参の1
横浜という町は、不思議な町である。
何しろ、どちらを見ても天守閣が見当らない。
つまり、城下町でないのに発展した町なのだ。
それも、ここ数年のうちに突然である。すべては、ここが東京の玄関口であるというせいだった。
立派な横浜駅の駅舎を出て、八十助は背伸びをした。
背後に警察官が張りついていて、ずっと固い椅子に座ったままだったせいで、背中が固まってしまっているらしい。
その警察官とも、先ほど別れてきた。ここからは四人だけで行くことになる。
簡単な地図を先ほど手渡されて、年長組三人はそれを囲んでまわりを見回していた。
地図という代物を見るのも、珍しいことだ。地図を見る機会など、ひとつところに留まって日々を懸命に生きる人々に、そうあるものではない。
まして、彼らは今まで、おおよその勘で行動していた節がある。地図を見るなど何年ぶりか。見方が良くわからない。
「あれが、これでしょう?」
「ああ、じゃあ、あれがこれなのか。だとすると、目的地はあっちだな」
指差した方向に、少々小高い丘が見えた。
その名も港の見える丘公園。呆れたネーミングセンスだ。
「遠いかなぁ?」
「あの丘までは行かないで良さそうだから、とすると、勝殿のお屋敷から藤堂さんの道場までの距離よりは短いと思いますよ」
「ふむ、そんなものか」
じゃあ、行くか。
と結論を出すのは、やはりこの仕事を請け負った弘一郎の役目。
何しろすばると正己がのんびりしているもので、どうも気合いが入らない。
一人物珍しそうにまわりを見回していた八十助に声をかけて、彼らは歩き出した。
まったく、のほほんとしている一行である。
横浜の町は、港に近づくにしたがって、異国情緒どころか、見事西洋風の町並みになっていく。
石畳に石作りの塀と鉄格子、煉瓦を積んだ大きな建物、広い庭。そんなものが並んでいる。
一つ一つの敷地が異様に広いので、余計長い距離を感じてしまった。
実際はそんなにないのに、なぜか遠く感じてしまう。
しばらく歩いていて、すばるはおもむろに手に持っていた長い棒状の袋を解きにかかる。
それに気がついて、弘一郎がそれを制した。
まだ警官が治安維持のためうろうろしている場所だ。
こんなところで廃刀令違反で捕まるわけにはいかない。
「八十助。木刀を渡してくれ」
「師範に、ですか?」
「ああ、俺に」
何だろうと首を傾げながら、八十助はそれを差しだす。
受け取って、弘一郎はすっと姿を消した。
忍術でも妖術でもない。スピードが早いのだ。
これでも沖田総司の動きの速さにはついていけなかった弘一郎だが、八十助程度の素人の目にはとまらない速さである。
八十助だけが、弘一郎のその速さに驚いていた。
はじめて見たから、驚いたのだろうが。今までは、ずっとこの実力を隠し通してきたのだから。
ズダン、と背後で音がして、八十助はあわてて振り返った。
すばるも正己ものんびり後ろに身体を向ける。
八十助はその間中、驚きに声も出ない状態だった。ぱくぱくと口が動く。
そこにあったのは、藤堂道場を襲ったからくり人形だった。
斜めにすっぱり切られて真っ二つになっている。
ちなみに、加害者である弘一郎の得物は木刀だ。こんなすっぱりと斬れるわけがない。
中にいた人間が、傷一つなくほうほうの体で逃げ出してくる。
からくり人形の仕組みがわかっていたから、怪我もさせずに人形だけを壊せたのだ。
あの襲撃事件もまったくの無駄だったわけではない。
逃げ出してきた男の襟首をむんずと捕まえて、弘一郎は無理矢理引きずって戻ってくる。
そして、そこに放り出した。
「いつから監視していた」
「っていうか、そんなでっかい人形に乗って、良く目立ちませんでしたね。感心感心」
それはその通りだ。
弘一郎もすばるも正己もおかしな視線を感じただけでこの人形を見ていないし、八十助など物珍しげにまわりをきょろきょろ見回していたのに一度も見なかった。それは、はっきり言っておかしい。
普通の家の軒より高い、巨大な人形なのである。わからないわけがない。
「ふん。教えてなぞやるものか」
素直に不思議がっていた彼らに男は開き直ったようにそう言う。
という言葉に、すばるはしかし、あっさりと言った。
「空を飛んでたんじゃないんですか? そこに羽みたいなのもついてますし。地を潜るようには見えないから、他に考えようがないですよね」
う。どうやら図星だったらしい。男が言葉につまる。
それから、また開き直った。彼にはプライドというものがないらしい。
「俺はただの見張りだぞ。俺に聞いても何もわからんぞ」
「ああ、期待してないから安心しな。尋問する気もないから」
これは本心だ。
最初に襲ってきたからくり人形の操縦人以上のことを、同じくからくり人形に乗った奴が知っているとは思えない。だから、まったく期待もしていなかった。
ただ、彼がなぜ自分たちを監視していたのかが知りたいだけである。
自分たちは警察官ではないのだから、危険などまず感じないはず。
「伊藤に伝えろ。あんまりおいたが過ぎるとお仕置きするぞ、とな」
「師範、敵の感情あおってどうするんですか」
だいたいお仕置きって、と八十助は本気で悩んでしまった。
すばるが楽しそうに笑っている。
男はどうやら開放されると知って、あわてて逃げ出した。
ちゃんと伝えろよ、と弘一郎の声が追い掛けてくる。
監視の視線を感じなくなった四人は、また地図を囲んで方向確認をした。
この横浜という町、日本人にはかなり優しくない町である。
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