弐の2
昨夜襲撃してきたからくり人形を操っていた男は、自らが壊した道場の中で身体を縛り付けられて、目を覚ました。
日が高く昇っている。
春の日がちょうど良い具合に地面を暖めてくれるので、ぽかぽかしていて気持ちがいい場所だ。
男がちょっと体を起こしてまわりを見回すと、ちょうど足元の辺りで人が四人、車座になって何やら相談事をしていた。
やがて、唯一の女が男が目を覚ましたのに気づく。促されて、全員がそれを見やった。
男に近づいてきたのは、乗っていたからくり人形を壊してくれた、若い男だった。
「おう。やっと目が覚めたか。あんまりいびきがすごいから、殺してやろうかと思ってたところだ。命拾いしたなぁ」
くすくすと女が笑っている。
そのまた後ろで、若い男と歳の行った男が顔を見合わせて肩をすくめた。
男を縛り付けた紐を持って、八十助が男の体を無理矢理起こす。
「お前には聞きたいことが山ほどあるんだ。洗いざらいしゃべってもらうぞ」
この四人の中ではたぶん年寄の次に強そうだ、と男は見た。
そして、この若造がからくり人形の足にひびを入れる程度しかできなかったのも覚えている。
つまり、この四人はそんなに強くはない。そう男は結論を出した。
自分がこうして捕まっているのも、高いところから一気に地面に叩きつけられて気絶してしまったせいであって、本気を出せばこんな弱っちい連中に負けるはずがない。それが男の判断だ。
したがって、男は八十助の言葉を無視した。
答えるつもりはない。いや、答える義理はない、ということらしい。
「ねぇ。ちょっと笑ってみてよ」
「……はぁ?」
きれいな着物を着た美人の娘に突然そう言われて、男はわけがわからず聞き返してしまった。
すばるは男を見下ろし、もう一度言う。
「昨夜のように、笑ってみて」
ああ、笑えといわれたのか。納得して、ふんっと鼻を鳴らした。
どうやらこの女、自分の笑い声に惚れたようだ。そう、勝手に思い込んだらしい。
自惚れもここまで来ると立派なものである。
「そんなに笑ってほしいか」
「早くぅ、笑ってぇ」
男の妙な自惚れを助長するように、しなを作ってすばるが催促する。
他の男たちは、いったい何がしたいのかと顔を見合わせた。
「ならばようく聞いておれよ」
うんうん、とすばるがわくわくしているように目を輝かせて頷く。
男は気を良くしたのか、すうっと息を吸い込んだ。
「うわーっはっはっ……」
べふっ。
気持ち良く笑っていた男が突然苦痛の声を上げた。
なんと、すばるに足蹴にされている。しかも、顔を蹴られたらしい。鼻から血が出ていた。
「ねぇ、もう一回笑って」
楽しそうに微笑んで、すばるがまたねだる。
男は目に涙を浮かべ、引きつったように笑ってみせた。
「は、はは、はははは、は……」
「だーめ。もっとちゃんと笑って。昨夜みたいに」
ね、とかわいこぶりっこで催促する。男の目から涙が流れてきた。
「う、うう、うわーっはっは、は……」
ぐおっ。
また蹴られたらしい。くっきりとその頬に、足の跡がついている。
「ね、もう一回」
「も、もう、勘弁……」
ひいっと今にも悲鳴を上げそうなくらい、怯えた顔ですばるを見上げている。
その表情を見て、すばるは男に顔を近づけた。
「洗いざらい、話してもらえるよね?」
「は、はひ……」
いったい何だったんだ、と八十助がすばるを見つめる。
それに気がついて、すばるは軽く肩をすくめた。取り繕う気も失せたのか、地声で言う。
「だって、この馬鹿の笑い声、腹立って腹立ってしょうがないから……」
うふっと笑ったすばるを見て、四人の男たちは心の中で、鬼、と呟いていた。
とにかく、と気を取り直して、八十助は男に尋問をはじめる。
すばるがその隣でにこにこと笑って見下ろしているので、恐ろしくて恐ろしくて仕方がない男は、問われるままに何もかもを白状していた。
自分はただ伊藤惣瑞という男に雇われた下っぱであるということ、からくり人形は他にもたくさんあるということ、伊藤惣瑞の本拠地となっている場所、その後ろ盾になっているらしい組織の存在、そして、四天王と呼ばれる強者たちがいるということも。
「その四天王の名前は何というのだ?」
横から弘一郎が口を出した。
先程から震えっぱなしの男は、さらに大きくぶるっと震える。
「き、北に、安藤保典。南に、さ、榊原道後。東に、東郷た、泰然。西に、しゅみえる、えったー」
「しゅみえるえったー? 外国人か」
聞き慣れない、舌を噛みそうな名前に、四人は顔を見合わせる。
メリケンの武装商人が後ろ盾になっているというのも、案外冗談ではなさそうだ。
「つ、強いぞ、四天王は。お前らなんか、勝てやしないぞ」
「誰に言ってんでしょうね、このお馬鹿さんは」
そうあっさりと言ってみせて、それでも正己は真剣な表情で何やら考え込んだ。すばるも、軽く首を傾げている。弘一郎も、何が引っ掛かるのか、考え事をしているようだ。
やがて、三人揃ってぽんと手を叩いた。
「そうか。何か聞き覚えがあると思ったら」
へ?
まったく同時に同じことを言うものだから、八十助が一人目を丸くしている。
三人は三様に一人で納得していた。
わけがわからないのは、ただ八十助一人だ。縛られている男は、もう驚く気力もないらしい。
「な、何ですか?」
「ん? いや、どこかで聞いた名だと思って」
「しゅみ、なんとか?」
「いや、東郷泰然。長州出身の維新志士にそんな奴がいたはずだ」
「うん、確か、一番隊にいたよね、安藤保典」
「ええ、千葉道場で名を聞いたことがありますよ。榊原道後」
ねえ、と三人が揃って顔を見合わせ、確かめあう。
確かめてもわかりっこないはずなのだが、そんなことはどうでもいいらしい。
とにかく、四天王のうち三人は、未知の存在ではないんだな、と納得することにして、八十助はやっと深く息を吐き出した。
もしかしなくても、この三人は人の寿命を縮めてくれる存在であるらしい。
「で、いつ行きます?」
今すぐにでもいいぞ、という素振りで、正己がこの道場の主に声をかける。
弘一郎はすばるを見やった。
すばるは軽く肩をすくめる。
「明日、早朝」
「じゃあ、この男、ちょっと片付けてきます」
当然のようにそう言って、八十助が男を担ぎあげる。
行ってらっしゃい、とすばるが手を振った。
男はようやくすばるのそばから離れられて、あからさまに息を吐き出した。
ちなみに、男は家宅侵入と器物破損の罪によって、御用となった。
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