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六歳のあの日以来、俺は同時に二つの世界で生きている。
あの第三次大戦が起こったこの世界と、起こらなかった別の世界。
こちらで生きる一日と同じ日をあちらの世界で一日分過ごすから、実質俺の人生は二倍になった。
精神だけが行き来しているらしく、こちらで怪我をしていてもあちらではピンピンしていたり、でも戻ってきたら怪我はそのまま治っていなかったり、なんていう状況なので、正直戸惑うことの多い人生だ。
何しろ周囲で昨日と言っているそれは俺にとっては一昨日なんだから。
その戦争が起こらなかった平和な世界で、俺は恋人とラブラブな毎日を過ごしていた。
高一の夏に転入してきた彼は県内有数と言われる進学校にあたるその高校で転入試験に余裕でパスする天才児な上、バスケの上手い文武両道。
最初からその眩しい存在に憧れていた俺は、一目惚れした上情熱的な台詞回しで口説いてきた彼にあっさり落とされて、去年のクリスマスくらいから付き合っていた。
その彼に、こちらの世界での愚痴を夢の話として何度か語ってはいた。彼は面白そうに話を合わせてくれていた、と思っていたんだけど。
それがまさか、彼も同じように二つの世界を生きている人だったなんて。
身内を騙くらかしていた俺が言うのも何だけど、寝耳に水だ。
ってか、気付かなかった俺が随分と間抜けだ。
彼の名前は天野皇。
向こうの世界で付いた渾名は『陛下』だ。真ん中の文字を抜けば『天皇』ってなるのがその渾名の由来なのだけれど、随分と仰々しい渾名だと思う。
一方の俺の名前は斎木稲荷。
コンちゃんはまだ良いとして、おキツネ様だとかアブラゲだとかで人を呼ぶのは正直やめて欲しい。
渾名程度で目くじら立てるほどガキでもないので大人しくしているけどさ。
そういう平和な高校生活に一気に引き戻された感じで、俺は呆然と彼を見つめてしまっていた。
その俺の視線に少し恥ずかしそうに目元を赤らめて、皇が俺のスポーツバッグを拾い上げてくれる。
「さ、行こうか」
「……え、あ、いや、それ、自分で持つから」
「大丈夫。この程度、俺なら重いうちに入らないけど、稲荷には重いだろ? 元々荷物持ちに来たんだから、持たせてよ」
本当に軽々とは言わないまでも楽に持ち上げてくれる皇に、遠慮する仲でもないせいもあって素直にお願いする。
そうして、俺を促して歩き出した彼を見上げた。
身長は彼の方が頭一つ分くらい高いからいつも見上げているので、違和感がまったく感じられない。
「皇もあの学校に通ってる人だったんだ」
ほとんど呟くような俺の言葉を聴きつけて、皇は何故だか可笑しそうに笑って返してくる。
「そうだよ。随分早い頃からね。小学生にしちゃ力持ち過ぎたからバレやすかったんだよ」
「力持ち?」
何やら力持ちであること自体が異能力であるかのような発言で、不思議に思って首を傾げる。
その俺に彼は肩をすくめてから頷いて答えた。
「稲荷は不思議な力ってタイプの能力だからまったく重なるところが無いけどね。
俺の異能力は通常の人間が持つ力が異常出力を起こすタイプなんだ。
脳の活動とか筋力とか視力とか聴力とか、そういう普通の力が普通の人の二、三倍になった感じ」
異能力にはそんな力もあったのか、と目から鱗な事実だった。
自分自身が異能力持ちだったから、異能力とはこういうものだと決め付けて他の可能性を考えてなかったんだ。
考えて見れば確かに、きっかけはほとんどが同時期であってもそれぞれが別々に目覚めているわけで、いろんなパターンがあって当然だ。
「他にもいろんな能力があるの?」
「ん〜。まぁでも、大別すると俺タイプか稲荷タイプかどちらかだね。後は、その中でもこの能力が得意とか、その程度」
ふぅん、と答えるしかなかった。
逃げ隠れて暮らしていたせいもあって、異能力使いの知り合いは今のところ皇だけだから、彼の言葉を信用するしかないんだ。
よくわかってない返事をする俺に、皇は優しく笑ってくれた。
「しばらくは俺が付きっ切りだから何でも聞いて。今のうちにね」
「……こっちではまだ知り合いじゃないのに、それって良いの?」
「ちゃんと大義名分を得て迎えに来てるんだよ。
俺は稲荷が入る予定の朱雀寮の寮長だから、新入りの面倒を見るのは当然だろ?」
それよりしばらく稲荷の周囲が騒がしいだろうからそれのサポートって意味合いが強いんだとか何だとか。
そう続けて苦笑する皇に、何が何やらさっぱり訳のわからない俺はポカンとしてしまったけど。
「稲荷は四年ぶりの新入りだからね」
その一言で意味がわかったよ。
つまり、珍獣だ。
珍しいものに対する興味や十年もの長い間世間を騙し続けたことに対する畏怖、平穏な生活を送ってきたことへの妬みや僻みや、いろいろな感情に晒されるのは予想が付いた。
思わずため息も漏れようというものだよ。
「先に知らせておくことが一つだけ。
稲荷の力はこの学園でもトップクラスだからね。
目立ちたくなかったら隠しておくことをお勧めするよ」
「トップクラスって言っても、俺だって大したことはできないよ?」
「何言ってんの。
ハワイに家族旅行に行って、向こうから忘れ物を取りに戻ったんだろ?
学園の転移能力者の最高移動距離、二キロだからな?
稲荷は正直、桁が違う」
いや、桁っていうか。
人の目があるから安全な場所にしか出られないっていう制約があるだけで、理論上は座標さえわかっていれば行き先なんて宇宙の彼方でも可能なんだけど。
まぁ、ちょっとした誤差で宇宙空間に放り出されるリスクを考えれば、せいぜい太陽系圏内が現実的だけどね。
けど、そうか。他の人には距離に制約があるのか。
それは良いことを聞いた。大した距離は動けないように偽っておけば面倒ごとも回避できそうだ。
「そういう一般的な能力値って、後で教えてくれる?」
「毎年能力分類別に一般値と最高値をまとめてる資料が配布されてるから、それをやるよ。
他の人がどんな能力を持ってるのかとか、知っておいた方が良い」
確かに。
皇の持っている能力も認識すらしていなかった俺は、多分絶対的な知識量が足りない。
しばらくは様子を見つつ勉強しなければ。
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[mokuji]
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