参の5




 一応は貿易商としてこんなに大きな商館を保有している会社のはずなのだが、建物の中には人の気配がなかった。

 調度品は整然と整えられ、表向きの顔にふさわしい気品を備えているにもかかわらず、だ。
 その気配のなさは不自然ですらある。

 1階の廊下をぐるりと一周回って本当に人っ子一人いないことを確認し、玄関ホールに戻ってくると、そこに、動くものを見つけた。

 それは、人の姿であった。

 どうやら、様子を見に来たらしい。相撲取りのようなどっしりした身体に着物を身につけ、血を流して倒れる東郷の姿を唖然とした表情で見下ろしている。

 それを見やったすばるが、おや、と声を上げた。

 すばるの声に、その男は顔を上げ、こちらを見やる。

「久しぶりだね、安藤さん。組抜けしたと思ったら、こんなところでなにをしているの?」

 声は15年前と変わらずとも、その姿は若い娘にしか見えない。
 声をかけたすばるに、見覚えがないのか、安藤は怪訝な表情をみせた。

「何者だ、きさまら」

 何だか今更なセリフだが、安藤はかなり真面目な表情でそう問う。問われた方は、顔を見合わせて苦笑を返すのみだ。

 そもそも、彼らが襲撃に来たことは、すでに周知の事実のはずである。何しろあの歓迎ぶりだったのだ。その相手に対して、何者、とは今更ではないか。

 安藤は怪訝な表情を崩さないながらも、近づいてくるその顔に見覚えがあることに、段々と気付いてきたらしい。その表情が、ゆっくりと驚愕に変わる。

「思い出した?」

「……た、隊長?」

 驚愕に恐怖まで混じってきた頃、近くまで辿り着いたすばるがにこりと笑った。それは、見る人間が見れば、さらなる恐怖を煽る不吉な笑みで。
 久しぶりに見たらしい、すぐ隣にいた弘一郎が、一歩退いた。

「ま、まさか……。隊長は、病で亡くなっているはずだっ! お前は、誰だッ!!」

「勝手に人を殺さないでくれるかな。病なんかで死ぬほど、やわじゃないよ」

 ふふっと、すばるは恐ろしいまでの凶悪な笑みを浮かべてみせた。

 まったく、普段から死の国を夢見て止まない人間の言うセリフとは思えない。そう、弘一郎などは思う。
 八年も生活を共にしていれば、他人に過ぎない弘一郎にでも、たおやかで明るい笑みの内側で何を見ているのかなど、手に取るようにわかってしまう。
 まして、彼の背景をよく知っているのだから。

 同じく傍で見守っている正己も、少し困ったような笑みを見せた。

「よく言いますよね。今にも死にそうだった人の言葉とは思えません」

「坂本殿。それを言っちゃあ、おしまいだ、ってヤツだろう」

 つまり、すっかり傍観者になっている二人だった。

 その間にも、安藤の悪あがきは続く。

「な、何をバカな。あれは、不治の病だと聞いているぞ。あんたがそうなわけがないっ」

「現に、ここにこうして生きている。じゃあ、安藤さんが新選組一番隊にかつて所属していて、組抜けしたことで斎藤さんに追われている人間であることを、よぉく知っている俺は、一体何者だと言うのさ」

「う、うう、うるさいっ。俺は信じないぞっ! た、隊長が生きているだなどっ」

 いや、信じる信じないの問題ではないのだが。
 呆れて物も言えないすばるが、実に呆れた表情を見せるのと同時に、ため息までついて首を振る。

 信じない、を実証するためなのかなんなのか、見るからに恐怖に駆られて震えている手で、安藤は腰にさした刀を抜いた。
 刃と鞘がぶつかり合って、がちゃがちゃと音がする。

「不法なる侵入者め。成敗してくれるっ」

「……本気?」

 心配、というより、明らかに呆れた声で、問い返す。
 すばるに、その片手に持った愛刀を抜く気は見えない。

 さすがに、一方は臨戦態勢で、もう一方は無防備な状態だと、その強さを知っているとはいえ心配になる弘一郎が、自分の刀の柄に手をかける。
 だが、すばるはそれを気配で察したか、制止の手を挙げた。

「藤堂さん。大丈夫です」

「けどな、沖田……」

「こんな小物、あなたが手を下すまでもありませんよ」

「こ、こここ、小物ぉ!?」

 さすがにその一言には怒りを覚えたらしい。恐怖は一瞬で消え去り、代わりに怒り心頭で身を震わす。安藤の巨体に殺気がみなぎった。

 さらに、その怒りに任せて、安藤はすばるに斬りかかっていく。

 が、次の瞬間。





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