「あ、また忘れた!」

「あーあ、お弁当持ってくるのにお箸忘れるって、何回目?」

「名前ってさ、顔は綺麗なのに、粗忽度ハンパないよね。なんで、あんたみたいな…、」

「ねえ、お箸貸して、一本でいいから」

いつものようにいつもの場所で仲のいい同僚二人とランチをしていた。私と同じお弁当組の同僚の言葉を聞き流し、お箸に手を伸ばすが「嫌」とあっさり断られる。「ちょ、やめてよ」と言いながらおにぎりを頬張るもう一人の、コンビニサラダのフォークを奪い取る。しなしなしたプラスティックフォークは、お弁当の冷えたご飯を掬うには心許ないけど仕方ない。
会議室の窓際の席から見える空は青く、のどかな金曜日のランチタイム。
フォークのことなど然程気にしていない同僚は、おにぎりの最後の一口を口に放り込みながら、窓から空を見上げ大げさに溜息をついた。

「あの空の向こうからイケメンが降って来ないかな」

「イケメンならいるじゃない、社内に。斎藤さんとか、沖田さんとかさ、」

「ああ、あのレベルは駄目、リアリティがなくて。ああいう人達は観賞用。もっと手頃な感じのイケメンを求めてるんだよ」

「ははは、そうだね。クリスマスまで一カ月を切ったと言うのに、この分じゃまた今年もあんたらと三人でメリークリスマスとか?やだねぇ」

やだやだ、と言いながらお箸を死守した同僚が、チラリと横目でこっちを見る。
二人の会話を口を動かしながら無言で聞き、手頃な感じのイケメンってなんだと突っ込むよりも何よりも、斎藤さんの名前が出たことで私の脈搏が早くなる。手からポロリと落ちかけたフォークを「ちょっと!落とさないでよね!」と奪い返されたことにも気づかず私の脳内では思考が彷徨った。
それこそリアリティがなくて二人には打ち明けられずにいたのだけれど、私は入社以来ずっと斎藤さんを好きだった。
クールで落ち着きのある彼は私より一年早い入社で沖田さんと同期。真面目で仕事が出来ることに定評があるが、それ以上に彼を語る上で欠かせないのは、その恐ろしく整った容姿である。長身とは言えないがいつも伸びた綺麗な背筋、均整の取れた細身の体躯。少し長めの柔らかそうな紫紺の髪、澄んだ湖のように深い藍色の瞳。低く穏やかな声。彼のどこをとっても非の打ち所がないイケメンだ。
そんな彼に、信じがたいことではあるがこの私が告白されたのだ。それは一瞬夢かと思うほど現実感がなかったんだけれども、もちろんお断りなどするわけがない。必死でコクコクと頷いたのは月曜日の出来事だった。
まだわずか五日間のお付き合いだけど、毎日帰宅後電話でお話をしている。そして今夜は初めてのデートなのである。
しかし私は未だに誰にも言えずにいる。彼の方が誰にも言っていないようなので、私が口外するのは憚られたからだ。それにあの斎藤さんと、なんてとても言いにくい。
つまり私は高根の花斎藤さんと、そのような事情から秘密の社内恋愛をしているというわけだ。
軽くフリーズしている私の目の前で、手のひらが大げさにひらひらと振られる。

「名前、どうしたの?大丈夫、起きてる?」

「…あ、うん、起きてるよ、って失礼なっ」

「で、今年のクリスマス、どうする?」

誤魔化し笑いをして、でもクリスマスの話に戻った二人に口を挟めないまま、お弁当を食べ終えた同僚のお箸を奪ってモソモソと残りを食べた。私達は今年二年目のOLである。
一年目のクリスマスは三人で過ごしたが、今年はもしかしたら…、でもやっぱりそんなこと言えない。





業務終了時間がきた。19時に一駅離れたカフェで斎藤さんと待ち合わせているので、少し間があるなと思いながらグズグズと机の上を片付けていれば、運よくそれぞれ予定があるという同僚二人は「また月曜日ね、お先〜」と言ってさっさと帰って行った。
行先を追及されなくてよかったと胸を撫で下ろし、一つ離れた島の斎藤さんのデスクを見る。立ち上がった彼もこちらを見ていて、薄っすらと浮かんだ笑みが「後でな」と言っているようで嬉しくなり、思わず満面の笑顔を向けてしまった。
そこへ密かに絡まった視線を断ち切る大きな影が差す。影の正体は斎藤さんと仲のいい(?)沖田さんだ。

「ねえ、一君。今日“も”どうせ暇なんでしょ。合コン付き合ってよ」

「は?」

(は?)

彼の返しと私の心の声は見事に重なった。
まさかのここで、合コンのお誘い!?斎藤さん断ってくれるよね、とそちらから眼を離せずにいると、不意に私の右後ろのドアが乱暴に開き、ズカズカと大きな足音を立てて私の前に、もう一つの影が差す。何事かと見上げると影は大層ご立腹な様子で、普段から眉間に刻まれている皺がいつもより深い。すかさず怒声が降ってくる。

「おい、名字、こりゃ、いったいどういう事だ」

「はい?」

段ボール箱に入った山のような茶封筒が机にドンと置かれた。それはお得意様宛ての一斉郵便物で、私が作成したものだ。料金別納で今日付けで送られている筈の大量の茶封筒をキョトンとして見ていると、土方課長の怒号は続く。

「宛名に敬称が抜けてんだよ、お前は小学生か?抜けてんのはその頭の中身だけにしろ。今日中に直せ、解ったか!」

一息に怒鳴って、入って来たときと同じように怒りの足音を立てながら、土方課長は出て行った。
我に返って茶封筒を確認すると、どれもこれもお客様の名前に『様』が着いてない。ああ、私としたことが、パソコンで作業中に敬称選択のところで『様』にチェックを入れ忘れたんだ。元のデータはもちろん残って居るけれど、新しく作成し直すか敬称だけシールを作って貼るか、どちらにしてもこれを全部直すにはかなり時間がかかるだろう。何しろ500通はあるのだ。
この粗忽さは誰を恨むことも出来ない。私は力なく椅子に腰を落とす。デートは中止だ…。
目を上げて斎藤さんを見ると、彼もトラブルが起こった事を察したのか気遣わしげにこちらを見ているが、沖田さんは怯まずにしつこく斎藤さんを誘っている。

「だから、行かぬと言っている、」

「行かないなら、あのことバラすよ?」

「いい加減にしろ。それはあんたの誤解だ」

「じゃあ、誤解だって言う証明にね、合コン行こう?」

沖田さんはその細身のどこにそんな力があるのか、嫌がる斎藤さんを引き摺って出て行った。斎藤さんはこちらを振り返りながらも困惑顔で引き摺られていく。その唇が何かを言いたそうだけれど、何も言えるわけがない。
バレたら困る事って、いったい、なに?彼は私に何か隠しているの?
急にその考えに頭が占められそうになるけれど、取り敢えずの私の懸案事項は目の前の段ボールの中身だ。泣きたい気持ちになりながらもお直しを始める。
斎藤さん達が出ていったのを最後に、社内にはもう誰も残って居なかった。
とにかく早く終わらせよう、そして帰ったらビールでも呑もう。もう、いっぱい呑もう。
『様』シールだけを上から貼っても見栄えが良くないので、宛名シール自体を作り直した。ウィーンウィーンと音を立てるプリンタから次々と吐き出される宛名シールをぼぉっと眺める。作業自体は複雑ではないけれど、数があるのだから時間だけはかかるのだ。
壁の時計を見ればもう20時近く。プリンタのある場所と私の島の上だけ蛍光灯に照らされ他は照明を落としているので、私以外無人の広いオフィスはとても寂しく心細い場所に見える。一人ぼっちで残業なんて、これはいったいなんの罰なのよ!と叫びかけたが、自分のミスの罰だよね。
本当だったら今頃、斎藤さんと二人で初めてのデートをしてた筈、それにしてもいくらなんでも合コンに行ってしまうなんて、と今度はそっちに思考が行き悲しくなってくる。
いや、今はそれを考えている場合じゃない、と順不同に段ボールに突っ込まれた封筒の宛名を照合しながら貼っていく。
黙々とシールを張っていると、私の背後のドアが開いた。咄嗟に振り向いた私の目に映ったのは、肩で荒い呼吸をする斎藤さんの姿だった。


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