10
目が覚めると、自分の部屋だった。
わかっていても、目が覚めた瞬間はビックリする。
部屋の外では朝練のある弟が廊下をドタバタと走り回っていた。
ちなみに、第三次大戦のなかったこの世界でも、日常生活に発生する事件の半分くらいは同じで、一昨日まで両親は祖母を見舞いに出ていた。
寝坊して弟を叩き起こした後空間を渡って学校へ行ったのも同じ。
ただ、第三次大戦があった世界を先に体験するため、郵便配達の人に見られないように家の中から空間を繋ぐように気をつけたけれど。
目が覚めたのは目覚まし時計の鳴る一分前で。
ビックリして呆けているうちにそれがけたたましい音を立てた。
ベシッと叩いて音を止めてベッドを降りる。
キッチンに顔を出すと、弁当を作ってくれていた母にビックリされた。
まぁ、目覚ましのスヌーズ機能を使い果たして母に起こされるまで寝ている俺としては確かに早起きだけど。
「おはよう、稲荷。
今日は珍しく早いのね。何かあった?」
こちらの世界では、俺は家族と仲違いをしていない。
彼女にとっては普通の反応だろうけれど、母を悲しませてしまった世界をも生きている俺にはなんだか感動してしまうのだ。
「ん、別に何も」
極力普段どおり素っ気なく返して、ダイニングテーブルに置きっぱなしのトースターに食パンを突っ込んだ。
洗面所で身支度をしていた弟も後ろから現れて、やっぱりビックリした声をかけてくる。
「あれ? 兄貴、今日早いじゃん」
言いながら、たった今入れたばかりのトースターの食パンを一切れ取って口にくわえる。
ってか、焼けてないどころか温まってもいなくないだろうか。
「おい、こら。お前な」
「え? 俺のために焼いてくれたんじゃないの?」
「まだ焼けてねぇって言ってんの」
俺は元々食パン一切れが朝食だ。
わざわざトースターに二切れ並べたのは弟の分だったから文句はない。
といっても、確認もしないのは礼儀知らずだとは思うけど。
「良いよ、別に。あったかまってる」
いや、それは日本語としておかしい。
まぁ、わかっていてわざと間違って言っているのことは知っているから構わないが。
たまにはまともな日本語を使え、と思わなくもない。
そうこう言っているうちに残ったもう一枚はこんがりと美味しそうに焼けた。
マーガリンを塗るときのザラザラという音が食欲をそそる。
のんびりと朝食を楽しんでいる間に弟は大急ぎで出かけていき、母に追い立てられて俺もハンカチで包んだ弁当箱を片手に自分の部屋へ戻る。
カバンに弁当とノートと財布を入れて肩から斜めがけにして、自転車の鍵を手に家を出た。
こうして時間に余裕を持って自宅を出れば、片道三十分の自転車通学は良い運動だ。
教室に着くと、皇が先に来ていて宿題をやっていた。
やるのを忘れたのか、昨日教材を学校に忘れて帰ったのか。
まぁどちらかだろう。
「おはよう、稲荷」
「おはよ。宿題してるの?」
「そう。昨夜選挙の準備してたらやり損ねた」
昨夜といっても俺たちにとっては二日前だけど。
それはそれは、と労をねぎらって頭を下げれば、皇もまた苦笑で返してくる。
選挙というのは、一週間後に控えている生徒会の役員選挙のこと。
毎年初夏のこの時期に二年生を中心に選ばれる。
今年は珍しく会長候補が三人も立候補していて、混戦状態なんだ。
普段は誰もなりたがらなくて先生から依頼されるほどだから、今年はホントに異常。
それはこちらの世界だけでなく、もう一つの世界でも一騎打ちだった。
そういや、こっちで皇が会長を射止めたら、二つの世界の未来がだいぶ変わるんだな。
あの時郵便配達員に見つからなかったら二つの世界の違いを楽しめたのに、と思うと妙に惜しい。
まぁそうするとあちらの世界で皇とラブラブ生活することもできないわけだから、現状の方がマシなのだろうけど。
選挙の公示日は今日で、昼の放送で三人の演説が予定されている。
その草稿を書いていたらしい。
たかだか公立高校の生徒会長選に随分と力が入っているなぁと感心してしまう。
バスケ部の方だって部長を務めていて忙しいのに。
「ねぇ、皇?」
宿題に精を出す皇を前の席を陣取って眺めつつ、声をかける。
静かにしていようとか待っていようとか手伝おうとかはまったく思わない。
俺でも片手間ででもできる簡単な宿題だったから、皇に至ってはその優秀な頭脳をほとんど使っていないはずなんだ。
その証拠に手は絶えず動いていて、考えている時間というものが存在していない。
案の定、皇は俺がかけた声に嫌そうな顔一つせず、喉だけ鳴らして問い返してきた。
「ん?」
「あっちもこっちもで忙しくなるだろ? いいの?」
俺とイチャイチャする時間、っていう意味ではまったく心配していないけど。
どちらの世界でも責任ある立場で忙しいのでは、気の休まる暇がない。
俺自身がどちらも責任という重いものから逃げているものだから、自分から進んでそれを背負おうとする皇が不思議だったりもする。
そんな俺に、皇は手を休めて顔を上げて、軽く肩をすくめた。
「こっちにもあっちにもね、俺がそこにいた証を残したいんだ。
学校の役職程度の小さいものでも、肩書きが付けば書類に名前が残るだろ?」
そんな始め方で詳しく語ってくれた彼の言葉は、同じ境遇だった俺とは正反対な選択だった。
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