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それからは、なんか、うちのご主人さまも吹っ切れたみたいで。
岳志さんの前でも、遠慮なくボクとおしゃべりして、時々通訳になったりした。岳志さんも、たまに仲間はずれになって拗ねちゃうけど、概ね順応したみたい。
ほぼ毎週遊びに来てくれる岳志さんは、お料理も上手。週末もお仕事で忙しいご主人さまのために、お昼ご飯とか晩ご飯とか作ってくれる。ついでにボクにもおすそ分けがあるんだ。ドッグフードなんかよりおいしいよ。
季節はだんだん暑くなってだんだん涼しくなって、最近ではとっても寒い。岳志さんと初めてお散歩に行ったのは春で、今は冬。窓の外は木枯らしが吹いてて、ものすごーく寒そうだ。ヤだヤだ。
ボクはもともと室内飼いで育てられてるから、寒いのはとっても苦手。暑いのも苦手だけど、寒いのはもっと苦手。
だから、お散歩のときはお洋服を着せてもらってるんだ。これも、岳志さんのお手製なんだよ。ご主人さまは意外だって言ってた。だって、なんか家庭的。
今日は、ご主人さま、朝からすごく嬉しそう。珍しく早起きして、午前中にお買い物に行って、帰ってきたらキッチンに立ちっぱなし。ボクにかまってくれたのはお散歩のときだけで、それもいつもより早く帰ってきちゃった。
何してるんだろう? 何かお料理作ってるみたいだけど。
「ケン坊。ちょっとおいで」
つまんなくて一人でクッションをがじがじ齧ってたら、夕方になってようやく、ご主人さまがボクを呼んでくれた。あーん、って言われて口を開けたら、何か放り込まれたけど。
あ、これおいしい。
「どう?」
(おいしいよ。何?これ。トリ?)
「七面鳥はさすがに手に入らないからね。鴨にした」
七面鳥? って何?
なんでご主人さまが嬉しそうなのか、いまいちわからない。こんなに寒いのに、ぐうたらなご主人さまが朝から動いてるなんて、前代未聞。
「ちょっと、ケン坊。前代未聞まで言う?」
(なんだ、聞こえてたんだ)
ホントに集中してるときは、ボクのイヤミなんて耳に入らないご主人さまだから、ボクはここぞとばかりにイヤミ連発する。それを聞いて怒らないご主人さまは、本当にいつにも増してご機嫌だった。
(何でそんなに楽しそうなの?)
「だって、今日はクリスマスイブだよ。岳志さんも早く帰ってくるって言ってたし。明日お休みだから、遅くなっても楽しめるし。わぁ、楽しみ〜」
ふふふ〜っと笑うご主人さまは、傍目に見てるとかなり不気味。しかも、かなり浮かれてるからボクが何を言っても無駄って感じで。
もういいや、って諦めて、ボクはリビングに戻るわけだ。
夜の7時を過ぎた頃から、ご主人さま、プリントアウトしたA4の紙を何度も読み直して著者校正をしながら時間を気にしている。岳志さんが帰ってくるのを待ちわびてるんだ。わくわくしてるのがボクにもわかるから、ご主人さまの膝に乗って丸まって、ボクもご主人様と一緒に時計を見上げる。
それから軽く2時間が経過。さすがに飽きてきたし、お腹もすいたけれど。
「9時くらいって言ってたから、もうすぐ帰ってくるよ」
って、ご主人さまは言う。だったら先にご飯食べようよ〜。って甘えても、今日はみんな一緒にご飯食べるの、ってお預けされちゃった。
あう。お腹すいたよぉ。
岳志さん、早く帰ってこーい。
ぼやいてたら、ジャーキーをくれた。おやつ、だって。
(でも、ボク、七面鳥がいい……)
「七面鳥じゃなくて、鴨だってば。岳志さんが来てからね」
(む〜)
今度こそ、もう、呪うくらいに、岳志さんに帰ってこーい、って呟いた。だって、あれ、おいしかったんだもん。
そしたら、どうやらお願いはすぐに叶えてもらえたらしい。
ピンポーン。
なんだか間の抜けたチャイムの音が、部屋に鳴った。
ぽいっと仕事道具を投げ捨てて立ち上がったご主人さまより一瞬早く、ボクの方が玄関に走り出す。二人揃ってお出迎え。
「お帰りなさいっ」
相手を確かめもせずに、ご主人さまが玄関を開けて。
そこに立っていたのは、まだスーツのままの岳志さんで、ボクたちが二人揃っていることにびっくりしたみたいだった。目がまんまるくなってる。
「ワン」
普段は、ここで鳴いちゃダメだよ、って言い含められてるから我慢してるけど、今日はもう我慢の限界。遅いよ〜って意味もこめて一つ吠えて、尻尾をぱたぱた振った。
そんなボクを見下ろして、ご主人さまは楽しそうに笑ってる。
「ご飯お預けくらって拗ねてるんだよ、ケン坊。着替えてきて? ご飯にしよ」
「あぁ、うん、そうだな。ん〜、良い匂い」
「へへっ。珍しく腕によりかけちゃった。期待して」
「オッケー。着替えてくるよ」
ぽんぽん、とご主人さまの頭を撫でるように叩いて、ひらひらと手を振って岳志さんがいなくなる。さ、食事にしよう、って言いながら、ご主人さまはボクを抱き上げた。
ご主人さま、岳志さんと並ぶとちょっと小さくて、岳志さんの目線の高さに頭がある。だから、頭が撫でやすい、って岳志さんが言ってた。最初は嫌がってたご主人さまも、最近は気持ちよさそうに目を細めるんだ。
仲が良さそうでほほえましい限り。
玄関に鍵をかけないで戻ってきたから、5分後、岳志さんは自分で玄関を開けて部屋に入ってきた。
「お待たせ、ケン坊」
リビングの入り口で、尻尾振り振り全開でお出迎えしたボクを抱き上げてくれた。リビングに敷いたコタツのそばに、ボク用の座布団とご飯皿。お行儀良くそこに伏せてると、ご主人さまと岳志さんが、ボクにご飯をくれる。
今日のメニューは、お肉の入ったスープと、さっきつまみ食いをもらった鴨の丸焼き。それに、ご主人さまたちはサラダがつく。ボクは一応肉食だから、生野菜は食べないからね。
ボクの目の前にご馳走が並んで、思わずヨダレが出ちゃった。でも、まだヨシが出てないからお預け中。
「うわ。うまそう〜」
(早く早く)
「ちょっと待って、ケン坊。ちゃんといただきますしてから」
ダメだよ、って人差し指立てて注意されちゃった。そんなこと言っても、お腹すいたんですけど〜。
もぞもぞ、ってコタツの中に足を突っ込んで、二人はそれぞれに、背の高いグラスにシュワシュワの飲み物を入れて、それをお互いにぶつけ合っていた。
「乾杯〜」
「メリークリスマース」
(めりくりす?)
何言ってんだかわからなくて、ボクが首を傾げたら、それって何か違ってたらしくって、ご主人さまがいきなり吹き出した。
何も前置きがなくてご主人さまが笑い出したら、ボクが何か変なこと言ったものだ、っていう認識が岳志さんの中ではすでにされてるから、いきなり笑うご主人さまを優しい目で見守って、彼自身はフォークを手に取る。
「うん、うまそう。いただきます。ケン坊、食べよう」
(わーい。いただきま〜す)
ようやくご飯にありつけた嬉しさから、思わずがっついてしまって。そんなボクを見下ろして、ご主人さまも岳志さんも楽しそうに笑っていた。
お腹がいっぱいになったら眠くなったボクは、そのまま座布団に寝そべって、グラスを傾けているご主人さまと岳志さんを見ていた。
ふと、ご主人さまが立ち上がって、テレビ台に載せてあった包みを持って戻ってくる。
それは、手のひらに乗るくらいの小さな四角い箱で。
「岳志さん」
「ん? ……あ、ごめん。俺、何も用意してない」
「うぅん。良いんです。これは、俺が勝手に用意したものだから。メリークリスマス」
ぐいって差し出されて、岳志さんはそれを嬉しそうに受け取った。それから、近くに膝をついていたご主人さまの肩を抱き寄せて、おでこにキスを一つ。
って、え? それは初めて見たよ、ボク。
「お礼に、なるかな?」
「……良いの?」
「間違ってなかったら良いんだけど。俺も、恩が好きだよ」
「岳志さん……嬉しい……」
……あ〜、そういうことですか。
これは、もしかして、ボクは寝た振りをしてた方が良いのかな?
だらん、と座布団の上にだれていたボクは、片目だけ開けてご主人さまたちを見てたけど、二人の距離がゆっくり縮まって、唇同士が触れ合った瞬間、目を閉じた。
大丈夫、野暮なことはしないよ。
(お幸せに〜。おやすみ〜)
ボクの声は、ご主人さまには聞こえたはずだけれど。幸せ絶頂なご主人さまから返事はなかった。
ちなみに、二人でお風呂に入って1時間も出てこなかったこととか、すぐに寝室に入っちゃって、ご主人さまの甘い声が開きっぱなしのドアの向こうから聞こえてきたこととかは、全部知らないフリ。
だって、次の日はご主人さまの運転する車で、岳志さんも一緒に、遠くまでドライブに連れてってもらって、ボクはご機嫌だったからね。
これからは、岳志さんもボクのご主人さまになるから、ご主人さまのこと、名前で呼ぼう、って決めたのは、きらきら光る広い海を、幸せそうに並んで見つめる二人のご主人さまの隣で、同じように眺めていた時のこと。
(良かったね、めぐちゃん)
「めぐちゃん、はやめようよ、ケン坊」
「ほう、良いね、それ。じゃ、俺も『めぐ』って呼ぼうかな」
「もう、岳志まで……」
顔を真っ赤にして拗ねるめぐちゃんに、ボクが実に気分良くなったのは、言うまでもない。
おしまい
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[mokuji]
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