本当は、最初からあなたに会うためだった。
「き、今日からお世話になりますっ、名字です。よろしくお願いします・・・!」
ペコリと頭を下げた私に、よろしくな、と言った、あなたに会うため。
「名字ー・・・えっと、下の名前は?」
毎日、学校帰りにお店の前を通っては、あなたがいないかちらりと一瞬、店内を見やる。
(・・・あ、いる)
笑顔のあなたを見て、私はいつもドキドキしてた。
勝手に、明日はいいことあるかもな、なんて私も自然と笑顔になってた。
翌日立ち寄ったスーパーの、冷凍コーナーの扉に映った自分の顔に、いつまでニヤけているんだって恥ずかしくなるくらい。
スタッフ募集、そんな張り紙を見かけて応募の電話をかけた時、出てくれたのがあなただったのも。
『あ、応募の電話?ちょっと待ってて、店長に代わるから』
「あ・・・名前、です」
「名前、よろしくな!俺、平助」
「は・・・はい、よろしく、お願いします」
大学生一人では、行くことがためらわれる居酒屋。
上京してきたばかりの私は、大学に友達もまだあまり居ないせいで、お客さんとして行くきっかけもなく、あなたを外から眺めるだけ。
いつか行けたらいいな、そんなこと思いながらお店の前を通った時に、スタッフ募集の張り紙を見かけて、慌てて携帯で写真に撮った。
「なー、左之さん、本当に俺でいいの?」
「お前も新人教えられるようにならねーとな、もう・・・何年だ?」
「だぁー、またそう言う!まだ4ヶ月!!」
キッチンに立つ原田さんとカウンター越しに話す平助くん。
いつも適当なんだから、と悪態をつきながら、私と目が合うと、にこっと微笑んでくれる。
「・・・飲食、初めてか?」
「えっと、はい!・・・アルバイトが、初めてで」
「マジか!・・・責任重大だな・・・っつっても、そんな難しいことねえから、そんなに緊張しなくても大丈夫だって」
私を安心させてくれようとしているのか、優しく笑った。
でも実は、その笑顔で逆に緊張しているだなんて言えない。
初日のアルバイトよりも何よりも、ずっと話したいと思っていた彼が目の前に居るこの状況に、ドキドキしてる。
「はいっ・・・・・・」
「まずはー・・・いらっしゃいませ、からかな」
丁寧に、一つ一つ教えてくれる彼、平助くんは私の1つ上の大学生だった。
駅前のスーパーで買い物をしていると、飲食店の店員さん風、少しシミのついたTシャツに、腰には短いエプロンを巻いている彼が目に入った。
どうして目に入ったのかって、じーっとレタスを見つめていたのだから、気にならないわけがない。
食材の買い足しなんだろうな、と思いつつ私もレタスにそっと手を伸ばすと、その彼が声をかけてきたのだ。
『あの、知ってたら教えて欲しいんだけど』
『はいっ!?』
『レタスって、どれがいいもんなの?』
『えっと・・・・・・か、軽いやつ、』
『へー・・・』
『葉っぱが詰まってない方が、柔らかくて美味しいんです』
ということは、どれだ!?と独り言のようにまたブツブツ言いながらレタスを選んでいる彼の真剣な顔。
『で、あとは、芯の切り口が白いやつ・・・・・・が、新鮮』
それが決め手になったのか、嬉しそうに彼は
『ありがとな!これにする!』
そう、にこっと笑ってレジへ向かった。
その笑顔に、やられた。
もう一度会えないだろうかと、スーパーに寄るたびに店内で彼の姿を探していた。
きっとこの辺の飲食店で働いているんだろうと、帰り道、遠回りをしていろんなお店をちらりと覗いたりもした。
でも、なかなか見つけることなんてできない。店内まで見えるお店なんて限られているし、やっぱりあの出会いはただの偶然なんだ。
そうしてため息をつくのが癖になってしまった1週間後くらいだったと思う。
晩ご飯どうしようかな、と冷蔵庫の中身を思い出しながらスーパーに入ると、レジに彼の姿を見かけたのだ。
(・・・・・・う、うそ・・・いた!)
大きなレジ袋を抱えてスーパーを出て行く瞬間に、Tシャツに書いてあったお店の名前をばっちりと確認した。
(あれ、うちに帰る途中にあるお店だ・・・)
彼の、居場所がわかった。
その日、そわそわしながら買い物を終えて、私は早足でスーパーを後にした。
もともと、雰囲気が素敵なお店だな、なんて家に帰る途中にその前を歩いてたっけ。
まさか彼がそこで働いているなんて。
買い物袋をぶら下げたままちらりと店内を覗くと、開け放たれた入口から彼の大きな声が聞こえた。
間違いない、間違いないって、嬉しくなって。
それから毎日、お店の前を通る瞬間、ドキドキしてた。
まさか目の前にその彼がいるなんて。
そして一から私に仕事を教えてくれる。
どうしよう、もう、私、幸せで―――
「名前?」
「はいっ!?」
「どうした?めっちゃ楽しそうだけど、俺なんか面白いこと言ったっけ?」
「い、いえっ・・・」
「平助は言おうとしたって面白いこと言えないもんなー」
「だーかーらー!左之さん入ってくるなって!!」
「・・・・・・ふふ」
「ほら、名前に笑われたー」
「いいじゃねぇか、笑顔が可愛いんだからよ」
「!?」
聞き慣れていないその単語に、私は思わず硬直してしまった。
初対面で失礼かもしれないけれど、原田さんはきっと常日頃からこういうことをさらりと言っている人なんだと思う。
「かわ・・・っ・・・、その、ほら・・・・・・8卓、片付けんの教えるわ」
「は、はいっ」
それから、1ヶ月。
仕事もだいぶ覚えてきて、平助くんとも打ち解けて話せるようになっていた。
「っ、」
「平助くん!?だ、大丈夫?」
「ああ、気にすんな、これくらい・・・・・・びっくりしただけだし」
金曜の夜、満席の状態が続いていて、大忙しの20時。
キッチンスタッフが足りなくて、平助くんがホールとキッチンと行ったり来たりしていた時だった。
包丁で指を切ったその瞬間を、見てしまった。
「止血しなくちゃ!包丁で切れた傷って、血が止まりにくいの!」
私が彼のそばに駆け寄ると、キッチンから顔をのぞかせた原田さんも心配そうに言った。
「平助、一回休憩挟め。名前、手当だけしてやってくれるか」
「もちろんですっ、平助くん、ほら!」
「あ〜もう、左之さんごめん!すぐ戻るから!」
そう言いながらスタッフルームへ二人で向かい、私は薬箱を取り出した。
椅子に座ると、平助くんは大きくて長いため息をついた。
「は〜・・・俺、かっこ悪ぃ」
「そんなことないよ、頑張ってたじゃない」
「・・・しかも、手間掛けさせてごめんな」
「気にしないで。いいの、私がやりたくてやってるんだから」
そうして、はたと気がつく。
・・・・・・二人きりだ。
しかも私、平助くんの手を・・・・・・
(うわぁぁもう!今それどころじゃないのにっ!手当に集中!!)
顔をあげるのが恥ずかしすぎて、私はじっと彼のけがをした指先を眺めていた。
下げた頭の上、すぐ傍から平助くんの声が聞こえる。
「頑張ろうって思うと、空回りしちまうときよくあるんだよな、俺ってさ。かっこつけようと思っても、だいたいかっこ悪くなっちまって・・・」
苦笑いの後には、また長いため息。
そういえばいつも笑っている彼なのに、こんな風に元気が無いのを初めて見るかも。
彼をはげましてあげることが私に出来るだろうか。
そう思ってゆっくりと顔をあげれば、想像以上の至近距離で私の心臓は破裂しそうだったけれど。
「かっこ悪くなんかないよ・・・・・・平助くんは、かっこいいんだから」
「・・・・・・は・・・!?名前?」
「が、頑張ってる人は、かっこいいの!・・・・・・はい、出来た!私戻るね!平助くんはちゃんと休憩してきて!」
薬箱を慌てて片づけて、立ちあがった私の腕を、彼の熱い掌が掴んだ。
「名前、あ・・・あのさっ・・・」
「な、なに・・・?」
勇気が出なくて、振り向けなかった。
どんな顔して彼が、私の名前を呼んだのか。
「すみませーーーん!!」
私たちのその空気を引き裂くように、お客さんの、大きな声が聞こえた。
「・・・も、戻るね」
「あ、ああ・・・・・・」
力なく、するりと解かれた彼の手。
握られていたその箇所がまだ、熱い。
22時を過ぎて、だいぶ店内が落ち着いてきた。
「乗り切ったなー」
「ですね・・・」
カウンターから顔をのぞかせた原田さんが、安心したように息を吐いた。
「しかし、名前、お前まだ入って1ヶ月なのに良く動けるな」
「えへへ・・・誰かさんの教え方が良いんじゃないですかね」
「本人に言ってやれよ」
「ちょっと、二人で何コソコソ話してんだよ!」
洗い場に重ねた食器とグラスを置いて、平助くんが少しふてくされながらカウンターにやってきた。
「おお、ちょうどよかった平助、買い出し頼むわ」
「え〜、また!?左之さん真面目に発注してんの?」
「予想以上の混み具合だったんだ、余らせて腐らすよりいいだろ」
「分かったよ、で、何?」
「レタス1玉」
「またレタス?あ・・・・・・名前」
「うん?」
「うまいレタス、見分け方知ってるか?」
平助くん、もしかしてそれって。
「・・・軽いやつ」
初めて会ったあの日のこと、覚えててくれてるってこと?
「葉っぱが詰まってない方が柔らかくて美味しいの」
それが例え、私だって覚えていなかったとしても、確かに私たちの会話は、あなたの中に残ってるって、こと、だよね?
「で、あとは、芯の切り口が白いやつ・・・・・・が、新鮮」
私が、言葉を紡いでいるその間、平助くんの表情が変わっていくのが面白かった。
驚いた顔をしたかと思うと、次の瞬間、顔を真っ赤にして、言葉にならない声を絞り出そうと口を開いたまま、私の方を指差した。
恋うらら
「名前、なあなあ、キャベツは?」
「キャベツは、重いほうが良いんだよ?」
「お前すげーな、もう嫁行けるんじゃねえの」
「あはは。野菜の見分け方知ってるだけでもらってくれる人が居ればだけどね?」
そう笑えば、一生懸命自分を指さしながら平助くんが訴えている。
「オレオレ!!」
「・・・詐欺?」
「ちげーし!!本気のやつ!!!」
これは、私の家で、彼とご飯を食べる日の会話。
END