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 自宅でお仕事をするご主人さまは、お買い物と資料集め以外はいつも、おうちにいる。っていうか、それ以外のときはボクも連れて行ってもらえる。

 普段車で移動をするご主人さまは、実は電車とかバスとかって嫌いなんだって。乗り物が嫌い、じゃなくて、そこにいたる人ごみが嫌いらしい。自分のペースで歩けないから、って。わがままだよねぇ、うちのご主人さま。

 その時は、毎日の日課になってる、夕方のお散歩に出かけるところだった。

 足が一本足りないボクは、安全な近くの森林公園まで、ご主人さまに抱っこして連れて行ってもらうから、その時もボクはご主人さまの腕の中だった。

 玄関を出たボクたちは、同じく部屋を出てきたお隣さんと、ばったり鉢合わせしたんだ。

 ご主人さまのおうちに来て、もう半年経っていたけれど、ボクがお隣さんを見たのは、これが初めてだった。

 だって、いつも留守なんだよ。今日ばったり会ったのが、珍しいんだ。

「あ、こんにちは」

 ご主人さまは、そのお隣さんとは面識があったらしくて、ぺこりと頭を下げて挨拶をしていた。ボクは、ご主人さまの腕の中で、じっとしてた。だって、お隣さんが犬好きかどうか、わからない。嫌われるのは、嫌だもん。

 こんにちは、と返してきたお隣さん、エレベーターはそっちなのに、なぜかボクたちの方に近づいてきた。それで、おもむろに、ボクの頭に手を伸ばして。

 ボクはびっくりして、ぎゅって目をつぶった。

 殴られる、って思った。そんなこと、ご主人さまがさせないと思うけど。でも、怖い気持ちはそんなに簡単にはなくならない。

 ふわん、って。頭の上があったかくなって。ボクは顔を上げたんだ。お隣さんは、ボクの顔を覗き込んでた。なんだかとっても優しい目で。

「古島さん、犬、飼ってましたっけ?」

「もう、半年くらいになりますよ」

「え、ホントに? えらいもったいないことしたなぁ、俺。お隣にこんな可愛い子がいたなんて」

「あれ? 大居さん、犬がお好きなんですか?」

「大好きです! っても、自分じゃ飼えないんですけどね。俺自身が忙しくて、構ってやれないし」

 大好きです!って言った後の彼の悲しそうな顔が、本当に残念そうで、ボクは何故だかうれしくて、ご主人さまを見上げた。わかりやすく、尻尾振りもスピード全開で。

 珍しく喋らないボクに、その理由はわかっているのだろう、ご主人さまは楽しそうに笑い出した。

「うちのケン坊も、大居さんのこと、気に入ったみたい。私たち、これからお散歩に行くんですが、もし良かったら、ご一緒に、いかがです?」

 ちなみに、うちのご主人さま、あまり社交的ではないほうだ。小説の中じゃ滅茶苦茶おしゃべりなくせに、外ではほとんどまったくしゃべらない。人に話しかけるのも稀で、お仕事の担当さんともまだ打ち解けていないみたい。

 けど、犬好きっていう共通点のおかげなのか、ご主人さまは珍しく、自分からそう誘っていた。なんか、嬉しい。

「……え?」

「え、あ、いえ。お忙しくなければ」

 聞き返された途端に、気が弱くなるし。ほらほら、しっかりして。お隣さんと仲良くなるチャンスだよ。

「えぇ! ご一緒します。よろしくね、ケン君」

(うん。よろしくっ)

 ワン、と鳴く代わりに思いっきり尻尾を振って、クゥンと喉を鳴らした。だって、ここ、集合住宅の、しかもお外だし。ワンって鳴いたらご近所迷惑。

「いい子だねぇ」

「苦労してるみたいだから。ね、ケン坊」

(それって真面目に答えて良いわけ?)

 尻尾振るのに疲れて、ちょっとダレてご主人さまの腕の中にうずくまる。どうせ、彼の前で僕に答えてくれるはずはないし。でも、まったく反応しないわけではなくて、ご主人さまはくすくすっと笑って返した。

 ここから森林公園までは、そんなに遠くはない。歩いて2、3分の距離。その間、ご主人さまはお隣さんとお話しをしていた。

 お隣さんは、大居さんっていう名前で、銀行の営業マンをしているらしい。普段は朝早くから夜遅くまで働きづめなんだって。だから、犬好きなのに、ペット可のマンションに住んでいるのに、育ててあげられないから犬は飼わない、って言ってた。

 お気の毒様です。でも、お仕事じゃしょうがないよね。

「へぇ。投信ですか。それで、あのマンション?」

「そう。普通の収入だけだったら、独身寮に入ってますよ、俺」

「あ、独身寮があるんですか?」

「えぇ。バブル時代の名残で、福利厚生は充実してるんです。毎日馬車馬のように働かされますけどね」

 ホント、ボクには何のことだかさっぱりわからない話を、二人でさっきからしてる。銀行のお仕事の話かな?って思ってたんだけど、なんだか違うみたい。大居さんは、趣味ですよ、って笑ってた。

 そのうち、公園に着く。結局、大居さんのお仕事と趣味の話しか聞いてないよ、ボク。しかも、ちんぷんかんぷんだった。寂しいな。なんか、のけ者にされた気分。

「ほら、ケン坊。遊んでおいで」

 いつもなら一緒に遊んでくれるご主人さまは、ボクを土の上に降ろして、そう言った。いつものようにリードもなし。せっかく買ったのに、もしかしたら、最初の2、3回しか使ってないよ。

 とはいえ。ご主人さまは大居さんとなんだか気が合ってるみたいだし、ボクはそこにいても楽しくないし。

 素直に、ボクもそこに降りた。向こうに、2丁目の鈴木さんとこのハナちゃんと相川町の小林さんとこのユウスケがじゃれてるから、遊び相手にも困らなそうだし。

(ハナちゃんたちと遊んでくるね)

 そう言って、ボクはご主人さまを振り返った。

 一緒に見えた、ご主人さまの隣の大居さんが、驚いた目でボクを見ていた。

 違う。正しくは、ボクの足元を見てたんだ。

(……嫌われちゃう?)

 それは、悲しい。何度もそうやってボクとご主人さまは遠ざけられてきたから、慣れているけれど。

 ボクに、頑張っててイイ子だね、って言ってくれた人ももちろんいるんだよ。向こうの鈴木さんとか小林さんとか。

 けど、逃げられたことの方が多い。それも、事実。

「……気になりますか? ケン坊の足」

「え? あ、いや。あの……。どうして?」

「事故ですって。車に轢かれて」

「半年前から飼ってるって言ってましたよね? じゃあ、その前から?」

「えぇ、そう。どうして好き好んで足欠けのなんか飼うんだ、ってよく言われます」

「……あ〜、それは、まぁ。思わなくはないですけど」

 どう反応していいのか、わかんないのかな? 大居さんは困ったように頭を掻いた。別に、思ったとおりに嫌がっていいのに。

 そうやって困ってる大居さんに、ご主人さまはとっても意地悪な笑い方をした。

「あのね。シェルターの狭いケージの中で、不貞腐れてたんですよ、こいつ。どうせボクなんて、って感じで。だから、連れて来ちゃいました」

 それに、あの足だからあまり歩き回らないし、悪戯するほど若くもないし、ちょうど良かったんですよ、だって。

 うーん。真理だ。

 行っといで、ってご主人さまが手を振るから、ボクは素直に走り出した。ハナちゃんとユウスケに呼びかけながら。

 ボクの背後から、ご主人さまが笑った声が聞こえた。

 ということは、大居さんと仲違いしなくて済んだのかな? だったら良いけど。





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