22
救護室に行くと、カーテンの閉められるベッドに案内されて傷を見せるように指示された。
昨夜のキスマークが結構くっきり残っているから少し恥ずかしかったのだけど。
大量のキスマークを見て、相川医師は驚くというより哀れむような表情を見せた。
「恋人がいたのか。気の毒なことを……」
「あ、いえ。これはこの学校の生徒だから、気の毒なんてことないです」
「え? ……昨日来たばかりで?」
多分、一昨日以前のものだと思われて気の毒がってくれたのだと思うのだけれど。
むしろこちらの世界では昨夜が初体験なくらいだったから、まったく逆だ。
けど、確かにあまりにも早すぎる展開で何と説明したら良いのか悩んでしまう。
ここは皇の一目惚れ論を使わせてもらおう。
「昨日お世話になった天野君に口説かれまして」
「天野というと、朱雀寮の寮長だね。君の世話係を任されたはずだ。無理矢理では?」
「いいえ。他人からそんなに熱心に口説かれたのって初めてで嬉しかったんです。とても優しくしてくれました。
まさか今日先生に見せなきゃいけないと思ってなかったから。すみません」
「ああ、いや、同意なら良いんだ。
そうか、早速心強い味方を手に入れたのだね。仲良くすると良い。
さて、傷の方を診ようか」
納得どころか祝福されてしまって少し面映い。
もう一つの世界のことはどうやら能力者全員が秘密にしているようで皇にもきつく口止めされていたから先生に話せなかったけれど、だからこそこんな微妙に無理のある言い訳を信じてくれたのが嬉しかった。
戦争で傷を負った国民は、その被害の度合い毎に治療費の国庫負担が受けられる。
俺は最上級より一つ下の二級被害者の被害者手帳を持っていて、かかる医療費は入院中の食事代とその他経費の一割、外来診療費の三割のみになっている。手術費用は全額国が負担だ。
そうでなければ、皮膚の移植手術を計十八回なんて受けられなかった。
被害後すぐに受けた開腹手術で、腹部圧迫で壊死した小腸五ヵ所と肝臓の一部を摘出し、五ヵ所の骨折のうち大腿骨の複雑骨折と肋骨の骨折には手術を受けているし、背中の移植痕は新旧あわせてまるで蜘蛛の巣。
全ての傷を検分して、相川医師は俺の希望通りにプール授業の免除命令書を書いてくれた。
医者が「多少ではない」と判断した証拠だ。免罪符に等しい。
それから、食堂の今日のお昼ご飯を配達してくれた広報の清水氏と三人で食事の時間になった。
よく話を聞いてみると、この清水氏は学校の広報官の他に学務の全てを取り仕切っているそうで、しかも現在この学校の高校三年生とラブラブの恋人同士なのだとか。
学校に隣接する職員宿舎に恋人を引っ張りこんでいるツワモノだった。
何か妙に親近感が湧いてしまう。
「実はね、君をこの学校に入れることにだけは罪悪感を感じてないんだよ。
ご両親と行き違ったままなのは申し訳ないと思うけれど。
今、比較的幸せでしょう?」
何だか意味深な決め付け方をする清水さんに俺も多分相川医師も不思議そうな表情をしたのだと思う。
意外にも人の悪い笑みを見せて、清水さんは食後のお茶を飲み干し俺を見つめた。
「私の恋人は名を野川岳人といって、もう一つの世界でめぐみが丘高校に通っている。
天野くんはこちらでもあちらでも有名人だからね。話はよく聞いてるよ」
つまり、先ほど誤魔化した内容があっさりバレたわけで。
もう一つの世界、と能力を持たない人に言われたことに少し違和感を覚えたけれど、俺と皇の関係はとっくに知られていたことに肩の力が抜けたのも事実だった。
「もう一つの世界というのは、あれかな? 少年期の逃避行動といわれる集団夢現象」
「えぇ。何年か前に偉い精神科の医師がそう結論付けてますね。戦争が起こらなかった世界ですよ」
相川医師はあからさまに疑惑の眼差しで、清水さんはあっさりと断言。
どうやらこの人は夢の話だとする学説よりも恋人の話を信じたらしい。
「惜しむらくは、私のように能力を持たない人間は精神の行き来ができないということだ。
向こうの世界でも能力に苦労している恋人を、助けに行くこともできないのだからね」
「恋人さんは、どんな能力なんですか?」
「かなり厄介な能力だよ。世界に愛されすぎてしまったんだ。
意思を持って触れない限り、無機物はすべて身体をすり抜けてしまう。
地面の下に沈まないのが唯一の救いでね。
体調を悪くしてベッドで寝ているとベッドも床もすり抜けて落ちていってしまうから危険すぎて、寮の部屋は一階に割り当てているほどだ」
合成繊維も抜けてしまうから綿や毛などの有機物でできた服しか着られないし、寮のベッドはすべて鉄のパイプベッドでクッションも合成繊維だから、綿のシーツのみが頼りなんだとか。
困ったものだよ、と本当に心配そうな清水さんに、愛してるんだなぁと実感した。
しかしそれにしても。
意外と身近なところに能力者っているものなのだ。
まさか同じ高校に通っている人がまだいたとは思わなかった。
ということは、他にも可能性があるということだ。
皇と彼に付随して俺自身も有名人だからこそ、敵意を持たれたら危険な状況。
皇にも注意を促しておかなくちゃ。
「寮の部屋割りも私の判断で勝手にさせてもらったんだよ。丁度空いてて荷物部屋になっていたからね」
基本的に、北側の部屋は空き部屋が多いらしい。
南向きの部屋から埋めていって、北向きの部屋は玄武寮から順に入れていったら、朱雀寮は北側がほぼ丸々余ったわけだ。
他の三棟と違って朱雀寮の北側は中庭からも他の棟の南向きの部屋からも丸見えな上に、北向きだから当然日当たりも悪くて最悪なんだ。
お蔭様で俺には最高に幸せな部屋割りで、感謝している。
皇は嬉しい偶然だと言っていたけれど、ちゃんと事情を知っている人の意思が介在していたわけだ。
「お気遣いありがとうございます」
「どういたしまして」
「……つまり、どういうことだね?」
話に置いていかれたままだった相川医師に咎めるように尋ねられて、俺はバツが悪くて俯いてしまい、代わりに清水さんが答えてくれる。
「天野くん……朱雀寮の寮長が、彼の向こうの世界での恋人なんですよ」
「夢では……」
「ないですね。彼らは本当に二つの世界を日ごと行き来して生きています。
少年期に限定されて認識されているのは、彼らがもう一つの世界での平穏な日々を邪魔して欲しくないと考え口をつぐむからですよ。
学生たちはみなそれぞれにもう一つの世界で、親元で育ち普通に学校に通い普通の人生を謳歌している。
そうでなければこんな抑圧された生活に耐え切れないのでしょう。
異能力を持つとはいえ彼らもそこらの同年代と変わらない青少年ですから」
一応この国の軍は希望者のみの職業軍人で構成されている。
望みもしないのに強制的に軍へのレールが敷かれるのは俺たちのような能力を持った子供たちだけだ。
それだけに反発心も強い。
それでも武力による強要まで至っていないのは、ひとえに俺たち能力者のストレスが自然と分散されるようにできているからだ。
その逃げ道を確保するために管理者に悟られないように隠そうとする行為は、自然な保身行動だと清水さんは力説した。
「他言無用に願いますよ、先生。学生たちの心の平穏を守るためです」
大切な人を守りたいがためのその言葉に、相川医師は神妙な面持ちで頷いてくれた。
[ 22/63 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る