5 


――ダダダダダダッ


龍(な…なんだ!?)



部屋に戻ってしばらく座り込んでいた俺をけたたましい音が現実に引き戻した。
廊下を走る音がどんどんこちらに近づいてくる。



 「井吹君!!」


龍『名前!?』



家まで送ったはずなのになんでこんなところに…と聞く前に彼女は俺の部屋に入ってくると目の前に座った。



 「わっわ…私…。」



家から走ってきたのかぜえぜえと息をして苦しそうに言葉を紡ぐ。



龍『落ちつけよ。どうした?』



彼女の勢いに思わずたじろぐ。さっき入れたばかりの水が入った湯呑みを差し出すとぐびぐびと飲みほした。



 「私、何かしたかな?」


龍『は?』


 「だって。途中まで楽しそうだったのに、最後変だったから。私何かしたのかと思って。井吹君を怒らせるようなこととか。」


それが心配でわざわざ来てくれたのか?
俺が勝手にへこんだだけなのに。



 「何かしたなら謝るから。だからまた遊びに行ってくれるかな?私…井吹君ともっと一緒にいたい。」



顔を赤くして、だけどちゃんと真っすぐ俺のことを見て名前は言った。
これって。
もしかして、もしかしなくても。
俺のこと…好きでいてくれるのか?



でも。
それだけで十分だ。
もう十分幸せだ。



俺は近くにあった紙に文字を書いた。


―ありがとう。だけど俺はお前にふさわしくないよ―


それを見た名前は目を丸くする。


―だから、俺のことなんて放っておいて、もっと良い奴みつけろよ―



 「…何それ。」


龍『名前?』



 「井吹君は私のこと嫌い?」



そんなわけあるか。
誰よりもお前のこと好きな自信がある。
それだけは負けない自信が。



ゆっくりと首を横に振ると目にいっぱい涙をためて名前が叫んだ。



 「じゃあ何でそんなこと言うの!?」



俺はまた紙に文字を書いた。



―お前のことは好きだ。―



急いで書く字が震える。
こんな格好悪い告白あるかよ。



―だけど、こんな俺じゃお前を守れないだろ―



今日だって。
俺が叫んでいたら転ばなかったかもしれないのに。

早口で言ったつもりなのに名前には伝わったみたいだ。




 「それで…あんな顔したの?」





―こんな俺を好きになってくれてありがとう―


また紙に筆を走らせる。
これで十分じゃないか。
だから頼む。
忘れてくれよ。



最後に書いた紙を名前は手に取った。
そしてそれを。




勢いよく破る。






龍『!?何すんだよ!!!』


 「井吹君のアホ!何よ、守れないとかふさわしくないとか弱気なことばっかり言って!!」


龍『事実だから仕方ないだろう!?』


 「そんなこと、決めるのは井吹君じゃなくて私でしょ!?守ってもらいたくて一緒にいたいんじゃない!」


龍『っ…。』



 「転ぶのが心配なら腕を組んで歩けばいい。危険がせまっているなら石でも投げて知らせてよ!」


龍『んな危ないことできるか!』


 「危なくったって怪我したって!それでも私が一緒にいたいのは井吹君なんだよ?」


龍『名前…。』


視界がぼやける。
こいつの涙がうつったんだ。
唇が震えているのがわかった。
それでもゆっくりと伝える。


龍『俺は…。』


 「うん。」


目の前の名前も泣いて顔がぐちゃぐちゃだ。それでも涙を拭って必死に俺の口の動きをよんでくれようとしている。


龍『紙と筆がなけりゃ…。』


「うん。」



すぐ近くに転がっている紙と筆に手をおいて言葉をつづけた。
涙のせいで上手く呼吸もできず少しずつしか伝えられないのに名前はちゃんと聞いてくれた。




龍『お前に“ありがとう”も“好き”も伝えられないんだぞ?』



情けないよな。
男が女の前で泣くなんて。



 「井吹君…。」



龍『それでもいいのかよ?』



諦めなくていいのか?
許される限り、ずっと一緒にいたいって思っていいのか?
こんな俺でいいのか?


 「いいよ。」


龍『…簡単に言うなよ。』


 「だって紙と筆がなくたって、会話に困ったことなんてないじゃない。」



名前はそう言うと俺に抱きついた。
ゆっくりと彼女の背に手をまわす。


 「井吹君の気持ちはちゃんと伝わってるよ。」


名前は少しだけ俺から離れた。
至近距離で互いを見つめる。
好きだと口を動かすと私もと答えてくれる。


どちらからともなく口づけをした。


恥ずかしくなって視線をそらすと、どうやら名前も同じことをしていたらしい。
次に視線が合った時、思わず二人で笑った。


 「これからよろしくね?龍之介さん。」



龍『ああ。ずっと傍に居る。』



もう一度互いの存在を確かめるように抱きしめ合った。








しばらくして彼女を送ろうと部屋を出ていくと松本先生と会う。



松「…どうやらうまくいったのか?」



どんだけ俺は顔に出るんだ。
恥ずかしくなって慌てる俺に名前がはいと元気よく答えた。



 「ということで家まで送ってもらいますね!」


松「おお。気をつけてな。」


龍『ちょ…おい!』


俺をぬいて会話をしないでくれ!
それも伝わったのか名前と松本先生は笑った。
つられて俺も笑う。


ああ。
俺は幸せだ。
お前と出会えて。
お前と過ごせて。
そして。


お前とこれからも一緒にいられて。


声を失って良かったと。
初めて思えた夜だった。









  end 

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