24 | ナノ



生きている。

システムオールグリーン。転送まであと5、4、3、2、


「…マスター」
懐かしい声が聞こえた。懐かしいというにはあまりにも鮮明に記憶に焼き付いている重低音のやさしい響きに、唱えていたカウントダウンが乱れる。とっくに消えているはずの私の意識がまだ残っているということは、問題発生、コードレッド、緊急事態だ。静かな電子の海に沈んでいく体を引き上げる褐色の大きな腕は確かに私の体を抱きとめている。穏やかな安寧に浸されていた意識を無理矢理介入してこじ開けるなんて、とんだ無粋な輩もいたものだ。白髪が、そっと瞼を掠める。広い肩幅に額を預ければ、なんてことはなく沈むのを待つだけだったはずの体が生温い電子の海をかき分け浮上するのを感じる。どこか、遠くの方で、トワイス・ピースマンの声が聞こえたような気がした。光あれと。彼が、最後、私に残した唯一の惜しみない賞賛だけが優しく響いた。熾天の玉座で孤独に週末を待ち続けた彼の願望が、やわらかな電子に溶けてゆく。私も一緒に溶けてゆくはずだったその場所に、ぽっかりと気泡だけが浮かんでいた。次の瞬間、視界を侵食した赤色は、海の青と重なってどうしようもなく私の涙腺を刺激する。どうせ、海に消えてしまうなら泣いてもばれやしないのだろうけれど―きっと、生命のあたたかさを知ってしまった私の涙を、無機質な電子の海は受け入れてくれないだろう。有害分子だと言わんばかりに、上へ、上へ、私と彼を押し上げていく渦。水面にあがる直前、遠くに引いてゆく渦は―そう、まるで、いつか誰かが欲した願望器の器のようで。無意識に伸ばしかけた手を、制する指先。―いけない。―どうして。私の疑問に、彼は答えてはくれない。ただ、漫然と、それが決まりであるかのように口元を真一文字に結んだままゆっくりと首を横に振るだけ。

「ねえ」
「何だ」
「…どうして」
「きみは」
「そうじゃない。どうして、どうして、私を連れ戻しに来たの」
「それは、」

助けにきてくれたの。追いかけてくれたの。そんな生易しいものじゃない。彼は、秩序を振り払って私を連れ戻しにきた。それも間違いかもしれない。私が戻るべきであった場所から、私を強引に連れ出したのだ。返答に窮するような彼に、まさかなんの考えもなかったのかと落胆しかけた。が。


「君は、私のマスターだからだ」


この後に及んで、生真面目な答えをまっすぐに返してくるアーチャーに、「ただいま」と、それだけを告げて、遠くに聞こえる凛の声に意識を傾けながら、私は、とくりと高鳴りを聞かせた心臓に涙した。