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 翌日から三日間は、今度は締め切り直前で本当に忙しくなってしまって、俺はまったく構ってもらえなくなった。

 風邪は一晩で治ったから、その影響というわけでもないんだろうけれど。俺が寝ているところにもぐりこんできて、数時間だけ仮眠して、俺と一緒に起き出して、俺を見送ったらまた仕事をする、そんな生活だった。徹夜しないだけマシだ。

 金曜日の夜、玄関を開けた俺の鼻先を良い匂いがくすぐって、恩の仕事のピークが過ぎたことを悟った。

 リビングに顔を出せば、恩はソファに座って打ち出した紙の束を赤ペン片手に見つめていて、その隣ではケン坊が、寝入ってしまったミーを抱えるように寝そべって、夜のニュースに熱中している。

 いつもの風景だった。

「あ、お帰り〜。今日もお仕事ご苦労様でした」

「恩も。お仕事お疲れ様。終わった?」

「うん、何とか。今校正待ちだよ」

 ちゅっとただいまのキスをして。

 台所を見れば、まだ恩も食べていないのだろう。鍋がコンロに掛けたままになっていた。この匂いは、肉じゃがかな? 恩の得意料理だ。

「ケン坊は、もうご飯食べたのか?」

「うん。ミーと一緒にね。おなかいっぱいだよ〜ん、って言ってる」

 肯定するように、ケン坊の尻尾がパタンと振られた。恩に遠慮してケン坊は最近俺が帰ってくる時間には寝てしまっているので、久しぶりにかまってやれるのが少し嬉しい。

 脱いだ背広をばさりとケン坊の上に掛けてやったら、わたわたと暴れるのがわかった。ホント、可愛いヤツだ。

 まぁ、犬の毛だらけになっても困るから、早々に助けてやるんだけどさ。

 ケン坊は、むぅ、と不機嫌になって、ミーを背中に乗せると、ベランダから外へ出て行った。あれは、寝に行ったな。気の効くヤツだ。

 立ち去り際、ケン坊は恩に何か言って行ったらしい。くすくすと恩は実に楽しそうに笑っていた。

「ケン坊、何だって?」

「ん。めぐちゃんが構ってやんないから僕が被害を被るんだ〜、だってさ」

「お。大当たり。ケン坊、よく見てるなぁ」

 っていうか、被害を被るって、よくそんな難しい言葉を知ってるよな、犬のくせに。

 ケン坊の言葉の尻馬に乗ってからかうと、恩は可愛い頬を赤く染めて「もう、岳志までそういうこと言うんだから」なんて拗ねて見せた。俺の恋人は、本当に、可愛い。

 俺、なんか、何気にメロメロなんですけど。

「さぁさ。お夕飯にしよう。お腹ペコペコだよ」

 きっと、著者校正という奴なのだろう。赤ペンの入った紙の束をパソコンデスクに置いて、恩は台所へ行ってしまった。俺も、部屋着に着替えて、シャツを洗濯機にセットする。

 リビングに戻れば、予想通りの肉じゃががホクホクと湯気を立てて迎えていた。

 今日の献立は、肉じゃが、アジの塩焼き、野沢菜漬け、わかめと麩の味噌汁にご飯。完全な和食メニューだ。

 恋人同士の関係になる前はね、俺が週末恩の家に来て仕事をする彼の代わりに夕飯を作る、っていう日課だったけれど、それは週末の俺の日課であって変わらないんだけどね、恩は料理がうまい、ってわかってから、なんだかその日課がもったいなかった気がするんだ。

 こんなにうまい食事を食い損ねていたんだからさ。

「そうそう。今日、ミーがね。魚の頭、齧ってたよ」

「お、そろそろ離乳食か?」

「だね。子猫って何食べさせたら良いのかなぁ?」

 刺身用のアジを自分で塩味付けてグリルで焼き上げたホクホクの身を、恩は器用に箸で崩しながら、そう言った。

 俺も恩も、ペットを飼うのは初めてでね。ケン坊はすでに成犬だったし、子供を育てるのは初体験なんだよ。いろいろ試行錯誤。

 明日にでもペットショップに相談に行ってみるか、なんて提案して、俺ははっとした。

 そういえば。明日、大事な用事がある。

「ごめん、恩。大事な話を忘れてた」

「……大事な話?」

 愛用の箸なんて持っていない恩は、五膳百円とかの安物の箸を使っているのだが、その、前回は俺が使ったか恩が使ったかわからない箸を口に咥えたまま、不思議そうに首をかしげた。

 まったくもう、どうしてこう、恩の仕草は無意識に俺を煽るんだろう。子供っぽいせいなのか?

 それとも、俺、欲求不満だろうか。

「なぁに?」

「俺、明日、見合いがあるんだ」

「……? はぁ?」

 まぁ、何の脈絡もなくそんなとんでもない告白をすれば、恩の反応も当然だと思うし。

 何を言われたのかはわかったのだろう。むっと眉間に皺を寄せ、恩は考え込んでしまった。俺はその表情に、慌てて言い訳を始める。

「いや、あのね。うちの部長がさ、取引先の社長の姪っ子との縁談を強引に進めてんだよ。で、まぁ、仕事のこともあるし顔立てなくちゃいけないし、会うだけ会って断るつもりなんだ。だから、恩が心配することは何もないから」

「ん? ……あぁ、うん。大丈夫。心配してないよ。バイならともかく、岳志、完全にゲイでしょ? ありえないもん」

 そこで太鼓判押されるのも、なんだか嬉しいような、嫉妬も少しはして欲しいような。

 それにしても、それだけわかってくれているなら、考え込んでしまったのは何だろう? 改めて不思議に思ってしまった。恩の顔を覗き込むと、俺の視線に気づいて、にこっと笑ったのだけれど。

「じゃあ、どうした?」

「ん〜。……ねぇ。俺も一緒に行っちゃダメ?」

「……心配してる?」

「じゃなくて。どっちかというと、珍しいもの見たさ。今度ね、アッキーたちのとこにお見合い騒動起こそうと思ってるんだけど、考えてみたら俺、お見合いって見たこともしたこともないんだよね。だから、雰囲気とか、良くわからなくって。遠くから見るだけだから。ダメ?」

 うーん。恩ってば、俺の恋人である前に、作家だなぁ。ちょっとしみじみしてしまった。

 アッキーっていうのは、恩がもっているボーイズラブ雑誌の連載の主人公の名前だ。ちょっぴり天然の破天荒少年で、恋人に口説き落されはしたものの、まだまだアマアマな空気には程遠いお子ちゃま。今後の成長が楽しみだ、って感じの展開で、俺も実は新刊を心待ちにしていたりする。

 恩に融通してもらえば自分で買わなくたって読者第一号で読めるんだけどね。そこはそれ、こじまめぐみのファンの一人として売り上げに貢献したい、っていうのもあるんだよ。

 しかし、いつも思うけど。恩のこの性格で、あのアッキーを誕生させるのは、なかなか至難の業だと思うんだよね。作家って、想像力が凄いと思う。

 どうかな?と俺の返事を待っている恩に、俺は少し安心して肩の力を抜いた。

「じゃあ、ケン坊とミーも連れて、ついでにドライブでもするか?」

「そうだね。あの子達にも気分転換させてあげなくっちゃ。お散歩、久しぶりだしね」

 明日は楽しそう、と嬉しそうに笑う恩に、さすがに苦笑を隠せないけど。まぁ、良いや。楽しいことは良いことだ。





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