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「で? マァコ、明日の売り子は手配ついたの?」
「今年も一人よ。明美ちゃんも去年大学卒業して帰ってきちゃったし、他にツテが無いもの。仕方が無いわ」
「手伝おうか?」
「メグが?」
「そう。売り子。新刊買い漁りに行くんだろ? 店番しててやるよ。ついでに、俺の分もお使いしてきて」
ついでに、って、メグはもともとあまり自分で同人誌を買い求めるタイプではなかったと思うけれど。それに、即売会自体、恥ずかしくて行けない、って言っていた気がするのに。
これも、彼氏が出来た影響なのかしら。なんだか普通のことのように平然と言われちゃった。
「お仕事は良いの?」
「盆休みにまでせっせと働く業界では無いよ。それに、どうせこの時期は、夏コミに時間も人員も取られちゃうから、向こうから状況確認なんて絶対来ないし。ついでに、キツイ締め切りはこないだ一段落した」
岳志は仕事だしね、とついでのように言われて、岳志さんもくすくすと笑っていた。
「でも、ペット禁止だし」
「ケン坊、留守番できるよね?」
当然、と言わんばかりの反応に、私も一緒に振り返る。テレビを眺めていたケン坊は、こちらを振り返って、パタンと尻尾を振った。
「子供じゃないんだから一日くらい留守番できる、ってさ」
ってさ、って何? 尻尾一振りでわかるの?そんなこと。
私、思わずメグを凝視してしまったわ。私に見られているのがわかっているはずなのに、メグは楽しそうに笑ってるし。
「じゃあ、お願いします」
「はい、承りました」
ぺこり、と頭を下げれば、メグからも頭が下がってきて。
ソファに寝そべってテレビに夢中のケン坊が、滑り台を器用に滑って降りてきて、メグに擦り寄る。背中には、これまた器用にミーがしがみついてうとうとしていた。
「あぁ、うん。お休み。朝も言ったけど、今日は隣のリビングで寝てね」
だから、あぁうん、って何よ。いったい何の電波なわけ?
「ケン坊、ミー。マァコにも、おやすみって言いなさい」
「クゥン」
「ふみ〜」
え。今、言葉理解したの? 見事にタイミングよく鳴かれて、私はびっくりしてしまったわ。
「お、おやすみ、ケン坊。ミー」
返事は尻尾振り一つ。上手に窓を開けてスノコに降り、ピシャリと閉めて隣の部屋へ移動していく。その後姿を、私は呆然と見送るしかなかった。
岳志さんもお風呂へ行ってしまい、私はメグと二人でのんきに酒を酌み交わす。
会話が途切れたその瞬間を、私は見逃さなかった。
「ねぇ、メグ」
「ん〜?」
まったく、それは女友達の反応だわ、と思いながら。これ以上はもう、我慢の限界。
「ケン坊と、話してるの?」
「うん。あいつ、賢いからね。人の言葉理解するし、なかなか難しい言葉平気で喋るよ」
「喋る……?」
「そう。ケン坊を飼い始めたきっかけがだって、ケン坊の声が聞こえたのが一番最初なんだもん」
「こ、声っ!?」
いや、だから、ケン坊って、それ、犬だから!
「ありえない!」
「でもなぁ、ホントの事だしねぇ。さっきだって、テレビで何ついてたか見てたでしょ? あれ、ケン坊のお気に入りだからね?」
「七時のニュース?」
「そ。七時のニュース」
そ、その趣味も、ありえない。だいたい、ニュース番組を気に入ってるということは、内容を理解してるってことでしょう? 私だって、世界情勢なんかはついていけないのに。
「犬にしとくの、もったいないよねぇ」
辛口の日本酒を口に含みつつ、メグはくっくっと楽しそうに笑っていたけれど。
絶対、ありえないから!
結局。三日間お世話になる間に、メグとケン坊は本当におしゃべりしてるんだ、って納得する場面に何度も遭遇し、認めざるを得ない状況に陥った。
帰りは羽田まで送ってくれたメグに、私は最後の悪あがきを一つ。
「ケン坊、モデルにしないの?」
「ケン坊が寿命で天寿を全うしたら、考えるよ」
つまり、そんな気はさらさらないということ。現実に起こったからこそ受け入れられるものの、小説の小ネタに使うにはあまりに突拍子がなさ過ぎる設定なんだ。それを、わかっているらしい。
「その時は、私が挿絵を描いてあげるわよ。豆柴くんで」
「せいぜいデビュー目指して頑張ってください」
「言ったわね。今に見てろ!」
「そうそう、その調子」
あはは、と笑って私の背中をバシンと叩いて。
ゲートをくぐる私を、姿が見えなくなるまで見送ってくれた。優秀な売り子が在庫大処分してくれたおかげですっかり軽くなった小さなキャリーケースを引きずって、夏休みももうすぐ終わりだというのに大混雑の千歳行き搭乗口へ。
実に楽しい夏休みだったことを、ここに付記しておこう。
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[mokuji]
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