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 スポーツクラブ通いを再開する、その初日。

 ペット同伴の俺たちを営業スマイルで迎えた受付嬢は、少し困った顔をした。

「申し訳ございません。身体に障害のあるペットの受け入れはしていないのですが」

 まだ乳児といえる小さなネコは大丈夫なんだそうだ。手間のかかり具合でいけば、ミーの方が手間がかかるだろうに、その判断基準が理解できない。

 きゅう、と悲しそうな声で鳴いて、耳をペタンと垂れさせたケン坊に、俺は気の毒になって受付嬢に食ってかかろうとしたら、今度はそれを恩が止めた。

「自分で歩けるのですが、ダメでしょうか?」

 その落ち着いた声色に、もしかしたら今までもそんな断られ方をしてきたのかも、と思わされた。

 そういえば、初めてケン坊の足の障害に俺が驚いたときも、恩は的確にその衝撃の元を言い当てたんだ。気になるか?と。

「規則ですから」

「そうですか。じゃあ、結構です。岳志、帰ろう?」

 マシンはどうでも、久しぶりのプールを楽しみにしていたはずの恩は、あっさりときびすを返して俺を促した。俺もいい加減怒ってはいたから、頷いて出口へ引き返す。

 その俺に、きっと受付嬢にも聞こえるようにだろう、恩にしてはめずらしいことに、はっきりと悪口を言ったんだ。

「公園の奥さんたちにも行ってやらなきゃね。ペット同伴可なんて嘘だ、って」

 ペット同伴可としたのは、もちろん、それに惹かれて来る客を狙っていることのはずだ。それなのに悪評を立てられては、商売上がったりだろう。

 そんな計算を、彼女はしたらしい。慌てて俺たちを呼び止めた。

「お、お客様。お待ちください。今、責任者に聞いてきますので」

 きっと、規則だ、という断言は、彼女の独断だったのだろう。ペットで障害持ちなんて、明文化するほどそうそうあることではない。

 慌てて席をはずした彼女を見送って、恩は俺を見上げ、悪戯っぽくウインクして見せた。

 あぁ、これ、計算ずくによる演技だったんだ。

 そう、実感させられた。ケン坊も、背中にミーを乗せたまま、ご機嫌に尻尾を振っていた。

 結果。ケン坊はミーとペット室でお留守番をして、俺たちはプールで泳いでいた。

 スポーツが苦手だなんて、嘘だろう、と俺なんかは思う。あれだけ家にこもっていてどうしてこの体型が保てるのか不思議なのだけれど、筋肉質ではないもののほっそりとスレンダーな身体を水に浮かべて、恩は幸せそうに水と戯れていた。

 どうやら、身体を動かすこと自体は好きらしい。ただ、球技が苦手で体育の成績が悪いから、スポーツは苦手、という言葉にすり替わっていただけのようだ。

 まったく、学校の成績基準には困ったものだ。

 本当はマシンを使いに来たはずなんだけれど。俺は楽しそうな恩に付き合って、プールで泳ぎまわっていた。

 水遊びというのは、実は運動不足の人間には効率的なスポーツだったりする。浮力で体重を軽減できるから油断して遊びまわるのだけれど、水を掻き分けるのには結構力を使うようで、二時間も遊べば疲れ果ててしまう。

 程よい疲労にプールから上がった俺たちは、マシン室に行く気も起きず、そのまま帰宅することにした。

 会計を済ませてペットたちをお迎えに行く。ケン坊はともかく遊び盛りのミーははしゃいで走り回っているだろうと思っていたのだが、予想に反して、ケン坊の伏せて丸めた腹の中で縮こまっていた。

 昼寝をして待っていたらしいケン坊は、さすがは犬で鼻が良い。俺たちの匂いに気づいたらしくて、片方しかない腕に乗せていた頭を上げて俺たちを見やった。ミーを口に咥えて自分の背に乗せ、お帰り〜というように尻尾を振り、恩がケージの扉を開けるのを待っている。

 ところが。恩の腕に抱かれた途端、ミーはケン坊の背中を飛び降り、ケージの隅へ脱兎の如く逃げていった。

 それはもう、思ってもいなかった行動だった。どう見ても、恩から逃げ出した、というようにしか見えない行動だったのだ。

「どうしたの?」

 戸惑ったのは、俺だけじゃなく、恩も同じだったらしい。話の通じる相手に尋ねるのは当然で、ケン坊を見下ろした。

 ケン坊の声は、恩にしか聞こえない。音を使って話をしているわけではないのは、言葉がわかる時点でそうなのだけれど、別に吠えた声が変換されるわけではなくて、どうやらケン坊の言葉は音ではなく恩に伝わるらしい。

 でも、背中を向けていたら良く聞き取れなくて聞き返していたり、遠い場所では声が届かなかったりと、普通に音になった言葉を聞くのと同じ行動をとるので、どんな原理なんだか良くわからない。

 もしかしたら、俺たち普通の人間には聞こえない音域の音を使っているのかもしれない、とも思う。ほら、人間って、ある一定領域の音しか聞き取れないけれど、犬笛ってもっと高音の音域で鳴るから犬には聞こえて人間には聞こえないんだとか、聞いたことがあるし。

 ケン坊の言葉を聞いて、恩は実にびっくりした表情になった。

「叩かれた!? ミーが? 誰に? 何で?」

 恩の言葉に、俺もまた驚いた。

 驚いて、それから、どうやらペット預かり担当職員らしい中年の女性がぎょっとしたのに気づく。

 それは、良く考えてみれば、それこそ電波でも受けたような反応なので、誰でも驚くのは当たり前だけれど。それにしてもその驚き方は尋常ではなくて。

 俺はその彼女の反応で、なんとなく事態の察しがついてしまった。嫌がって暴れるミーを無理やり抱き上げて、恩を連れて外へ出る。

 問い詰めてやりたいのは山々だが、恩がケン坊と話が出来るという事実は、一般には受け入れられないもので、ケン坊から聞いた、という事実も証拠にはなりえない。言いがかりだと言われればこちらには何の証拠も出せないわけだ。

 恩もわかっているのだろう。ケン坊からは何か言われているのだろうけれど、その愛犬をぎゅっと抱きしめて、逃げるように外へ出た。

 建物から出た途端、地団駄を踏んでいたのは、仕方のないことだろう。ケン坊もミーも、普段からずっと一緒にいるから、俺なんかよりもよっぽど大事に思っている恩だ。それが他人に乱暴に扱われたと知って、平然としていられる彼ではない。

「むかつく〜。何、あのばばぁ、最低!」

「……で? 理由は?」

 普段なら、まぁまぁ、と取り成すところだが。俺もさすがにむかついている。子猫を叩くとは何事か。しかも、この恩をして、『ばばぁ』と言わしめるのだから、相当の理由だろう。

「ミーがね、床でお漏らししちゃったんだってさ」

「……ケージに入ってなかったか?」

 預けたときはケージに入れたし、受け取りに行ったときも同じようにケージの中だった。床はちゃんとあったから、粗相をしてしまっても拭き取ればそれで十分のはずだ。

「子猫だからね。可愛いから飼い主が帰ってくるまで遊んでよう、とか思ったんじゃない? ミーだけ外に出したんだって。子猫なんだから、仕方ないじゃん。しかも自宅じゃないんだし。ねぇ?」

 ねぇ、という恩の確認文句に、俺は大きく頷いた。

 まだまだ離乳食にも至れないミーだから、家でもたまに床でお漏らししてしまったりする。ましてや環境が変われば、それは仕方のないことだろう。

 なるほど、道理で人間を怖がるわけだ。

 そもそも、この子は元々捨て猫なのだ。人間不信に陥ってもおかしくはない。

 俺の指に撫でられて、しばらくはふるふると震えていたミーは、ようやく安心したらしく、手の平の上で丸まって眠ってしまったらしい。そのミーをケン坊の上に乗せ、俺は二人分のプール用品を抱え直した。

「一度家に帰って荷物を置いたら、買い物にでも行こう。ミーとケン坊にご馳走してやろうよ」

「そうだね。ご機嫌直してもらわなくちゃ」

 賛同する恩の腕の中で、ケン坊は嬉しそうに尻尾を振った。





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