novel | ナノ
ちょっと特殊



「簡単だよ」

きみはつぶやいた。よく、顔がみえない。深くかぶった帽子がじゃまで、ぼくはてをのばす。けれど、きみはそれを避けて、困ったようにわらった、その口元だけがみえた。なんで、そんな顔をするの。

「簡単なことなんだ」

きみはくりかえす。分かっているよ、そのくらい。なんだか悔しくて、ぼくは言い返す。すると、きみはとてもかなしそうに、また、口元だけでわらった。もちろん、それは目元が見えない所為でもあるけれど、なんとなくいま、きみはないているんじゃないのかと思った。

「目を閉じて」
「どうして」
「君にはつらいものだから」
「いやだ、」
「駄目。きみは、見ちゃだめだ」
「どうして、」
「だめ」

きみは、わらう。深くかぶった帽子の奥から、なきそうな瞳がみえた。ぼくが映る、うっすらと涙の膜がはった瞳。きれいだ、と、思った。まるで水晶玉のようで、こぼれた雫は朝露のようだった。

「きみは、綺麗なままでいて。いつか、きっと、俺がきみを迎えにいくから。そのときまで、綺麗なままでいてほしい。何も知らないでいて。この世界を、知らないまま、綺麗なきみでいて。ねえ、ねえ、だいじょうぶ。そんな顔しないで。たぶん、君はこれから、いろんなことを経験する。それでも、今のままの君でいて。簡単なことだよ、俺を忘れないで。俺の言葉を忘れないで。だから、いまは、見たらだめ。みたら、君の綺麗な瞳がにごってしまうから。だから今はまだ、この先にきては、見てはだめ。いつか、俺がみせてあげる。そのときまで、駄目だよ。約束して。――ほら、帰ろう。君のトモダチが迎えにきた。はやく行ってあげて。俺はもう、行くから。じゃあね、…――――N」

きみの笑顔が遠ざかる。消えてゆく。草むらにひとつだけ、露を残して。



純愛パラドックス