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雨が降っていた。

非番だというのに何をしようか。
これでは外に行く気にもならない。

そういえば彼女は何をしているのだろう。
洗濯もできないだろうし休めているだろうか。


あの時自分の気持ちに気づいてから余計に彼女を考えるようになってしまった。
考えているだけなら許されるだろうか。
ずっと気持ちを隠しておけば…許されるんだろうか。

消すことのできない思いが自分の中に生まれるなんて思ってもいなかった。
他人の大切な人に懸想するなど…考えたこともなかったのに。


「あ、山崎君。」

「藤堂さん?どうしました?」

「名前知らない?」

「名字さんですか。いえ、今日は見ていませんが…。」

「あーじゃあやっぱ買い出し行ったんかな…雨ふりそうだからやめとけって言ったんだけどなあ。」

「え?」

「昆布がない!って朝言っててさ。一日ぐらいなくたって大丈夫だって俺は言ったんだけど…夕餉に使うからって。まああいつのおかげで毎日飯がうまいんだけど。大丈夫かな。」

「…俺、様子を見てきましょうか?」

「え?いいの?助かる!俺今から隊士達に稽古つけなくちゃいけなくてさ。あいつ傘持ってないかもしれないからどこかで雨宿りしてるかもしれねえ。」

「わかりました。」


ありがとなーと笑顔で藤堂さんは去って行った。
彼は心の底から心配していたんだろう。彼女ともよく話していて仲はいいはずだ。
でも藤堂さん。
俺より先に、沖田さんに言ってほしかったです。
そうじゃないと…また思いが募ってしまいますから。


俺は軽く首をふり外へ出かける支度を始めた。



材料を買いに行く店はだいたい決まっている。
俺はまず乾物が売っている店へ行ったが彼女の姿はなかった。
もしも途中で雨が降った場合…ここから屯所までの道で雨宿りができる場所は…。



「名字さん。」

「山崎さん!?」


俺の思った通り。
彼女は近くの神社で雨宿りをしていた。
傘を持って近づくとほっとしたような表情で俺を見ている。


「すみません。雨が降るかもとは言われていたんですけど…間に合うかなと思ってしまって。わざわざ傘を持ってきていただいたんですか?」

「いえ、俺も暇でしたから。藤堂さんが心配してましたよ。」

「平助君が?ああ、別に今日じゃなくてもいいじゃんって言ってくれたんですけどね。」


彼女の手には乾物が入った包みがある。
それを見て困ったように笑った。


「これがないとお味噌汁も煮物も味気ないでしょう?」

「…あなたの食事は美味しいので我々も大変助かっています。が。」


俺の言葉に少し不安そうな顔をした。
どうやら自分が迷惑をかけたと思っているらしい。


「雨に濡れて風邪をひいたらどうするんです?それこそみんな困りますよ。またひどい食事に戻りますからね。」


そう言って傘を差し出すとくすくすと笑ってそれを受け取った。
ああ、この笑顔に癒される。
沖田さんと初めて同じ気持ちを共有したとさえ思えた。


「特に沖田さんの当番の日には…また黒いお浸しを食べなきゃいけませんからね。それだけは勘弁ですよ。…じゃあ行きますか?雨に濡れていないとはいえずっと外にいては体が…。」


そう言って傘を広げ、一歩踏み出そうとした俺の裾が引っ張られた。
振り向くと彼女がうつむいて立っている。その表情は見えない。


「名字さん?」

「山崎さん…私、どうしたらいいんでしょうか。」

「…沖田さんのことですか?」


すぐにわかった。
彼女が何かを悩んでいること。そしてそれは沖田さんのこと。
本当は薄々感じていたのかもしれない。
彼女の気持ちが沖田さんには向かないことも、そしてそのせいでずっと苦しんでいたことも。


俺はゆっくりと傘を閉じ、彼女の横に立った。
神社の軒先がかろうじて雨を防いではくれるが時々雨が顔に当たる。
でもその雨のおかげで誰もここには来ないのだろう。


「私、最初は父が亡くなったことが大きくて…お嫁にいくなんて考えられませんでした。それは事実で、そのことを伝えると近藤さんも納得してくださいました。それでも、もし私がいつか立ち直ったら、考えてみてはくれないかと。」


彼女がぽつりぽつりと話し始める。
その内容は副長から聞いていたし、幹部なら皆理解していることだ。


「ここで働き始めて少しずつですが立ち直れていると思います。父のことは悲しいですけど、前に進まないわけにはいきませんから。でも…。」

「沖田さんのことは…好きにはなれませんか?」

「いえ!とても優しくて、大切にしていただいて…私の気持ちを優先してくれて…。」


わかっている。
沖田さんを見ていたらそんなことは自然にわかることだった。
だけど。


あなたは、好きになれないのでしょう。異性としては。



「でも…私は…。」


彼女の口からその事実を知ってしまったら。
俺はどうなってしまうんだろう。
いやわかっていることだ。


「名字さん…。」

「私は沖田さんのこと、そういう風には思えないんだと思います。つまり…夫として見ることができない。」


ぽろりと彼女の目から落ちたのは涙だった。
きっと罪悪感に苛まれているんだろう。
世話になっている、大切にされている…それが続けば続くほど、彼女を苦しめていく。


「局長も沖田さんもちゃんと伝えればわかってくれますよ。そもそもこういうことは本人の意思が大切だと思うんです。武家の婚姻でもありませんし。屯所に居づらいというのなら俺も一緒にその先の暮らしを考えます。仕事だって探せばすぐに…。」

「山崎さん…。」


間違ったことは言っていない。
彼女が苦しいのなら少しでも早く事実を伝えるべきだ。
今の生活ができなくなるとしてもその後の手伝いをしたって別におかしいことではないだろう。おそらく局長や副長はそうしろと仰るはずだ。

ただ、後ろめたい気持ちがないわけではない。
俺がここで彼女の背中を押すのはただ彼女のことを思ってだけではない。
自分の邪な気持ちが入っている。


「私、最低なんです。」

「なんでですか。そもそも婚姻を持ちかけたのは局長であって…。」

「違うんです!」


ぎゅっと腕を掴まれた。
その熱に心臓が跳ねる。痛いわけでもないのに鼓動が急に速度を上げていく。


「私は…あなたのことを…。」


どういうことだ。
俺は夢を見ているのだろうか。
悲しげに俺を見つめる彼女の瞳が、その先の言葉を示している気がして。


「す…っ!?」


気が付いたら彼女は俺の腕の中にいた。


   

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