仕事中だと言うのに、我慢できなくなってしまったトイレから帰ってきて、隣の千鶴先輩が居ないことに眉を顰めた。
加えて、藤堂さんの姿も見当たらなかったからだ。
仕事で席を外しているだけかもしれないけど…
二人が同時に居ないことに、ざわつく胸を抑えながら席へと着いた。
「名前ちゃん、千鶴ちゃんがお茶入れに行ったよ。手伝いに行ったほうがいいと思う」
「え、本当ですか?わかりました」
入力途中となっていた画面を見た私に千鶴先輩とは逆の先輩が声を掛けてきた。
お茶出しは新人の私の仕事だ。
一人だと大変だろうと、千鶴先輩も手伝ってくれていたけど、今日はトイレに立っている間に、給湯室へと行ったみたいだ。
慌てて立つと、フロアを出て給湯室へと向かった。
履き慣れないパンプスが足に少しなじんだような気がして、足取りも軽い。
給湯室が近くなり、誰かと誰かが話す声に眉を寄せた。
開いているドアから、私の名前が出てきて思わず立ち止まってしまった。
しかも、声の主は…
千鶴先輩と…藤堂さんだ。
私がドアの手前に居ることなど気づかずに話を進める二人に身体が動かず、ぎゅっと掌を握った。
『でもよ…』
『絶対名前ちゃんは、平助くんが好きだって』
でええええーっ!なんですかぁ!私の話ですかっ!!!
好き…千鶴先輩の声でそう紡がれた言葉に、ふらついた身体がガタッとドアに当たってしまった。
慌て顔をして覗いた千鶴先輩に続いて、目を見開いた藤堂さん。
言葉が出てこなくて俯いていた私の手を、柔らかい手に引っ張られて行ったのは給湯室の中。
千鶴先輩は、湯呑みの乗ったお盆を持って、藤堂さんに何やら耳打ちをして出ていった。
な、なんで残して行っちゃうんですかぁ!!
「わ、私!手伝ってきますっ!」
頭の中がゴチャゴチャになって、慌てて走り出すとぎゅっと握られた手に引っ張られた。
「このままで…いいから聞いてくれるか?」
やだ…何で引き止めるの。
背中に掛けられた藤堂さんの言葉がいつになく真剣で……
手を振りほどくなんて出来なくてこくんと頷いた。
「おれ……名前の事好きなんだ。そ、その一目惚れで」
「ええええー!」
思わず振り返った私は、藤堂さんの顔の赤さ加減に、軽く吹いてしまった。
「な、なんで、笑うんだ」
「あ、ご、ご、ごめんなさい!だってタコみたいに真っ赤」
私の言葉を聞くと、目を見開いてもっともっと、染め上げた顔を背けるから可愛すぎて。
思わず…
ぎゅっと抱きついてしまった…
慌てる藤堂さんに、なんて大胆なんだと後悔しても仕方ないと腹を括った。
「わ、私もっ!一目惚れしちゃったんです…藤堂さんに…」
「え?あ、え?まじで?」
コクンと頷くと、寂しかった私の背中に、恐る恐るといった感じで回されていく腕が、ぎゅーっと抱きしめてきた。
「やべぇ、すげぇ幸せだ」
「わ、私もです」
少し緩めた腕で私の顔を覗き込んで「今日からは、平助な!」そう言った彼の顔がだらしなく緩んでいて……
でも、私もきっと…
一目惚れなんか無いと思っていた私は、その相手にも一目惚れをされていたという奇跡を体験したのだ。
恋は何処から始まるかなんて分からない。
私は一目惚れは有り得るとこれからは言うだろう。
−fin−
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