( あなたの聲を ) | ナノ


うつくしいかい

むかしむかし、或るところに孤独な王様がおりました。
王様は幼い頃に両親を亡くし、そのちいさな身におおきな国を背負っていました。
煌びやかな王冠、重厚な外套、厳格な家臣達、そのすべてが王様にはとても、とても重いものでした。
お抱えの庭師の整えた美しく広い庭で遊ぶこともできません。
手に握るのは色とりどりの玩具ではなく、無機質なペンと羊皮紙でした。
彩豊かで舌も蕩ける食事も味わうことはなく、銀の食器は冷たいものでした。

それでも王様は、このうつくしい国を愛していました。

民衆の不信にも、家臣の甘言にも、貴族の嘲笑にも王様は屈することはありませんでした。
ちいさな王様は、強かに、優しく、美しく、育っていきました。
そして王様は、静かに、ゆるやかに、けれど確かに、大人になっていくのです。



愛に満ちたかいの片隅で

不変の日々を怠慢に過ごすサラリーマンは薄い給料袋を手に帰路についていた。
水商売の女は輝くネオンを浴びてしなやかな足を組み艶やかな笑みを浮かべていた。
墓石に腰かけた葬儀屋は紫煙を燻らせいつもの金勘定に暇を傾けていた。
暗いトンネルの出口でトランクを置いた名無しの放浪者は遠い街を眺めていた。
お互いの身をひとつにした双生児は寝床で眠りにつけずに悪態を吐きあっていた。
作られた少女はフラスコを抱え好奇心に満ちた瞳を輝かせ外へと足を踏み出そうとしていた。
銀色の髪を隠した少年は赤髪の少女の手を取り降り積もった雪を踏みしめていた。
冷たく錆びた工具に身を寄せた吸血鬼は半身に語りかけ酒を呷っていた。
狼の血を持つ男は肩に抱えた少女の寝息を耳に獣道をひた歩いていた。
矛盾を抱えた吸血鬼は遠い過去に思いを馳せ空腹に眉を寄せ夜道にヒールの音を響かせていた。

それは、王様が愛した国の、遠い未来のお話。






遠い昔、と或るところに存在した大きな王政国家の王様に未来の王である嫡子が産まれました。しかし出産と引き換えに母を失い、尊敬する父を病によって失い、若干8歳という若さにして王位を継承することになります。政権を我が物にせんと企てる家臣や、幼すぎる王に戸惑いと懐疑を抱く民衆や、享楽に溺れ王を軽んじる貴族に囲まれ孤独に育ち、それでも立派な王として君臨します。美しく、優しく、強かに育った王様は自国をこよなく愛し、己のできるすべてを賭して国のよきに努めました。そして、18歳の誕生日を迎えたころ、王様は恋をします。生涯でただ一度だけの恋をします。しかしその相手は貴族の娘でも隣国の王女でもなく、花売りのみすぼらしい少女でした。その上、少女は人ではありませんでした。人ならざる少女と、ひとりぼっちの王様、孤独と共に生きてきた二人が惹かれあうのは必然で、けれど周囲がそれを許すわけもなかったのです。――昔話にありふれた、そんなお話しから始まる創作です。やがて王様は、戦争、飢餓、裏切りと様々な戦禍へと巻き込まれていきます。その中で身分違いの恋に、人生ではじめての「わがまま」を貫こうとします。その「わがまま」が、少しずつ、けれど確実に、王様の愛する国とうつくしい世界、そして少女と己の運命を動かしていくことになります。


数百年後、王様が愛した国の遠い遠い未来。実際の現代と似て非なる世界には、ひっそりと人ならざるものが息を顰め、また、一部の者は人に紛れ暮らしていました。身を売り金を稼ぐことに疑問を持たない女、煩悩に塗れた金勘定を生きがいにする葬儀屋、トランクひとつに「未来」を詰め新たな街を目指す放浪者、シャム双生児として生まれてきた意思を疎通させる二人の少年、初めて足を踏み出す世界に好奇心を溢れさせるホムンクルスの少女と、少女に預けられたフラスコの中の小人、迫害に逃れるために国境を越えようとする異形の少年、右手に銃を、少年の手を左にとることを選んだ少女、昔一人の少女に身を窶し300年の時を共に生きてきた冷徹な吸血鬼、生きるために吸血鬼を受け入れることを選んだ少女、一族の抗争に巻き込まれ追手から逃げる少女と、少女を守るためだけに生きてきた狼の血を持つ男。ある寒い冬の一夜、それぞれが各々の想いを抱え動き出すその日、変わらない給料に溜息を吐くサラリーマンと、少女の名を借りた空腹の吸血鬼は出会います。

王様の愛した国と、王様が恋した少女が迎えた結末の、後日談。


ひとつの「世界」を巡る、長い長い「愛」のお話しです。