そこから先は彼女に言わせてはいけない。
そう思った。
俺の腕の中に閉じ込められた彼女は驚きで言葉を噤んだ。
「名字さん。」
「はい…。」
「俺の気持ちはあなたと同じです。」
「山崎さん…!」
「でも、まずは…。」
「はい。そうですよね。」
まずは全てを終わらせなくては。
そこからだ。
それまでは…二人だけの秘密だ。
雨の音が遠くなっていく気がした。
目と目を合わせれば自然に距離がなくなっていく。
唇は冷たかったけれどすぐに熱くなり始めた。
雨が全てを隠してくれればいい。
それからどれぐらい時間がたっただろうか。
二人だけでいられる空間が離れがたく、何も言わずただ立ち尽くしていたがいい加減屯所に戻らなくてはならない。
俺は彼女の手をひいて屯所へ戻った。
その日から俺と彼女の秘密の生活が始まった。
今まで通り、彼女は昼間に屯所で働き、夕方沖田さんに送られて帰る。
今までと違うのは時々夜に彼女の家へ俺が行くようになったこと、手が空いているときは彼女の手伝いをするようになったことだ。
またあの日のように雨が降る日。
俺と彼女は買い出しにでていた。
こんな生活をいつまでもしていていいわけがない。
そう思ったのは彼女も同じだったようで
「私…言います。近藤さんにも。沖田さんにも。自分の気持ちを伝えます。」
「はい。」
「山崎さんのことは言いません。きっと山崎さんと出会えなくても私の気持ちは沖田さんには向かなかったと思いますから。」
そう言って彼女は少し苦しそうに笑った。
ここからは俺は支えてあげることしかできないのだ。
屯所の前に誰かが傘をさして立っているのが目に入った。
近づくまでもなくその人が沖田さんだと気づく。
彼女が息をのむのを横で感じる。
そして決心したのか、俺の方をまっすぐ見てうなづいた。
「山崎さんは先に入っていてくださいね。」
「…はい。」
俺たちが近づくと沖田さんは気が付いてこちらを見た。
「雨降ってきたね。山崎君も一緒だから大丈夫だとは思ったけど…冷えていない?」
「はい。」
「沖田さん、巡察お疲れ様です。」
「山崎君、ありがとうね。」
沖田さんに礼を言われて胸が痛んだ。
「いえ。非番でしたから。それでは俺は先に戻ります。」
冷静を装えたのだろうか。
軽く頭を下げて屯所の門をくぐった。
だけど俺はすぐに屯所の中に入らず木の陰に隠れた。
彼女がどう言うのか、沖田さんがどう答えるのか。
それを聞いておきたかった。
「沖田さん…。」
「どうしたの?名前ちゃん。僕たちも中に…。」
「あの!!」
彼女の声に沖田さんが足を止めたのがわかる。
見えない位置にいるとはいえ二人の姿が目の前にあるような感覚だ。
「私、沖田さんのこと…好きになることができません。ごめんなさい!」
「名前ちゃん。」
「こんなに大切にしてもらったのに…こんなに優しくしてもら…。」
最後は言葉になっていなかった。
震える声、涙をこらえようとしているのが伝わる。
「知ってたよ。」
(え…。)
「え?」
彼女とほぼ同時。同じ言葉を呟きそうになり思わず口元を押さえた。
今、沖田さんは何を…。
「君が僕のことを好きになることはないって知ってた。」
「沖田さ…。」
「君がどこを向いているのかも。」
――ドクンッ
心臓の音が聞こえる。ぞわりと背筋に何かが走った。みるみるうちに手に汗が滲みさらに心拍が上がるのを感じる。
知っていたんだ。沖田さんは。
彼女の気持ちも。…俺の気持ちも。
「知ってたよ。」
二人の秘密を。
じゃり…と沖田さんが彼女に近づく音がする。
思わず彼らの方を見ると彼女の頬に手を添えていた。
「それでも僕は、君が好きで。君を僕のものにしたいんだ。」
「私…は…。」
「君、断れる立場だと思ってる?近藤さんや土方さん、他のみんなになんて言うの?言った後はどうするのかな。山崎君が君を守ってくれるって思った?僕や近藤さん、土方さんが何か言えば彼は首を縦にふるしかできないんだよ。」
その通りだ。
俺は局長や副長、沖田さんに何か命令をされたら自分の意にそぐわなくても首を振るしかない。
…今までは。
俺が彼らのもとへ飛び出そうとした時だった。