肆の4
おそらくは逃げ出した伊藤を追って、扉を抜けた弘一郎は、その先にあったあまりの光景に、唖然として立ち尽くした。
それは、あまりにも想像とかけ離れた、少女趣味の部屋だった。
花とレースとクッションに囲まれた、ピンク色の部屋だった。
部屋の中央には、天蓋つきのベッドが設えられ、そこに、少女が横たわっている。
お世辞にも、体調が良いようには見えない、血色の悪い顔色の少女だった。
いや、もう、成人しているのかもしれない。
線が細く、華奢で、すばるではとうてい真似が出来ない儚さが見える。
「だぁれ?」
その見た目の年齢を裏切る、本当に子供っぽい舌足らずな言葉運びで、彼女は突然の来訪者にそう問いかけた。
問いかけられたことで、それが生身の人間であることは認識できた弘一郎が、はっと顔を上げる。
「俺は、藤堂弘一郎という。君は?」
「伊藤……ゆい」
「伊藤? 惣瑞の血縁か?」
「あなた、父様を知っているの? 父様のお友達?」
彼女の答えた言葉に、弘一郎は言葉を失った。
まさか、あの伊藤に娘がいたとは。しかも、見るからに病弱そうな。
彼女は、もしかしたら、父がしでかそうとしていることに、気付いていないのかもしれない。
父の知り合いだと知った途端に、実に無邪気な表情に変わった。
「おじさま、優しそうな人で良かったわ。恐そうな人だと、私、ちゃんとご案内できないもの」
胸の前で手を合わせ、指を絡める。そんな、お祈りにも似た仕草で、彼女はにっこりと微笑んだ。
案内、と聞いて、弘一郎はぴくりと眉を動かす。
「父様に、父様のお友達が来たら、父様の行き先をお教えするようにって、言いつけられてるの。父様は、こっちの扉の先よ」
こっちの、もなにも、この部屋には入ってきた扉と、示された扉しかないのだから、ここにいなければその先であることは容易に想像がつく。
つまり、本来、案内など必要ないのだ。
が、言動の幼い彼女にそんなことを指摘して、何の意味があるというのか。
急いでいる身としては、素直に礼を言って先を急ぐのが得策だろう。弘一郎は、そう判断した。
ベッドに座っている彼女に、ありがとう、と礼を言い、示された扉へ急ぐ。
「階段が急だから、気をつけて」
扉を開けた弘一郎に、彼女は一言付け加えた。
扉をくぐったその背後で、それはゆっくりと、侵入口を閉ざした。
扉の先に、準備の良いことに、松明が数本、すでに炎を帯びて、用意されていた。
いったい誰のためなのか、実に気が効いている。
とにかく、それを一本手に取り、階段を降り始めて三段目。
ふと、首を傾げた。
今出会った少女といい、用意されていた松明といい。
なんだか、おかしいのだ。
あまりにも、用意周到すぎる。
こうして招きいれられるはずはない立場だというのに、まるで、奥へ誘い込まれているようだ。
そもそも、伊藤は娘を殺されるとは考えなかったのだろうか。
寝たきりで動けない娘ならなおのこと、伴って奥へ隠れさせるはずではないのか。
気になったら、いてもたってもいられなくなった。
来た方へ、引き返す。下りた三段をまた上り、自然に閉まった扉の取っ手を探す。
ところが。
「あれ?」
取っ手は、なかった。
入ってきたときに、こちら側へ押して入ったのだから、こちらからは引いて開けるはずである。
これだけきれいに閉まる扉ならば、どこにも手を掛ける場所はない。取っ手がなければ、開けられないはずなのに。
一か八か、押しても見た。が、びくりともしない。
閉じ込められた、か?
この案内の良さは、つまり、そういうことだろう。理解して、さすがに弘一郎は肩を落とした。深くため息を一つ。
とはいえ、このまま途方にくれている場合でもない。
とりあえず、この先に続いている、先が暗がりで見えない下り階段を、下りてみることにした。
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