14 泣浸しで二十歳が始まるA
「じゃあ、余ったケーキは好きにしていいわよ。さ、博士起きて、帰るわよ」
「すー……」
「はーかーせ」
「寝床まで僕が運びましょう。綾瀬さん、テーブルを片づけたら、リビングにいて下さい」
「は……はい」

「改めて、誕生日おめでとうございます」
「あ、ありがと……」
「まあ、いきなりバーボンとは言わず、軽いものから飲んでみましょうか。売っていなかったやつは、僕の方で適当に作りますよ」

 リビングの照明を落とし、代わりにルームランプが室内を薄く照らす。博士の家から沖矢さんが戻ってくると、すぐに沖矢さんは準備を始めた。
 テーブルにはチューハイ、カクテル、サワーが入ったアルミ缶。ワイン、ウィスキーのボトル。リキュール数種類、カシス、ビール、その他諸々。全て試そうとは思っていないだろうけど、こうしてテーブルにまとめられると結構な量に見える。
 2人がけのソファで沖矢さんから少し離れて座り、お酒が注がれたグラスを沖矢さんのグラスに合わせ、沖矢さんが飲んだ後に私も口を付けた。……さっき飲んでいたものより、喉に何かが残る感覚。

「すみません、水……」
「くくっ……これは好みではありませんでしたか」

 ペットボトルの水を口にしている間、沖矢さんは喉で笑った後で顎に指を添えて少し悩んだ。そのうち、用意していた缶のプルタブを開ける。
 2人のグラスに少し注いで一緒に飲んで、私の反応がいまいちだと分かると、次の缶を開ける。私にしっくりくるものが見つかるまでやりそうだ……なんというか、実験臭い。
 そのうち沖矢さんは缶に手を伸ばさなくなり、なんとなくだけど、沖矢さんの中で私の好みのような傾向が見えてきたらしい。代わりに新しいグラスに氷を入れ、リキュールと牛乳を混ぜ始めた。

「あ、これいい」
「カルーアミルクは甘めで飲み易いでしょう。度数は低くないので飲み過ぎないで下さい……
 少し休みましょう、水もなくなりましたし持ってきます」
「……あ、ほんとだ後からじわじわきた……」

「随分待たされましたよ」
「そ、そんなに?」
「ええ。5ヶ月程前に、ここに住み始めてすぐ晩酌の約束をしたのに、君が成人するのがだいぶ先だと知った時はお預けを食らっている様でした」
「そんな犬みたいな言い方……」

 沖矢さんは困ったような顔をするけど、そう言われたこっちも反応に困る。私が成人する日を知らないのに、勝手にすぐだと思い込んだ沖矢さんが悪い。
 それにしても、そんなに時間が経っていたのか。

「そっか、5ヶ月も……」
「無事、ここから追い出されずに5ヶ月経ちました。最初、水を掛けられたときはどうなるかと心配でした」
「それは私も……あの時追い出しておけばよかった」
「今も、追い出したいですか?」
「……」
「……」
「次、何から飲みます?」
「そうですね……ワインあたりいってみましょうか。白ワインですっきりした味のものがありますよ」

 沖矢さんの質問には答えず、次のお酒を選ぶように促した。
 追い出したいとは、思ってない。家事手伝ってくれるし、私の代わりに朝食作ってくれるし、本当に助かってる。色々気を利かせて、夜まで一緒に出掛けてくれたこともあった。人質になったところを助けてくれたことも。バイトが夜に終わる日には、近くまで迎えに来てくれる。

 ……本当、それだけだったら、さっきの質問に“そんなこと思ってない”って返してあげられたのに。

「沖矢さ……」
「白ワインです、あとで赤もロゼも飲んでみましょう」
「あ、うん……」
「何か言いかけましたか?」
「い、いえっ何もっ」

 あの時、すぐに聞けばよかったのかな……いや、やっぱりあの時だって聞けなかった。今だって、聞けないからこうやって日々もやもやしてる。
 沖矢さんに悟られないよう、その不安を顔に出さないように、表情を目いっぱい殺して。

「そういえば、ワインに合うおつまみも用意したんでした……」
「チーズとか?」
「そうですよ。持ってくるので、少し待っていて下さい」

 沖矢さんが再度、リビングから離れる。残されたのは私と、たくさんのお酒。

「――はあっ」

 沖矢さんがいなくなったことで、ようやく酸素をまともに吸うことが出来た。
 表情に出さないということは、私にとってそれなりに負担となっているらしい。とにかく沖矢さんと対面していると、息が苦しくて仕方ない。
 ……ちまちまお酒飲ませちゃって。バーボンで晩酌してほしかったんじゃなかったの?

「まどろっこしー……」

 グラスに入ったワインを飲み干し、空になったそれに氷とバーボンを入れた。



「綾瀬さん、チーズ何種類かありま……」

 おつまみを持ってリビングに戻ると、綾瀬さんがソファに座っているのには変わらないものの、さっき見た時よりぐったりとしていた。
 彼女の手前のテーブルには、中身が減っているバーボンのボトル。そして氷しか入っていないグラス……察しがついた。

「勝手にウィスキーを飲んだらダメでしょう」
「んー……」
「……そんな気持ちよく寝ちゃいそうで。僕はまだ酔えていないんですよ?」

 台所から持ってきたおつまみをテーブルに置き、ソファに腰かける。綾瀬さんの肩を軽く叩くと、少し遅れて彼女は反応し、顔を上げた。酷い顔だ……随分と酔いが回ってきたらしい。

「あ、沖矢さんおそーい。もう先に飲んじゃいましたよ〜」
「知ってます」
「バーボン飲むって言ってたのに、ちんたらと他のお酒飲ませる沖矢さんが悪いんですよ〜!!」
「いきなり強い酒を飲ませるわけにはいかないでしょう……」

 確かにバーボンを一緒に飲むとは言った。だがそれは最終的に飲むというだけで、他の酒を飲まないと言った覚えはない。

「とにかく今日はもう、バーボンはやめ……」
「……」
「……はあ」

 こちらの見る綾瀬さんは、今まで見たことのない表情だった。
 アルコールが回り、目は虚ろになりつつも潤んでいる。頬は普段より少し紅い。グラスに手を伸ばす彼女の手首を掴むと、脈が早まっていることが伝わった。

「煽ってませんよ、ね」
「……?そう聞くってことは、知らないうちに何か煽らせていたんですね」

「ええ……煽られましたよ」

 ぞわ、と全身に何かを焚き付けられた感覚が走った。
 “火を扇ぐ”で、“煽る”と読むんだったか。そんなどうてもいい考えが一瞬だけ頭を過ると、綾瀬さんの肩を軽く押し、綾瀬さんを仰向けの状態でソファに倒した。

「ダメじゃないか、男相手にここまで無防備になって」
「……」
「本当に状況を、理解しているのかい?」
「また悪ふざけでそんなこと……――っ」

 綾瀬さんの上半身に覆いかぶさる自分の体を緩く押す。彼女は俺から距離を少しでも取ろうとするが、彼女の顔の両側に肘を付き、更に体を沈ませていく。自分と僅かな隙間しかない状態になると、彼女もさすがに焦りを見せ始めてきた。
 耳まで赤くして……相変わらず分かりやすい子だ。

「念の為に言うが……君の言う“悪ふざけ”では済まないことまで、及んでしまうよ」

 綾瀬さんはこちらを見ているが、頷きも、首を横に振る素振りも見せない。酔いが回っているせいか、酔いのせいではないのか、抵抗する様子もない。
 ……無言は肯定と捉えるぞ。

「――“莉乃”」

 綾瀬さん――莉乃に自分の顔を近づけた時だった。彼女の両手によって俺の体は強く押し退けられた。

「また、息をするようにしてくるんですね……」
「……綾瀬さん?」

「あの時だってそうやって……っ
 どうしてあの時、キスなんてしたんですか?」

 ああ、やっぱり。ここ数週間、何かを抑えているように見えていた。あの件について何も言わなかったが、納得していなかったのか。

「っ……」
「答えて!」

 莉乃が俺の体を跨ぎ、両手で胸倉を掴まれる。上半身は莉乃によって強引に起こされた。

「……ああするのが、相手を幻滅させるのに最適だと考えただけだよ」
「でも、後で怒っていいって……それって、私が怒るかもって分かっててしたってことじゃないですか」
「ああ、でも君は怒らなかった。ならどうして、あの時すぐに怒らなかったんだ?」

「私だって怒ると思ったよ!!」

「……!」
「でも、自分でも怒ってるのか怒ってないのか、良く分かってないのに、沖矢さんに形だけ怒っても、嘘だって見透かされそうで言えなかった。今でも分かってないから、ずっともやもやして……」
「……」

 莉乃の手の力が弱くなっていく。それと同時に、服に深い皺を走らせる指が小さく震え始めていった。

「そんなこと考えてたなんて思われたくなかったから、ずっと我慢してたのに……もう限界。
 あの時からずっと、沖矢さんといると息するのが辛い……」

「……綾瀬さん」
「もう一緒にいるのやだぁ……」

 服を掴む莉乃の指に、数滴の滴が落ちる。声を何度も詰まらせながら俺に訴えかける莉乃を、俺にはただ見ることしか出来ない。
 ……まだ、だめだ。まだ君を宥めることも、本当のことを言うことも出来ない。

「――!」

 糸が切れたように、莉乃は俺の上に倒れこむ。全体重を俺の体に任せ、何もなかったかのように莉乃は俺の胸に頭を預けて寝息を漏らしていた。

「……すまない」

 莉乃の目尻に残っている涙を指先で拭いとる。距離を保つ為に敢えて何も言わなかったが、逆効果になっていたんだな。
 莉乃を彼女の部屋のベッドまで運ぶと、リビングに散らかった酒を片づけて、自分の部屋に戻った。煙草に火を付け、白煙を吹かしながらまだ明ける様子のない外を眺める。
 途中、雨が降ったが、1時間もすると降り止み、吸い切った煙草を灰皿に押し付け、また1本口にする。
 やがて、朝日が昇り始めた。灰皿には数本の煙草の吸殻……ここ数ヶ月よく眠れていたのに、今日は一睡も出来なかった。いつもの時間に玄関を確認すると、莉乃の靴が1組なくなっていた。確か午前中は大学のはずだ。どんなに行く気持ちになれなくても、我慢して行ってしまったんだろう、ストーカーの件でそれは分かっている。

「……あるいは」

 俺と顔を合わせるのが嫌になったからか……そちらの方が俺には深刻だ。
 食事を作っては食べ、部屋を掃除し、優作さんの書斎から気になる本を手に取り、博士宅の音声を拾い、時々、毛利探偵事務所のPCを監視し……莉乃が外出している時と同じサイクルを、ただただ送る。

「……バイトは、確か17時上がりだったな」

 なら、さすがにそろそろ帰ってくる時間だ。
 夕食の支度を進ませながら、すでに20時を回った掛け時計を何度も確認する。もう随分と時間が経っているが、どこかに寄り道でもして帰る時間を先延ばしにしているんだろう。
 俺が何か連絡を入れても、きっと莉乃はそれに応じない……そう頭に浮かぶと、バイト上がりの莉乃を迎えには行くつもりになれなかった。
 莉乃の帰りを待つしかないと半ば諦めていた時だった。玄関のドアが開く音がした。コンロの火を止め、ドアを開けた人を迎えようと台所から玄関に向かうと、ボウヤが靴を乱雑に脱ぎしててこちらに駆け寄ってきた。

「昴さん!」
「ボウヤ……」
「莉乃さん帰ってきてる!?」
「いや、でもそろそろ……ここで待つかい?」

 1つ気になることがあった。いつもなら鳴らすインターホンを、今日に限って何故ボウヤは慣らさずに工藤邸に入ったのか。

「莉乃さん、バイト終わってるのに電話に出ないんだ」

 夜になり、ようやくいつものサイクルがおかしくなったことに気付いた。
++++++++++
莉乃さんマジギレ⇒爆睡⇒失踪
放置ほどしんどいものはない。

灰原に抱きつく莉乃さんが個人的ツボである。
ケーキ作ってきてくれたとか、私だってホール全部食べるわ←
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