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最初は父がお世話になっていた松本先生にお礼のつもりで料理を差し入れしていた。
だけどそこで井吹君に出会った。


声のでない彼とどうやって意思の疎通の図ろうか戸惑ったけど何も難しいことなんてなかった。
ゆっくりと彼の口の動きを読んで、身振り手振りから想像をすればいいだけだった。
本当に難しいことは紙に書けばいいだけだし仲良くなるのに時間はかからなかったと思う。


松本先生から話を少しだけ聞いたけど、井吹君は以前お世話になっていたところで事件に巻き込まれて喋れなくなってしまったらしい。
そして今松本先生のもとで医術を学んでいる。
一生懸命で優しくて、素敵な人だなと思った。


そんな井吹君を好きにならない理由がなかった。



松本先生に井吹君が明日休みだと聞いていてもたってもいられなくて。
早めに眠っていつもより早く起き、普段と違う着物を着て彼の所へ出かけた。



明るく出かけようと誘ってみたけれど迷惑じゃなかったかな?
私の気持ちに気付いちゃったかな?
拒絶されたらどうしようと思ったけれど井吹君はついてきてくれた。



一緒にお団子を食べている時もなんだか上の空みたいで、やっぱり不安になる。

私みたいな女の子じゃだめかな?
どんな子がすきなんだろう?

綺麗で落ち着いた人って言われたらどうしよう。正反対すぎる。
だけど努力するから。


いつか振り向いてもらえるように。








 「井吹君!あっちのお店見ていい?」


少し離れたところに小間物屋が見えた。
いいと彼の口が動いたのを確認して私は店に入る。
綺麗な簪や扇が並んでいてたくさんの女の子達がいた。



 「わー…綺麗。」


龍『これ、ほしいのか?』


私が見ていた簪をひょいと井吹君が掴むと私の髪にあてがう。


龍『うん。お前に似合うと思う。』


優しく微笑まれて心臓が跳ねた。
顔に熱が集まるのがわかって思わず俯くと井吹君は簪を持って店主さんのところへ歩いていた。
身振り手振りで会話をし、お金を払って戻ってくる。


龍『ほら、つけてみろよ。』


 「え!?もしかして…買ったの!?おっお金!」


龍『いいって。ほら、はやく。』


そう言うと私に簪を渡す。
申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが混ざって変な気分だ。
つけていた簪を外して買ってもらったものをつける。
すると井吹君はまた嬉しそうに笑った。


龍『馬子にも衣装だな。』


 「ちょっと!それ褒めてない!!」


龍『冗談だよ。』


彼を軽く叩いて二人で店を出た。
その後もふらふらとあちこちを歩いているだけで時間はあっという間に過ぎてしまった。


もうすぐ帰らなくちゃいけないかな?
いつでも会いに行けるけど寂しいな。
井吹君は楽しかったかな?
私はとても楽しかったけれど。



井吹君より一歩前に出て彼の方を見ながら後ろ歩きをする。


 「今日はありがとう!楽しかったよ。」


龍『良かった。俺も楽しかった。』


彼の口の動きを見て安心する。
ああ良かった。
井吹君も楽しかったならまた誘えるね。


龍『っ!』


一瞬井吹君の表情が強張った。
と、思ったら足元の石に躓いてそのまま後ろに転ぶ。


 「いったたた…。」



恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
後ろ歩きなんてしていたからだ。
好きな人の前で思い切り転んじゃったよ。
絶対呆れてる。
絶対笑ってる。
お前馬鹿だなって言われる。


 「あ…あはは。転んじゃった。」


着物についた土を払いゆっくり立ちあがって笑いながら井吹君の方を向いた。



龍『…。』



え?
なんで?


井吹君、そんな苦しそうな顔してるの?



想像していた表情とかけ離れていて私は思わず笑うのをやめた。
てっきり大笑いされると思っていたのに。



龍『…大丈夫か?』


井吹君の口がゆっくりと動いて、私は大丈夫だよと返事をする。
どうしたの?と聞く前に手首を掴まれると彼は帰ろうと言って歩き出した。


掴まれている手首が熱い。
大丈夫だよ、もう転ばないと言っても離してもらえなかった。
いつもだったら恥ずかしいけど嬉しくなってしまいそうな行動なのに。



何故か喜べなかった。
彼の表情が曇ったままだから。
とても悲しそうなままだったから。

   

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