先生のとなり | ナノ
 卒業します

結果的に。
私は卒業式に気持ちを伝えることはできなかった。

先生はずっとたくさんの生徒に囲まれていたし私自身クラスメイトと過ごしていてタイミングを掴めなかったんだ。
卒業式の翌日も、その次の日も、隣が引っ越す気配がなくて胸をなでおろした。
あの先生のことだ。きっと挨拶にくる。
それがないということはまだ私の家の隣にいるってこと。


長い春休みに入り、いよいよ大学の合格発表の日。
インターネットで確認をするとそこに私の番号はあった。


「あった…。」


私の呟きを家族は見逃さなかった。
お姉ちゃんなんて泣いて喜んだし、隼人もすぐにお母さんにメールを送っていた。
大学生になっても私はこの家にいるから生活は変わらないと思うけれど…やっぱり喜んでもらえるって嬉しい。
今日はご馳走にしようとお姉ちゃんが張り切って買い出しに行った後。


私は携帯と一時間近くにらめっこしていた。


「先生に…知らせなきゃ。」


――大学、無事に合格しました。


ただ一言。メールを送る。
そうしたら…きっと、おめでとうって返ってきて…。


「それで終わり?」


そんなの…いやだ。きっと後悔する。



――先生、今から少しだけ会えますか?



メールの文章を変えて送信した。
休みの日とはいえ先生がいるとは限らないのに。
十分後、先生から返事があった。



――ああ。来るか?


その一文を読んで私は部屋を飛び出した。
すぐに隣の部屋のチャイムを鳴らす。
迎えてくれたのは笑いをかみ殺した先生だった。


「くくっ…お前早すぎるだろ。」

「先生!あの…ご報告が!!」

「まあ入れ。」


先生に促され中に入る。
すると前に入ったときとはまるで変わっていた。
段ボールの山と少しだけの家具。
もう今日にでも引っ越しそうな部屋だった。

やっぱり…本当なんだ。
先生は隣からいなくなってしまう。


「先生…引っ越すんですか?」

「ああ。明日な。」

「そう…ですか。」

わかっていたのに体から力が抜けそうになった。
先生が隣じゃなくなる。
前の生活に戻るだけなのに…。


「合否でたんだろ?」

その声に我に返った。
そうだ、報告に来たのに放心してる場合じゃないんだ。
先生がソファに座り私も隣に座った。


「受かりました。」

「そうか。おめでとう。」


わかっていたかのように先生はあっさりと言う。まるで私が落ちるなんて全く考えていなかったよう。
それが嬉しくて落ち込んでいた気持ちが一気に消えていく。


「先生にはお世話になりました。私、先生みたいな先生になりたい。」

私は心のそこからそう思ってんだけど、先生は一瞬目を丸くして苦笑した。

「俺?…やめとけ、好かれねえぞ。」

「そんなことないです。先生はみんなに信頼されてます。ちゃんと私達のこと見ててくれた。」


そう。
ちゃんと私のことも見ててくれて、本気で心配してくれたり怒ってくれたりした。
そんな先生が…。


「私、先生が…。」

ほら、言わなきゃ…。
あの時言えなかった言葉を。
伝えなかったら後悔するんでしょう?


「もう先生じゃねえよ。」

「え?」


返ってきたのは予想外の言葉で思わず先生を見ると少しだけ表情がかたい。
私、何か悪いこと言っちゃった?


「お前卒業しただろうが。もう俺はお前の先生じゃねえ。」

「先生…?」


なんで?
そんな冷たいこと言うの?
それじゃまるで…もう【お前とは何の関係もない】って言ってるみたいじゃない。

じわりと目頭が熱くなる。
ぼんやりする視界が嫌で先生から顔を背けた。

バカだな私。
下なんて向いたら…涙が落ちちゃうのに。


すると先生が立ち上がったのが視界の端に入る。
顔を上げるとテーブルの上に置かれていた何かを手にとって戻ってきたのが見えた。


「…教師と生徒じゃなくても会ってくれねえか?」

「え…?」


先生が私の掌に何かを置く。
それは鍵だった。


「次に引っ越す部屋の鍵だ。ここからそう遠くはねえ。」

「えっと、あの…。」

「無理にとは言わない。お前の気持ちを優先する。だがもしよかったら…。」


――俺と付き合ってくれ。


先生の低い言葉が静かな部屋に響いた。

待って。
待って待って。
追いつかない。
どういうこと?
先生は私のこと…好きだったの?
いつから?私、いつからそんな風に見てもらえていた?

聞きたいことはたくさんあるのに何一つ言葉にならない。


「せんせ…。」

「もし受け入れてくれるなら、…名前で呼べよ。沙織。」

「!!」


私は掌にある鍵を思い切り握りしめた。
こみあげてくる何かを必死に抑えて絞り出すように伝える。


「歳三さん…。私、私もずっと前から…。」

「好きだ。」


私が言おうとした言葉をあっさりと紡いで先生は私を引き寄せた。
あっという間に先生の腕の中。


「バレンタインの日、お前が伝えようとしてくれたのはなんとなくわかったんだが…こういうことは俺の口から言いたかった。だけど教師と生徒のままじゃ言えなかった。」


そういうことだったんだ。
先生は困ってたんじゃなくて…私のことを考えててくれたんだ。


「自分の生徒にこんな感情抱くなんて良くねえことだとわかってる。だけどな…。」


――最初に会った時のことが忘れられねえんだ。


先生の言葉に私は入学式の時のことを思い出した。
あの時から?
先生は私のことを見ていてくれたんですか?


「最初はなんでお前を目で追うのかわからなかったんだ。だけどな、三年になって担任になって、お前と関わるようになってからどんどん惹かれた。強がりで意外と頑固で周りのことを見ているくせに自分のことは二の次のお前が…気にならないわけがねえ。」

「私もきっと…あの時から好きになってました。」


屋上で先生を見た時からきっと。
私は先生に惹かれていたんだ。

「これからも…よろしくお願いします。歳三さん。」

「ああ。よろしくな、沙織。」



先生の生徒から卒業します


これからは恋人として。
あなたの隣にずっと居させてください。




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