弐の3
横浜。
鎖国が解かれて以来、日本の玄関として栄えた街である。
港には各国の大使館が軒をつらね、各国の軍艦商船が錨を降ろす。まさに明治の長崎といった様相を呈している街だ。
したがって、この街に白人や黒人が出没しても、何らおかしなところはなかった。
日本人もまたしかりである。
つまり、ここにはどんな人間がいても不思議なことではないのだ。身の丈三メートルもある大男も、存在しないこともないだろう、で済んでしまう。
ここに、まったく身体的特徴のばらばらな、四人の男がいた。
つるんでいるところを見ると、何かの仲間であるらしい。
一人は金髪で青い目をした白人の男。
一人は身の丈十尺はある大男。
一人は反対に五尺にも満たない小柄な男。
最後の一人は異様に腹の膨れた筋肉質の男である。
笑い方も四人四様。歩き方も四人四様。ただ、その目の鋭さだけが、似ていなくもないかというところだ。
「しかしなぁ。ここまできておいて、山県という男には注意しろだなんて、伊藤もどうかしてるんじゃないのか」
「イエース。ミスター伊藤は事ここに及んで、臆病風邪ひいてマスネ」
「それを言うなら、臆病風に吹かれる、だな」
「けけっ。山県なんざ、俺一人で十分さ。ここまで順調に事が運んだんで、慎重になりすぎてんだろうよ」
心配いらねえよ、と締めたのは小柄の男だ。
身体が小さいと、それに比例して声が高くなるというが、本当のことらしい。
逆に、身の丈十尺の大男は、頭まで血がめぐっていないのか、しゃべるスピードは遅く、声も地を這うほど低い。
この四人が、伊藤惣瑞の四天王であった。
四人はまわりにささっと目を走らせ、大きな洋館へ入っていく。
門の表札には、ジャパントランスファーカンパニー、日本貿易会社と書かれている。アメリカの武装商人の会社である。
つまりこれが、伊藤惣瑞の後ろ盾ということだ。
藤堂一心流の道場を半壊せしめたからくり人形の乗組員が言った、伊藤惣瑞の本拠地というのが、この場所であった。
そもそも、男はこの場所以外には知らないのだ。ここを教える他あるまい。
しかし、実際のところ、男は伊藤惣瑞に会ったことは一度としてない。そもそも、この建物にいるのかすら、定かではなかった。
この会社が武装しているのはアメリカで認められていることで、からくり人形はその武器として使われているにすぎず、つまり男は後ろ盾になっているこの会社に雇われた兵士である。
雇われ兵士ごときが知っていることなど、限られたほんの一部だ。
明治の世になったとはいえ、まだまだ日本は開国のショックから立ち直っているわけではなかった。
諸外国と日本の関係は不平等のまま。治外法権によって日本側が泣き寝入りをすることも少なくない。
おかげで、横浜港もあまり治安がいいとは言えなかった。
泣き寝入りをしないためには、自らを自分で守らなければならない。
したがって、日本人は外国人にびくびくしながら、身体を完全に武装して、生活していたのである。
この状況が、また伊藤惣瑞らを闇に隠している原因であった。
横浜を、拳銃をちらつかせながら歩いている日本人がいても、誰も違和感を感じないのである。
つまり、犯罪組織が隠れるのに、この横浜は絶好の場所だったわけだ。
「とは言っても、最近は官憲の目も厳しくなったしなぁ」
洋館の2階の窓から外を見下ろして、安藤保典はそう言った。
筋肉がつきすぎて、まるで肉達磨である。それでも、脳味噌にも栄養は回っているらしい。ただの筋肉馬鹿ではなさそうだ。
「けっ。官憲なんざ、くそくらえだ。法なんてろくすっぽ知らねえ連中の、どこが恐いってんだ。けけっ。笑わせんじゃねえや」
頭にギンギン突き刺さるような高い声でそう笑うのは、東郷泰然という男。
その言葉に、わかっているのかいないのか、へへへ、と笑っている大男が、榊原道後である。
この三人とともに道を歩いていた白人の男は、どこへ行ったのかここにはいない。
そもそも、しゅみえるえったー、もとい、シミュエル・エターという男、このジャパン・トランスファー・カンパニーの社長である。
何故四天王に収まっているかといえば、伊藤惣瑞の天才的に悪知恵が働く頭脳と人斬りといわれた剣の腕に惚れ込んで、弟子入りしてしまったのだ。
もともとマフィアの世界に生きる人間だった彼にとって、今の環境はそう変わったわけではなく、彼としては、師匠のためなら命さえ投げ出す覚悟でいるらしかった。
そんな弟子を持たなければ、おそらく伊藤惣瑞はこの日本に帰ってくることはなかったに違いない。
「日本は、マイ師匠の物デス。覚悟なサイ」
ふふふっと笑うその表情は、完璧に狂人の域に達している。
これがこの男がもともと持っていた顔なのか、伊藤に作られた顔なのかは定かではないが、少なくとも尋常ではないことだけは確かなようだ。
横浜は、今、ひそかに魔の巣窟と化していた。
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