▼ どうせ可愛くないよ
「ありがとうございました…先生、お茶どうぞ。」
「ああ。」
リビングに先生がいるなんて何だか不思議な光景だ。
私がお茶を差し出すと受け取って一口飲んだ。
「お前な…痴漢には冷静に対処できるのに何であんなもんが…。」
「むむむむ無理ですよ!あんな害虫大丈夫な人いるわけないじゃないですかああ!」
そう。
リビングに突如現れたのは夏になると増えるあの害虫だった。
すばしっこくて恐るべき生命力をもつあいつ。
あいつだけは昔から駄目だった。
いつもはお母さんか隼人が倒してくれるんだけど。こういう時に限って一人なんて。
先生は私から話を聞くとさっさと室内に入り秒殺してくれた。
そして今に至る。
「でもまさか先生が来るとは…。」
「窓全開であんな声出されたら何事かと思うだろ。ましてや教え子のいる家から聞こえてきて無視できるか。」
「ですよね。」
「それにしてもすっげえ声だったな。もう少し控えめに叫べ。」
「ど…どうせ可愛くないですよ!!緊急事態に可愛く叫んでる場合じゃないですし。」
「くくっ…それもそうだな。いや、本当にすげえ叫び声だったからよ。」
先生は思いだしたのか笑い始めるし、私は恥ずかしくていたたまれないし。
「あ、鍋!」
「?」
すっかり火をつけていたことを忘れていたけどカレーは焦げることなく良い感じに煮込まれていた。部屋中が一気にカレーの香りになる。
「先生、カレー食べます?」
「あー…いや、でも…。」
「お礼です!お礼!サラダもつきますよ。まだ夕飯食べてないでしょ?」
「…わかった。じゃあご馳走になるか。本当はあまり生徒の家に入り浸るのはよくないんだけどな。」
「いいじゃないですか。隣だもん。ちょっと待っててくださいね。」
「おい、香坂。」
リビングにいたはずの先生がキッチンの所までやってきた。
どうしたんだろうと思うとおもむろに携帯電話を取り出す。
先生らしいシンプルな黒だった。
「お前に番号教えておく。」
「え?」
「隣になったのも何かの縁だからな。今日みたいに一人なことも多いだろう?何かあったら俺に電話かけろ。おふくろさんすぐには帰ってこれないだろう。」
「でも…。」
「もちろん、いたずらでかけてくんなよ。」
「かけませんよ!!」
先生の表情が優しくて、私は携帯を取り出すと番号を交換してしまった。
でもいいのかな?先生と個人的に番号を交換するとか。
…べ、別にやましいことなんてないし平気か。
「総司には言うなよ。」
「言いませんよ。もうどんだけ仲悪いんですか。」
「あいつがもう少し大人しければ文句ねえんだがな。」
そう言って先生はリビングに戻り、私が準備するカレーを待っていた。
なんだか不思議。
先生とご飯食べるなんて。
どうせ可愛くないよ
美味いなって言ってくれる先生に、
「ルーのおかげですよ。」
しか言えない私は。
本当に可愛くない。
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