機械油の香りが外まで広がっていた。
時々中から聞こえる大きな音に家主がいることがわかる。
「源外さーん。こんにちは」
「おお、嬢ちゃんか」
入っていいぞと言われ中に入れば源外さんは何か機械を作っていて部屋の隅にはあの次元移動装置らしきものが未完成な状態で置かれていた。どうやらまだ解体する気はないようだ。そりゃそうだよね、この前も壊した瞬間に作り直せって言われてるぐらいだもん。
手ぬぐいで汗を拭いながら私を手招きする。三郎がお茶を持ってきてくれて三人で椅子に座った。
「すみません…私のせいでご迷惑おかけしました」
「いいってことよ。…嬢ちゃんは大事ねえか?」
「はい。特には」
「…ならいいけどよ。あんたこの機械のせいで無理やりこっちに引っ張られてるからなぁ。何か違和感あったらすぐに言えよ」
「違和感?」
ごくりとお茶を飲み干して源外さんはポリポリと頭を掻く。
「まあ大丈夫だとは思うんだが…。あんたはもともとこっちの人間じゃねえからな。この機械があろうがなかろうが突然消えちまうこともあるかもしれねえってことだ。何が起きるか誰にもわからねえ。もちろん、機械がなきゃこっちにずっといることになるかもしれねえが…」
「消える…?」
「こんなこと前例がねえからなぁ。ま、とにかく機械は捨てねえでとっておくから何かあったら言ってくれよ」
「はい」
その後とりとめのない会話をして私は源外さんの家をあとにした。今日はこのままスーパーに行く予定だ。なるべく節約して、でも神楽ちゃんのお腹を満たすメニュー。うーんおからとか豆腐とか厚揚げ…いや、たくさん噛んで満足するのは…。
「消える…」
夜の献立を考えようとするのにどうしてもその三文字が頭をよぎる。そんなこと、あるんだろうか。
突然?
元の世界に戻るとか?
ありえなくないか。だってここは漫画の世界だ。長い夢から覚めるみたいに…突然。
いや、そもそも元の世界に帰る保証もない。
ぎゅっと目を瞑れば音が消えた。賑やかな人込みにいたはずなのに確かにその時私だけになったんだ。力が抜けてしゃがみこむ。突然の暗い闇、闇、闇。
どうしよう。誰にも何も言えずに消えてしまったら。
ある日突然まるでもともとそこにはいなかったかのように。
「いや、違う。もともとここには…」
いなかったじゃない。
銀さんやみんながここにいていいと言ってくれても。
私がどんなにここに居たいと願っていても。
私がここにいられる保証なんてない。
ぽんと肩に触れられて私はすぐに我に返った。振り向けば心配そうに私を見ている沖田君がいた。
「真っ青でさァ。何かありやした?」
「沖田君…」
帰る理由はなくなった。
ここにいたい理由ができた。
帰さないと言ってくれた君は私が消えたらどう思うんだろうか。
「立ちくらみ…かな」
「旦那は何してるんでィ」
「万事屋にいると思うよ。私もスーパー行ったら帰らなきゃ…」
「送る」
すっと手首を掴んで歩き出す彼はどこか前と違う気がした。あ、そうか。手を繋がないで手首を持たれているから。もしかして、銀さんに何か言われたんだろうか?
「沖田君、私ここにいたいと思うよ」
「そりゃいいや」
「でね、ちゃんと伝えたよ」
「…そうですか」
「ありがとう。沖田君のおかげだよ」
そうだ。何もかも彼のおかげだ。
だから私は精一杯のありがとうを伝えなきゃいけない。
「…ひでぇや。告白した俺を振りもしねえでそんな嬉しそうな顔で自分の告白成功のお知らせですかィ?」
「ええ!?そそそそそんなつもりは…!!」
「ぶはっ!焦りすぎでィ」
沖田君は笑うとさっきまで掴んでいた手首をそっと離した。
「ま、旦那は素直じゃねえし貧乏社長だし俺はのんびり狙うとしますか」
「本気!?」
「はいそうですかって好きな気持ちを消せるとでも?」
「やめて…顔面偏差値高い人がそんなこと言わないで…」
「ときめきます?」
「はい」
「やったね」
「やめてください、ほんと」
「凛さん、というわけで帰っちゃダメですぜ?」
また笑って歩き出す沖田君に私の足は止まったまま。
帰りたくない。
戻りたくない。
ここにいたい。
なのにどうしてこんなに不安になるんだろう。
いつか消えてしまったら、銀さんはどんな気持ちになるの。
私はどんな気持ちになるの。
私はいつになったら異分子じゃなくなるんだろう。
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