女の幸せとは何か?
結婚?
出産?

いいえ、仕事です。


―カキツバタ(幸せは必ずくる)―



メーカーの繁忙期は本当に半端ない。この時期は誰の顔にも死相がでている。…までいくと大げさって言われるけど本当だから。目の下のクマとかやばいから!栄養ドリンクで元気の前借をし始め早二週間。毎日のように終電で帰っていた日々もようやく終わりを告げそうだ。

「今日は早く帰れるかな…。」

定時?何それ?おいしいの?っていうのは社会人ならみんな思うことと思ってはいるけれどやっぱりそんな時間は当の昔に過ぎてただいま七時。それでも終電続きに比べれば両手を挙げて喜びたいぐらいの時間だ。

会議用の書類は作成したし、伝票整理もしたからもう後は帰るだけ。そう思い荷物をまとめるとパソコンのスイッチを切ろうとした…時だった。

「月野さん。これ、やってくれる?」
「え?」

真後ろに立っていたのは一つ上の先輩だった。これといって差し出してきた書類は明らかに私担当のものではない。確か後輩のものだ。

「あの子今日大切な用があるらしくて私に頼んできたんだけど私も用があったの忘れていたのよ。あなたならこの案件わかるだろうし…お願いできない?」

先輩に言われて無理ですと断れるだろうか。最近はそんな強者も多いと聞くけど私はそんな鉄のハート持っていない。わかりましたと愛想笑いを浮かべて書類を受け取った。パソコンの電源落としてなくてよかった。

まぁ一時間もあればできる内容だ。いっかと思い作業にとりかかった。

(あ、トイレ行こう。)

帰るときに行こうと思っていた私は手を止めて一度休憩をとることにした。個室に入り落ち着くとついでに帰りに飲み物淹れて戻ろうなんてのんきに考えていた。すると何人かトイレに入ってくる。どうやら化粧直しに数人が入ってきたらしい。

「あれ、あんた今日帰れるの?」
「うん!仕事先輩に頼んじゃった。」
「え!?度胸あるー。」

入ってきたのは先輩に仕事を頼んだ後輩だった。大切な用があるのにまだいたの?と思ったけれど出るに出られずただ話を聞くしかできない。

「でもね、多分月野さんにまわってるよ。あの先輩今日早く帰りたいって言ってたもん。さっきは上司の近くにいたからいい顔したかっただけだと思う。」
「うわぁ…いるよね、そういう人。でもあんたもひどくない?大切な用とか言ってただの合コンじゃん。」
「大事だよ!先輩たち見てよ。みんな独身じゃん。ここ忙しいからなかなか会えなくて彼氏と別れるって聞いたもん。私さっさと寿退社したーい。あんな風に年とりたくない。」

きゃっきゃと笑いながら二人は出ていった。声が聞こえなくなるのを確認して個室から出る。ただまっすぐにデスクに戻ると力が抜けたように椅子に座った。

(あんな風に年とりたくない…か。)


私も入社したころ彼氏がいたけれど一年もしないで別れた。その後も彼氏がいたことはあったけれど長く続かなかった。多分原因の多くを仕事が占めている。繁忙期は終電続きになるし土日出勤もざら。連絡をとる暇もなくなるのだ。

パソコンに向かい手を動かそうとするけれど指がぴくりとも動かなかった。

(なんで…。)

「なんで、私が。何のために?」

私は何のために頑張っているんだろう。頑張って仕事をしても彼とは別れ、この仕事だって人の幸せのために働いているだけ?手柄は横取りになるのに?

疲れていたせいもあって涙腺が緩んだ。どうせほとんど人もいないオフィス。泣いたところでなんともないけれどやっぱり恥ずかしい。カバンからハンカチを取り出すと素早く目元を押さえた。

「っ…。」
「月野。」
「!?」

突然の声に思い切り顔を上げるとそこには同期の土方君がいた。営業から戻ってきたのか、カバンを持ったまま立っている。

「土方君おかえり。今戻ったの?」
「さっきな。」

そういうと彼はカバンを床に置き私の隣に座った。…そこは彼の席じゃないんだけど。

「泣いてんのか。」
「…。」

彼は私から視線を外しそう聞いた。かっこ悪いところ見せちゃったな。っていつものことか。土方君は仕事ができるし、見た目もいいから女子社員の憧れの的で同期の私はそんな彼を尊敬の眼差しで見ているんだけど無駄に妬まれたりもして疲れたことあったなぁ。

「押し付けられたんだろ。それ。」
「なんで!?」
「女子トイレの外までバカでかい声が聞こえてたからな。」

どうやら彼女たちの会話を聞いていたらしい。

「まぁ、いいんだけどね。彼女も必死なんだよ。こうなりたくないと。」
「こう?」
「私みたいに仕事仕事ってなるのが嫌なんだよ。まあ仕事もずば抜けてできるわけじゃないんだけど…。彼氏にも振られて長らくフリーだし。惨めに見えるんじゃないかな。」

あははと自嘲気味に笑うと土方君の眉間に皺がよる。それでも綺麗な顔立ちは崩れないんだななんて感心してしまった。

「俺はお前が一生懸命なのを知っている。あいつはお前みたいになりたくないんじゃねえ、なれないんだよ。どう頑張ってもな。」
「土方君…。」
「周りもお前が頑張ってるのは知ってるし…お前がフリーなのは今までの男がダメだっただけだろ。女が仕事頑張ってんのに応援の一つもできないような奴は別れて正解だ。」
「えーっと…そうなのかな?ありがとう。」

こんなに励まされるとは思っていなくてなんだか恥ずかしくなって俯いた。自分を認めてもらえるってこんなに嬉しいことなんだ。

「まーだから、その、なんだ。」
「ん?ありがとう。慰めてくれたんでしょう?元気出たしこの仕事終わらせちゃう!」

キーボードに手を伸ばして作業を開始しようとした瞬間、隣の席から手が伸びてきて私の手首を掴んだ。

「最後まで聞け。」
「え?何何?」
「だから…俺にしておけ。」
「何を?」
「…お前、この流れでその聞き返しするか普通。」
「…え?」
「俺と付き合ってくれって言ってんだよ。」
「…えええええええ?!」

オフィスに私の大きな声が響き渡った。ほとんど人がいなくて本当に良かった。(残っていた人たちは飛んできたけれど)
慌てて口をぱくぱくさせるしかできない私の頭にぽんと土方君が手を置きさっさと仕事を終わらせろと言って自分の席に戻っていった。仕事が終わったらご飯に行こうと言われた気がするけれどちょっと待って何も考えられない。

神様。私にもやっと、やっと幸せを与えてくれようと思ったのでしょうか?

私の新しい恋が動き出すまであと一時間…。

―幸せは必ず来る―

(終わったか?)
(ま…まだ!(仕事どころじゃないって!!))
(ったく、仕方ねえな。手伝う。)
(それは悪いよ…。)
(早くお前と二人になりてえんだよ。)
(ぎゃああああ!やめて、反則!!)
(くくっ…その反応、自惚れても良さそうだな。)




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