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俺が声を失ってからしばらくして松本先生のお世話になることになった。

斬り合いが当たり前の世界からは正反対の場所へ行くことに最初は戸惑いもあったけど。

これで良かったと本当に思えた。

とにかくがむしゃらに働いて仕事を覚えて、そんな日常に慣れ始めた時のことだった。





あいつに会ったのは。





―音のない告白―






 「井吹君。今日もお疲れ様。」


診療所の前に落ちた葉を箒で集めている時だった。少し高めのよく通る声に名前を呼ばれ、振り向くと名前が立っていた。



 「今日はあまり患者さんがいないのかな?」


俺は身振り手振りで暇を伝えると名前はクスクス笑いながらそれは良いことだねと言った。
確かに怪我人や病人なんて少ない方がいい。診療所が暇なほど平和ということだ。



 「隣のおばさんからお野菜もらってね、はりきって作りすぎたの。松本先生と一緒に食べて。」


そう言うと名前は皿に山のように盛られた煮物を俺に差し出した。

名前は診療所の近くに住んでいて父親が松本先生に看てもらったとかで時々こうやって差し入れをしてくれていた。
俺の声が出ないことも知っているし、それでもこうやって話しかけてくれて俺の言いたいことも聞こうとしてくれる。
穏やかで優しい奴だ。


そんな名前に特別な感情を抱くのに時間はかからなかった。


だけど。
俺は…。



 「あ、井吹君髪がはねてる。どうやって寝たの?」


笑いながら俺の髪に触れた。
ただそれだけなのに心臓がうるさいぐらい動いて鼓動が伝わっちまわないか不安になる。


顔が赤くなりそうなのをごまかすように俺は自分の口元を指でさし、名前に言う。
といっても声はでない。ゆっくりと口を動かして気持ちを伝える。



龍『ここに米がついているぞ。急いでたのか?』


俺の言葉が伝わったらしい。
名前は顔を赤くすると嘘と叫んで口元をごしごしと拭った。

そんな姿も愛おしくて、ただ笑っていただけなんだけど意地悪と肩を叩かれた。


そうだ。
こんな時を過ごせるだけで幸せなんだ。


だから。
伝えない。
伝えられない。
俺の気持ちは伝えちゃいけないんだ。

こんな俺が受け入れてもらえるわけがないし、たとえ受け入れてもらえても…。
声のでない人間なんて苦労かけるに決まっているんだから。

    

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