肆の5




 地下に作られたこの部屋は、そうとは見えないほど、立派に部屋として作られていた。
 天井には小さなシャンデリアがさがり、天井も壁も床も平らで、きれいな四角形の部屋だ。

 その板張りの床に広がっていくエターの血をしばらく眺めていて、正己は軽く肩をすくめた。

「本当に、容赦がないですね」

「下手に生き残らせると、外交問題に発展しますから。人知れず、この場所で朽ち果てててもらった方が良いんですよ」

 やることも容赦がないが、すばるは言うことにも容赦がない。
 平然とそんな風に言ってみせて、それから、困ったように笑ってみせる。

「坂本さんは、優しいですものね。できれば、人を殺さなくて済むことを考えたい人でしょう?」

「……沖田さんは、死んで当然な人間もいる、と?」

「死んで当然な人間なんていませんよ。ただ、政治的に、死んでいてもらわないと困る人はいると思います。この、エターさんとか。俺個人的には、恨みもつらみもないんですけれどね」

 実に、あっさりとした物言いだった。
 少なくとも、人殺しに罪悪感を感じているようには思えない。

 それから、正己の何とも言えない複雑な表情を見て、すばるは肩をすくめてみせた。

「坂本さん、さっき、俺の二つ名を知っているとおっしゃったでしょう? どうしてそんな名を与えられたのか、ご存知じゃないんですか?」

「……新選組の『鬼姫』。敵方で出会って生き延びられる人はよほどの強運の持ち主とか」

「容赦している場合じゃないんですよ。俺の立場では。男も女も、老人も子供も。あの頃は、全ての人が熱に浮かされていて、自分が生き残るために他人を食い物にするしかなかった。その時代に、治安維持を任されたんです。女だから、老人だから、子供だからといって、見逃してやっては、京の街が無法地帯になってしまいますからね」

 そういう時代だったんですよ。そう、すばるは感情の伴わない冷たい目で振り返ってみせた。それから、ふっと笑う。

「あの頃に比べれば、随分と人間らしい感情を持っていると思いますけどね?」

「……彼も、命だけは助けてやれば……」

「無理でしょ。助けてやったとたんに、背後から襲われますよ。根っからのヤクザ者の目をしてましたもの」

 目、って……。

 そう呟いて、正己が絶句してみせる。それに、すばるは大きく頷いた。

「目は人を映す鏡です。どんなに悪ぶっていても、性根の正直な人は目でわかります。反対もしかり。そこを判断するのは、自分がそれだけ経験を積むしかありません。俺だって、きっと見る人から見れば、一刀両断にするしか方法はないくらい、荒んだ目をしているはずですよ。自分でわかります」

 他人を評価するのに容赦のない人は、自分を評するのにも容赦がないらしい。
 そう言って、すばるはなぜか、にこりと笑うのだが。

「わかる人に、俺を見てもらえないですかね? そうしたら、きっとこれ以上苦しむこともなく、殺してもらえるでしょうに」

「……沖田さん……」

 そうだった。
 すばるは、自らの死に憧れて、焦がれて、夢にまで見て、苦しんで生きている人なのだ。
 正己には、それが今更のように理解できてしまった。
 何を話すにも、すばるの言葉は結局、そこに行き着くのだ。
 そして、きっと、目の前の舶来の男も、羨ましい思いで見つめているに違いなかった。

 思い至って、黙り込んでしまった正己に、すばるはしかし、軽く肩をすくめて笑って寄越す。

「なんて。冗談ですよ。そんなに真剣にならないでください。それより、先に行った藤堂さんが心配です。先を急ぎましょ」

 ほらほら、もう行くよ、と、未だに呆然と死体を見つめる八十助と安藤に声をかけ、その先の扉へ歩き出す。
 それを追って、正己は苦しげに眉を寄せた。

 すばるの、きっと久しぶりに表に出てきた、常に心の中に思い続けている感情に、正己は無防備なまま触れてしまったのだ。
 すばるの、御転婆娘に見えるその明るい外見の内に秘めた、どろどろとした暗い闇。
 底の見えない、光をすべて吸収してしまうような、真っ暗な闇。
 他の人をも、引きずり込みそうな。

 いったい、彼の深い闇を、誰が取り払ってやれるのだろう。
 恐れず、果敢に、立ち向かうことができるのだろう。
 すばるを、その闇に立ち向かおうとさせる、そんな導き手が、本当に現れうるのだろうか。

 現れうるとすれば、それは一体誰なのか。

 自分自身がそうなろうとはどうしても思えないかわりに、その人が現れるまでずっと、見守っていたいと、そう心に誓う、正己であった。





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