君がいる世界 | ナノ



あ、という呟きの直後にガシャンと破砕音が聞こえてすぐに振り向いた。キッチンで洗い物をしていたであろう銀さんの足元に割れたコップが転がっている。

「悪い!手が滑った。」
「…。」
「凛?」
「凛さん?」

割れた破片を慎重に拾おうとする銀さんとソファに座っていた沖田君の両方に名前を呼ばれて我に返る。

「あ、銀さん。危ないから動かないでよ。掃除機持ってくる!」
「拾えるのは拾っておくわ。凛も踏まないようにスリッパはいてこい。」
「あーあ、旦那。それ、凛さんのコップじゃねえですか。」
「大丈夫だよ。コップはまた買えばいいんだから。」

そう言って私は二人を残して掃除機を取りに行った。

コップはまた買えばいい。自分で言ったとおりだしそう思ってはいる。普段から物に執着する方ではないしあれは事故だ。銀さんはわざとやったわけじゃない。

(形見、割れちゃったな。)


あれは亡くなった祖母が使っていたものだった。特別思い入れがあったわけではないし、祖母との思い出は他にもたくさんあるからコップが割れてしまったといって何か失うわけではないと思う。形あるもの、いつか壊れる。それは祖母も言っていたことだ。
でも思っていたのと実際経験するのでは少し違うのかもしれないと思った。コップが割れて一瞬ショックを受けていたのは事実だ。もう彼女が使っていたあのコップは使えない。

(顔にでていないといいな。二人とも気づいてないよね。)

掃除機を手に取りすぐに二人の所へ戻るとすぐに床を掃除した。破片がないことを確認して一息つく。お茶を淹れるから座ってろという銀さんの言葉に甘えて私は沖田君とソファに座ってテレビを見ていた。しばらくして銀さんがテーブルに湯呑を二つだけ置いた。不思議に思って見るとコートを着ている。

「銀さん?どこかいくの?」
「甘いもん買ってくる。」
「私プリンで。」
「俺も。」
「へいへい。」

そう言うと銀さんはスタスタと玄関へ行ってしまった。銀さんの甘いもの好きは知っていたけどこんなに唐突に買いに行くのは珍しかった。首をかしげていると沖田君がつんつんと私の肩をつついてきた。彼は指でテレビをさした。ちょうど私の好きなバラエティの再放送が始まったところだ。
しばらくそれを二人で見ていると突然沖田君が口を開いた。

「さっきの。」
「ん?」

ずずっとお茶をすすっている彼の視線は湯呑の中だ。私もお茶に手を伸ばして一口飲む。

「大事なものだったんですかィ?」
「え?」
「割れた時、一瞬表情がこわばってたんで。」
「私そんなに変な顔してた?」

ははっと思わず笑うと沖田君は少しだけ眉間に皺を寄せる。拗ねてるようにも見えるその顔に思わず母性本能がくすぐられた。ずるいよ沖田君。

「多分旦那も俺と同じこと思ってると思いやす。」
「二人とも機微に敏くて困っちゃいますね。」
「茶化さないでくだせェよ。俺達は居候、家主のことに鈍感じゃおしまいでしょう?」
「おばあちゃんの使ってたコップなの。形見になるのかな。」
「あー…。そりゃ旦那は死刑でいいでさァ。」

私の言葉に沖田君は額を手で押さえる。死刑とか物騒な。彼ならやりかねないけれども。

「ちょっとちょっと、そんな大げさな。おばあちゃんも私もあれぐらいで怒らないよ。いつか割れたり使えなくなる日はくるものだよ。」
「俺だったら姉上のもん割ったやつ殺す。」
「おぉ…本気の目をしていらっしゃる。」
「まぁ俺の話は置いといて。」

沖田君は湯呑をテーブルに置くとクッションを抱えるようにして座る。なんだその姿勢は。世のお姉さん達が揃って目をハートにするポーズだぞ。

「凛さんはもう少し執着することを覚えたほうが良さそうでさァ。」
「執着?」
「あまりしないでしょう?執着。」
「うーん。まぁそうかもね。」

お茶をすすって一息つく。執着しないって悪いことじゃないと思うんだけどなぁ。大人になるにつれて執着するということは体力も気力も使うように感じた。そしてそれは私にとってはしない方がいいという結論に至っている。

「凛さん…。」
「おーい、帰ったぞガキ共。」

沖田君の声を遮るように玄関から低く少し気の抜けたような声が聞こえた。ガサガサとビニール袋の音を立てて銀さんがリビングに入ってくる。三月中旬とはいえどうやら寒かったらしくその手にはホットココアの缶が握られていた。

「ほらよ。」
「銀さんこれ何?」

ぐいっと目の前に差し出されたのはコンビニの袋に入れられたプリン…ではなく、白い箱が入った紙袋。受け取ってそれを開けるとそこには薄ピンク色のコップが入っていた。

「割っちまったから…お詫び。」
「ええ!?わざわざ良かったのに…。」
「そうでさァ、旦那。家事するからって凛さんからもらってるお小遣いから買ったんじゃ恰好がつきやせん。むしろ最高にダサいでさァ。…ぷぷ。」

こらえきれなかったのか沖田君がぎゃははと笑い出した。まぁ、確かに銀さんに家事してもらってるから少しだけおこづかい渡してるんだけど。一度渡せば銀さんのものでどう使おうと勝手ではあるけどもともとは私のお金だもんね。

「うるせぇェェェ!わかってんだよ!!!でも仕方ねえっていうか…。じゃあ総一郎君金かしてくれよ、あっちで返すから。」
「旦那が返してくれる可能性がゼロなんで嫌でさァ。」
「さすがに警察相手にネコババしねえから!」
「銀さん!」
「ん?」

手の中にあるコップをぎゅっと握りしめる。ごめんね、おばあちゃん。おばあちゃんのコップ割れちゃったのに。でも。

「ありがとう!大事にするね!!」
「…おー。」

銀さんから貰えただけでこんなにも嬉しい。精一杯のありがとうが伝わったのか、銀さんも柔らかい表情で私の頭を撫でた。
旦那に割られないようにしなせェという沖田君の言葉に銀さんはもう割らねえよと彼の頭を軽く叩いて言う。そんな二人を見ながら手の中にあるコップを見つめ、優しく包み込むように持った。

これは私の一番の宝物。

prev / next

[ 戻る ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -