のものらしい小さな足跡だけが、あちこちに残っている。大人の足跡は見当たらない。

 少女の言葉では、伊藤惣瑞はこの地下室に来たはずだった。
 ここに降りてくる途中に、脇にそれるような道もなかった。
 他に、姿をくらますような方法はないはずだ。

 三歩進めば、テーブルの前に辿り着いてしまうような、小さな部屋。
 そこまで行って、背を向けていた椅子を振り返り。

「うわっ!?」

 見たものに驚いて、さらに自分であげた声にまた驚いて、横に飛び退った。

 それは、人のミイラだった。

 おそるおそる近づいて、じっくり観察してみると、すっかり肉の落ちたその顔は、しかし、まさしく見覚えのある男の顔で。

 探し人、伊藤惣瑞の変わり果てた姿であった。

 ここまでミイラ化するには、最低でも数年は必要なはずである。
 しかし、ここに来るまでに出会った人の全てが、生きた伊藤惣瑞に仕え、使われていたように振舞っていた。
 そもそも、伊藤惣瑞が黒船に乗って東京に現れてから、まだ半年にも満たないはずなのだ。

 それが、今、自分の目の前で、干からびた姿をさらしている。

 白髪で、髭も伸び、羽織袴の服装で、椅子にもたれるように座っている。
 その、身奇麗で威風堂々たる態度を感じさせる外見は、確かにメリケンの貿易商を裏で操るだけの説得力は感じられるのだが。

 ということは、だ。
 今、この集団を裏で操り、伊藤惣瑞がいかにも生きているかのように見せ、日本という国まで脅した人物とは、一体何者なのだろう。

 不思議に思ったのは、一瞬だった。
 脳裏によぎった面影を、否定する材料がない。
 まず間違いなく、彼女以外に考えられなかった。

 伊藤ゆい。惣瑞の娘だという、彼女だ。

 思い至れば、躊躇する暇はない。

 弘一郎は、一目散に降りてきた階段をまた昇り始めた。





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