弐の4




 今日もまた、いつものように門下生たちが集まってくる。下は六才から上は二十五、六まで、年齢層も幅広い。

 まず、いつも四半刻は早くにやってくる高木駿輔が、いつもの時間通りに道場にやってきた。
 門が崩れてなくなっているのに首を傾げた駿輔は、さらに道場も半分崩れてなくなっているのに、びっくりして立ち尽くしてしまっている。

「あら、お早ようございます、高木さん。今日もお早いですね」

 ちょうど道場の前で崩れた破片の掃除をしていたすばるが、駿輔に気づいて作業を中断する。
 すぐそばで手伝っている見覚えのない若者が、軽く会釈した。

「な、なんなんですか、これ?」

 昨日は何もなっていなかったはず。
 この現実が理解できずに、駿輔は呆然と立ち尽くしている。
 ああ、とすばるは何でもないように壊れた屋根を見上げた。

「昨夜、からくり人形に襲われたんですよ。まったく、迷惑な話ですよね。ですので、明日から道場はしばらく休みます」

 などと突然言われても困ってしまうもので、駿輔はもう笑うしかないというように困って笑った。

 壊れた門から、どこから調達してきたのか、八十助が大きな板を背負って帰ってくる。
 それで壊れた部分をおおって、雨よけにするらしい。
 修理するには人手と技術が足りず、ついでにいうと雨よけにしてもその板だけでは足りそうもない。

「ああ、高木さん。暇ならちょっと手伝ってくれよ。そこに船着けてあるから、ちょっと行って板を運んできてほしいんだ」

 八十助と駿輔はそう年令が離れていない。
 駿輔もこの道場の門下生になって長いほうなので、八十助とは対等の立場に立っていた。
 といっても、稽古場では師範代の八十助の言うことに逆らうことはできないのは、当たり前の話だ。

「どのくらい?」

「持てるだけ全部。たっぷり買い付けて来はしてあるけど、それでも足りないくらいだ」

 何しろこれだから、と八十助は顎をしゃくる。
 屋敷の方の庭からは、大工仕事をしているようなトンカントンカンという音が聞こえてきた。
 ここにいない弘一郎が何やら作っているのだろう。

 何となく、この現状だけは理解できてきた駿輔は、一つ大きく溜息をつくと、荷物を邪魔にならなそうなところにおいて、八十助の指示に従い手伝うことにした。
 何しろこの状況だ。手伝わなければ今日の稽古も済し崩しになくなってしまいそうだった。

 次々と道場に集まってきた門下生たちは、半壊した学び屋を見て、みな一様に驚いた。
 それも、無理のない話だ。
 こんな建物の壊れ方、見たことがないはずである。
 何といっても、今は明治時代。家を壊すものなど、台風と火事くらいしか知らないのだ。

「はいはい、みなさん。ぼうっと突っ立ってないで中に入ってください。今日は師範からお話がありますよ」

 ぱんぱんと手を叩いて剣術を学びに集まっている子供たちを追い立てるのが、今のすばるの役目だ。
 まだ義務教育でなかったこの時代。剣術道場の師範代といえば、立派に学校の先生である。
 すばるもそれなりの行動をせざるをえない。

 門下生が全員集まると、すばると八十助は庭の掃除を正己に任せて、今にも崩れそうな道場の中へ入っていく。
 最後に、自分の仕事を中断して、弘一郎がやってきた。
 八十助の号令で全員が頭を下げる。

「突然だが、きみたちに休みを出さねばならなくなった。見てわかったと思うが、わが一心流道場がこのように使いものにならない状態となってしまった。これを直さなければならない。よって、この道場は今日をもってしばらく閉めることになった。みなには迷惑をかけるが、日々の鍛練を怠らず、しばらく各々で練習に励んでくれ」

「師範!」

 声を上げてさっと手を挙げたのは、実力では八十助に次ぐものを持つ、滝沢教氏。
 聞くところによると、没落士族の家柄の彼は、子供の頃から剣術道場に通い腕を磨いてきたのだという。
 門下生の中では一番修業年数が長い若者だ。

「師範はここにおられますか? 個人的にご教授願いたいのですが」

「いや。私とすばるはこの道場を直す間、旅に出る用事ができてしまった。その代わり、八十助を残……」

「師範っ!」

 弘一郎の台詞をさえぎるように大声をあげたのは、八十助である。
 驚いて彼を見た弘一郎は、怒っている八十助の目に見据えられてしまった。
 何事かと集まった門下生たちが目を丸くしている。

「まさか、俺を置いていかれるおつもりではないでしょうね」

「いや、しかしな、八十助……」

 そう、何か言いかけた弘一郎の言葉は、すばるの軽い咳払いに中断された。
 こんな衆人環視の前でする話ではない。
 そんな三人の様子に何を見たのか、八十助の親友、駿輔はくすくすと笑った。

「この道場をこんなにしてくれた不逞の輩に灸を据えにいかれるのでしょう? 留守は俺たちにお任せください。稽古がなくなれば暇を持て余す身です。幾人かは毎日のように集まって参るでしょうし、これだけ人数があれば、少なくとも昼間のうちは物騒ということもありませんでしょう。助け合って稽古を欠かさず、お帰りをお待ちしております」

 なあ皆の衆、という駿輔の声に、半分以上の男たちが賛同した。
 何といってもこの道場の門下生たちは、弘一郎とすばるの人となりに惹かれて集まっている。団結力は東京一だ。

「すまぬ」

「何をおっしゃいます。それよりも、無事お役目を果たし、戻っていらしてください。みな、首を長くしてお待ち申し上げておりますゆえ」

「こらこら、高木くん。首を長くして、などと言っては、師範は我々が気になって仕方がないではないか。ごゆっくり、くらい言わねば」

「師範にゆっくりされては、我々が困るぞい」

 年長組がからかい半分にそう言って笑いあう。
 まったく、師範思いの良い門下生たちだ。

「私からの話は以上だ」

 そう締めて、さて、というように弘一郎はすばるを見やった。
 すばるは確認するようににっこり笑って頷く。
 最後の稽古を始めようと八十助が立ち上がりかけたその時、滝沢がすっくと立ち上がった。

「みなに提案がある。掃除を手伝おうではないか。みなが協力すれば、すぐに済むはず」

「おお、それは名案だ」

「お手伝いしますっ!」

「僕らのような子供にも、そのくらいのお手伝いはできます。協力しましょう。なぁ、みんな」

 次々と年代を問わず声が上がっていくのに、どんどん賛同者は増え、全員が揃って弘一郎に顔を向けた。許可を求めている。
 弘一郎は困った顔ですばるを見やった。すばるも苦笑している。

「そうだな。では、頼むとしよう」

「はいっ」

 おそらく、号令もなく全員の声が揃ったのは、道場を開いて以来初めてのことである。
 自分たちの道場が壊されたというこの事態に、どうやら彼らの心が一つになったようだった。





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