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 この学校は、東京都と神奈川県の県境に横たわる大き目の川が作った平地の只中にある、都立の共学高校だ。
 成績で見れば地域の中では一番の進学率を誇るが有名高校に比べれば偏差値の高い大学への輩出数はさすがに劣る、といった普通の進学系高校である。

 その学校で、俺は学年で上位五十名の中に入る程度に可も不可もない成績上位者に含まれていて、皇は当然のように常に上位十人に数えられる最優秀候補の一角を担っている。

 まぁつまり、学力的には俺と皇のレベルは大差ないわけだ。
 あの反応スピードにはもちろん敵わないけれど、それなりの時間をもらえれば俺だって同位置につける。
 おかげさまで、皇からは「俺なんか稲荷に比べればまだまだ」という評価をもらっていた。
 いや、もちろんお世辞だと俺は受け止めている。

 そんなわけで、授業のレベルもそれなりに高い。
 内容が進むスピードはおそらく他校と同じだけれど、教科書の他に参考書まで授業で触れるのは全教科共通だし、数学や理科などはさらに応用問題集まであって、基本をそこそこ説明したらいきなり応用問題集に入るような端折り方を普通にされる。
 学生たちには自主的な予習を求めているようで、予習するかその場で理解するかしないとすぐに授業に置いていかれてしまうような進行速度だ。

 ちなみに、俺はありがたくも文系脳で文章の理解スピードには自信があるし、こんな能力を持っているおかげで感覚的な空間理解力もそれなりのため、生物学以外で後れを取ったことはない。
 ちなみに生物はなんだかものすごく苦手だ。

 苦手といえば、芸術と体育も苦手だ。
 双方共に五段階中二しか取ったことがないから、どのくらいのレベルかは推して察して欲しい。

 一方の皇は万能選手だ。
 文系も理系も体育もそつなくこなすし、絵もうまい。
 音痴だという欠点も、芸術選択が美術だから影響ない。
 芸術も体育も含めての五が横並びの通信簿は見る分には圧巻で。
 反対に俺の通信簿を見ると端の二教科だけが二なので、この落差もけっこうすごいと思う。

 火曜日であるこの日。
 体育と芸術がない分六時間みっちりの詰め込み授業な時間割で、クラスのテンションは一週間の中で最も低い。
 しかもオーラル、国語、日本史、古文漢文、昼休みを挟んでリーダー、代幾、基礎解というラインナップはもう、眠気を誘うベストバランスといえるだろう。
 俺は学校の授業のみに勉強の時間を振り分ける短期集中型なのでさすがに授業中に寝たことはないけれど。

 そんな退屈ともいわれる苦行の合間に皇の演説が入るのは、俺にはちょっとしたご褒美的だ。
 皇の声は低すぎず良く通る良い声で、実にスピーチ向きなんだ。
 身体にジンと染み入る感覚は俺限定だと嬉しいが。

 昼の放送では、候補者三人の演説会の前に今回の選挙の説明が選管の担当教諭からあった。
 今回の選挙は生徒会長を決めるものであって、他の生徒会役員は決まった会長に人選がゆだねられること。
 選挙は来週の火曜日で、朝のホームルームで投票用紙が配布され当日六時までに生徒会室前の投票箱に入れること。
 投票率に関わらず得票数の最も多い者に決定すること。
 学校という限られた空間での選挙ではこんなもんだろうという規約だ。

 説明の後で、三人の候補者の演説が行われる。
 持ち時間は一人五分。
 トップバッターが皇だった。
 訴えるような演説はそれでいて自分自身を売り込むような直接的な表現が使われていない。
 実に切々と訴える五分間だった。

 他の二人も、学力的にも人気的にも皇に引けを取らない優秀な生徒たちだ。
 おかげで、客観的に三者甲乙つけがたい三つ巴の接戦だった。
 皇はバスケ部でも活躍するイケメンなので女生徒の人気を集めやすいけれど、俺と付き合っていることを隠そうとしないから生理的嫌悪感を持つ人もそれなりにいるし、女性に人気がある分男の反感を買いやすい。
 後の二人も、一方は吹奏楽部で演奏会ではソロを務める花形トランペッターだし、一方は学生が最も多く利用する通用口の横にある弓道場で弓を引く姿を毎朝披露して人気を集めている渋い武道家だ。
 いずれも女性人気は高くて、その分男がどう動くかは予想できない。

 三人の生徒会長に立候補した目的は多分同じだろう。
 大学入試での内申点稼ぎ。
 一般入試ならば無関係に近いだろうけれど、推薦を受けるならば大変重要な要素だ。

 皇の将来の夢は、裁判所の判事だそうだ。
 そのためにはともかく司法試験をパスしなければならなくて、直近の目標は有名大学の法学部に入学すること。
 もう一方の世界では為し得ないからこそ、思いは強い。

 俺の目標は一級建築士だから、大学以降はバラバラの進路が確定だ。
 それを惜しむ気持ちはまったくない。
 進む方向が違うからこそ、プライベートではお互いを優先しようという気持ちが湧く。
 進路が違うからこそ住むところは同じにしたいとは思うけれど、それは再来年の話だ。

 お昼の放送がいつも通りの音楽番組――うちの放送部の生放送だ――に変わって食事を終えた生徒たちがそれぞれに休憩時間を楽しんでいるような穏やかさを取り戻しても、演説を終えた皇はさっぱり教室に戻ってこなかった。
 選挙の説明か何かのために教師に引き止められているのかもしれないが、どちらかというと帰る道すがら女子たちに囲まれて身動きが取れなくなっている可能性の方が高い。

 午後の授業の前に手洗いを済ませておこうと教室を出れば、この二年生の教室が集まっている階の階段口を中心に黒山の人だかりだった。
 中央に囲まれているのが今回敵同士の三人。いずれも人気者の三人だから、相乗効果はものすごい。

 脇をすり抜けて行く俺を目敏く見つけた皇に、思いっきり困ったような苦笑を見せられてしまった。

 この三人。普段は会えば挨拶をし合う程度には親しい関係で、別にいがみ合っていたりするわけではない。
 それぞれがそれぞれに相手の実力は認めているし、自分と近い能力値だと認識しているからこその信頼もある。
 だからこそ、今回の選挙で誰かが会長に決まるとしても、結局は全員が生徒会の役員になって集まるのだろうと周囲にも見られていた。
 だからこそ、三つ巴の戦いの割りに白熱しない選挙戦だ。

 予鈴に助けられて人だかりを逃げ出してきた皇もそんな意識はあるようで、当事者の割りに随分と余裕だった。





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