愛犬のいる日常 1




 俺が異性に興味を持てないと自覚したのは、けっこう遅かった。

 大学一年生で、初の彼女。周りがみんな幸せになっていく中で、自分だけ置いていかれた気になっていたから、好きでもない相手だったけれど、告白してきた女の子と付き合うことにしたんだ。

 大学生なんて、大人だからね。しかも、彼女にとってはもう三人目の彼氏だったらしくて、だいぶ積極的にアピールされて。

 別に、嫌悪感を抱くほど女がダメなわけではない。そこは男という生き物だから、それなりに反応もした。

 でも。結局初体験は失敗に終わったんだ。ふっくらとした胸にも、自分とは違う造りのソコにも、意欲はさっぱり湧かなかった。焦れば焦るほど、気持ちとは裏腹に身体が醒めていくんだ。

 その時は、初体験で緊張して、といって誤魔化したけれど。やっぱり彼女とは長く続かなかった。大学生にもなって彼女とそういう関係になれない男に、それでもついてくる女なんているわけないんだ。

 だからといって、男なら良いのかというと、その時はそんな発想すら思い浮かばなかったけれど。

 誰だったかな? 友達の一人が、ゲイモノの裏ビデオを入手してきてね。怖いもの見たさ、ってヤツだよ。五、六人集まっての、ポルノ鑑賞会で。

 他の奴らは次々脱落していく中で、俺だけは、平然とそれを眺めていた。

 平然、ではないか。ちゃんと反応してたんだから。

 ネコ役の男優も、別に可愛い系というほどの容姿ではなかったけれど。まぁ、そこそこイケてたかなぁ? 俺の趣味じゃないから、そう何度も見たいとは思わなかったけれど。男相手なら出来るのかも、っていう、自覚の兆しだった。

 自分が、意外と面食いだと知ったのは、新宿二丁目に通ってしばらくしてから。結局彼氏は出来なかったけれど、自分はタチだと自覚したのは一度ヤラレてみてからだし、そういう意味では、なかなかチャレンジャーだったかもしれない。

 今はもう、自分という人間を思い知ったからね。だいぶ遊びなれたし。

 でもね。三十代っていう節目が見えてくると、やっぱりちょっと焦るね。特定の恋人が欲しくて。

 ちょうど、そんな頃だった。

 大学生の頃にちょっとオミズ系のバイトもしてたから貯まってた貯金を使って、仕事の研修の一環だった投資信託業務実習に、同僚たちよりも多い金額を使ってみたら、IT流行の影響を受けて、ちょうど読みが当たったんだ。賭けた金額が多かったから、戻りもそれなりだった。ちょっと格上のマンションの元手にはピッタリでね。

 それまでは独身寮に入っていたんだけれど、寮といえば共同大浴場が付き物だろう? 俺のような性癖の人間には目に毒なんだよ。だから、一人暮らしがしたかったんだ。

 そんな、諸々の事情がうまい具合に重なった結果が、今住んでいるそのマンションだ。

 都心から急行電車で三十分。近所には森林公園もあるし、駅も近くて歩いて五分。まったくもって、好立地だった。

 そのマンションのお隣さんに、彼が引っ越してきたんだ。

 ちょっと年下で、大学を卒業したばかりだという彼が、何故こんな高価いマンションを購入できたのかは謎だけれど。まぁ、きっと親のすねなんだろう。

 そんなことよりも、引越しの挨拶に来た彼が、俺にとっては好みのど真ん中だったことが重要なのさ。

 出会いはまさに運命的だったんだけどねぇ。だって、この俺が、一目惚れだよ。自分でびっくりだ。

 ところが。彼とはそれっきりだった。お隣なのに、まったく会わないんだよ。平日は朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくる生活だから、きっと彼とは時間が合わないんだ。

 彼が引っ越してきて半年経った頃だった。休みの日はスポーツクラブへ汗を流しに出かけるんだけれど、その日は前の日の飲み会の影響で二日酔いが残っていて、クラブに行く元気はなくてね。夕方になってから森林公園に散歩にでも行こうと思って外に出たんだ。

 玄関先で、ばったり会った。玄関を開けたタイミングがほぼ同時。

 彼の腕には、子供なのかそういう種類なのか、腕に抱けるくらいのサイズの柴犬が抱かれていた。

 瞬間。これはチャンスだ、と思ったね。彼にお近づきになる口実が、彼の腕の中にあるんだ。これを逃す手はない。

 それが、まだ梅雨前だったはずだから、それからクリスマスまでは片思いだったけれど。それでも、出会ってそれまでの半年間を考えれば、とんとん拍子の急接近だったんだと思う。

 思わせぶりな行動で告白してくれたのは彼の方で、そのきっかけを逃がさなかったのは俺の方で。

 以降、幸せな日々を送っている。

 彼の名前は古島恩。ボーイズラブとかライトノベルズなんかを書いている、小説家だった。マンション購入資金に納得。




 彼と付き合い始めてしばらくして、俺のほうが先に痺れを切らした。鍵をかけないと無用心な玄関越しに二つの部屋を行き来するよりも、二つの部屋を仕切っているベランダの仕切りを取り払ってしまった方が、便が良い。防災用に、簡単に蹴破れる作りになっているそれは、ドライバー一本で簡単に外れるんだ。

 俺たちの部屋の間取りは、恩の家の寝室と俺の家のリビングが壁越しになる形で、それはこのマンションの共通の作りらしい。反対のお隣さんに俺たちの関係をばらさないためにも、寝室は恩の部屋、は確定。

 ばれているのはわかっていても、ケン坊に聞かれたくない、という恩の要望にしたがって、ケン坊の部屋は俺の部屋のほうの寝室に変更し、ついでに、俺が疲れて寝ているところで仕事は出来ないから、という理由から、恩の仕事部屋はリビングに移動した。

 一緒に生活して、驚いたよ。恩の生活リズムの規則性のなさは、俺にはついていけない。

 一応、朝昼晩の認識はあるらしいけど、それも、ケン坊の「お腹すいた〜」のおねだりが基準になっているようで、だいぶ曖昧。朝早く夜遅い俺の生活リズムも、彼にとっては時間感覚の指標になっていたらしい。それだけ、崩れまくっている。

 恩にとっては、朝も昼も晩も関係ないらしいんだ。仕事はいつでも出来る分、いつでもしなくちゃいけなくて、確かに新刊の頻度が高いから、それだけ忙しいのも良くわかる。

 それでもね。締め切り前の修羅場でない限りは、俺の分の夕飯は作っておいてくれるし、いってらっしゃいとお帰りのキスは忘れないでくれる。夕飯が、冷め切っていたりまだ温かかったりするのは、ふと気がついたときに作ってくれるんだってわかるんだ。ちょうどそのときに自分も食べてるんだろうね。

 季節が一つ過ぎる頃には、恩の生活リズムとうまく付き合う術を自分で見つけられるようになっていて、今度は、彼の健康を気にしてあげる余裕が出来た。

 週末のスポーツクラブ通いを再開することにしたのは、桜も散りきった頃のことだった。

 近くの森林公園が、恩とケン坊の散歩コースで、そこで拾ってきた猫のミーも我が家に懐いたし、ちょうど良い頃合だった。

 ミーは俺たちのペットというよりはケン坊のペットでね。ミーを飼い始めてからでも、恩の手はそんなに煩わされていないらしい。

 俺の通っていたスポーツクラブは、ペットの預かりサービスをしていてね。散歩のついでに大変助かるサービスだと思うよ。

 ケン坊は、本当に賢い犬だった。恩と話が通じるなんていう反則な特技も貢献しているのだろうけれど、それを抜いてもケン坊は実に賢いと思う。

 そもそも、テレビのニュースを見るのが趣味なんて、犬としてどうよ、って思わないか? しかも、そのネタで恩と意見を戦わせるっていうんだから、最初に聞いたときは度肝を抜いたよ、俺は。

 その賢い愛犬は、その知力で俺たちの関係を良く理解して、遠慮することも知っているらしいんだ。仕事中の恩にちょっかいを出す俺をちらりと見上げて、ミーを連れてそっと隣の部屋へ移動していくケン坊の後姿に、俺はそれを実感する。

 そんなケン坊は、俺が提案した、散歩のついでにスポーツクラブへ、という案に、恩より先に乗ったらしい。めぐちゃんは絶対運動不足だ、って太鼓判を押したそうだ。飼い主思いの可愛い愛犬だよ、ケン坊は。





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