▽ 2
「廣瀬さんと斎藤君が付き合ってるって聞いた?」
「聞いたー!美男美女だよね!」
「あの二人だと誰も文句言えないよね。」
廊下を歩いていると聞こえてくる声。
朝からあちこちで聞こえる会話に本当に人は噂が好きなんだなと感じた。
昨日から私は斎藤君とお付き合いをすることになった。
というのは嘘だ。
正しくはお付き合いをする…フリをしているだけ。
こうして付き合っているフリをしていればお互い名前も知らない誰かから告白されることもなくなり、それぞれ卒業までに好きな事に集中できる…ただそれだけだ。
―――――――――――――――――――
『私と付き合ってくれませんか?』
『は?』
突然の私の告白に斎藤君は目を丸くしていた。
無理もない。
たいして話したこともないクラスメイトだ。
しかもさっきまでたいして知りもしない相手から告白されて困っているとお互い話したばかりだと言うのに。
『正しくは、付き合うふり。』
『付き合うふり?何の意味がある?』
怪訝な顔をして私に問い返す斎藤君の表情がいつも見ている冷静な彼と少しだけ違って新鮮な気持ちになった。
『だって、斎藤君も困ってるんでしょ?私も困ってる。だったらお互いメリットあるじゃない?付き合ってるふりをすれば、少なくとも告白してくる人は減ると思うんだけど…。』
自分でも驚く無茶な相談だ。
どうしてこんなことを言いだしたのか、自分で自分がわからないけど。
なんだかこうしなくちゃいけない気がした。
こんなチャンス滅多にないもの。
真面目、文武両道、先生からの人望も厚く、クールだけど優しいと女子生徒から憧れの存在。
そんな彼に偽物彼氏になってもらえれば私も穏やかな学園生活が送れそうだ。
斎藤君は少し考えるように視線を下にした。
そして顔をあげた彼は。
ニッと口角をあげて私を見た。
笑顔とは到底言い難い、不敵な笑みとでも言うのだろうか。
『…いいだろう。その話にのろう。』
『え?ほんとに?』
『ああ。お互いデメリットはない。』
『そ…そう。』
自分から言い出したことなのにこうもあっさり、いや、あっさりというかあんな悪そうな笑みで受け入れられると本当に良かったのかと思ってしまう。
クールだけど優しいって本当?
なんか…違う気がしてきたんですけど。
『よろしく。』
だけど差し出された手にもう後にはひけなくなった。
卒業するまで、ただただ恋人のふりをすればいいだけだ。
本当に好きな人ができたら別れればいい。
『よろしくね。』
そう言って彼の差し出した手を握り返し、私達の偽物の恋がスタートした。
―――――――――――――――――――
昨日から始まったというのに、翌日の放課後にはみんなに広まっているなんて。
人の口に戸は立てられぬってやつだなぁとしみじみ思う。
あ、別に隠してるわけじゃないし、広まっていただかないと困るんだけど。
私は廊下を真っすぐに歩き、周りの視線を適当に流しながら図書館へと向かった。
テスト期間に限らず、勉強したり読書をしたりと私はよく図書館を利用していた。
生徒がほとんどいない図書館に入ると私は適当に席をとり、本を数冊とって戻った。
本を読む前に課題を終わらせようとカバンから参考書を取り出した時だった。
「廣瀬。」
「え?あ、斎藤君。」
呼ばれて顔をあげると斎藤君が立っていた。
どうやら今日は委員会も部活もないらしい。
「どうしたの?」
「どうした…と言われても図書館に用があっただけだ。」
そう言って彼はカバンから本を取り出す。どうやら返却しにきたらしい。
口調はぶっきらぼうで淡白な人なんだなと感じる。
さっさと手続きをすませて出て行くのかと思ったら彼は私の隣の席に座った。
「勉強していくの?」
「課題があるからな。ここの方が落ち着く。それに…少しは一緒にいたほうがいいのではないか?全く一緒にいないとすぐに気付かれるぞ。」
「まぁ、確かに。」
相変わらず無表情で心が読みにくいけれど彼なりに考えてくれているようだった。
なんだけっこう良い人じゃん。
「あんたは数学は得意なのか?」
「うーん…普通。嫌いじゃないけど好きでもない。」
今日の課題は確か微分だった気がする。
とりあえず教科書を眺めながら解き始めた。
斎藤君も隣で同じ問題を解いているらしく静かな空間にペンの滑る音だけが響く。
(えーと、この関数の平均変化率は…)
どれも基礎問題らしく、教科書を見れば解けるものばかりだった。
「よし、終わりー。」
「今日の問題は簡単だったな。」
「まあ斎藤君からしたら楽勝だろうね。」
だって学年トップだもん、この人。
「…廣瀬。そこの解答、違うぞ。」
「え!?」
私のノートを見た斎藤君がペンでとんとんと指し示した。
「え、でも合ってるはずじゃ…。」
公式も間違ってない。
これ以外に解く方法がよくわからない。
「式は合っている。計算ミスだ、単純な。」
「え…。」
よくよく見ると本当に簡単な掛け算を間違っていた。
…恥ずかしい。
「落ち着いている性格だと思ったが、意外とぬけているんだな。」
そう言って笑う斎藤君。
昨日も思ったんですけど…もしかしなくてもけっこう意地悪なタイプなんじゃないの?
「…た…たまにはあるの!計算は少し苦手で。」
「自覚しているなら見直した方が良い。損をするのはあんただ。」
間違ってない。
斎藤君の言うことは正しいんだけど…
そーんなストレートに言うかな。
「っ!…斎藤君ってさ。」
「何だ。」
「性格悪いって言われない?」
口を尖らせて呟いた私の言葉に斎藤君が一瞬止まった。
怒らせたと思って一瞬焦ったけど、次の彼の表情は…
「ああ。総司や平助にはよく言われるな。」
さっきまでの意地悪な笑みじゃなくて、ふんわりした微笑みだった。
「付き合いが長いとわかるらしいが…あんたにはもうばれたのか。」
「隠す気ないでしょ。まあ斎藤君正しいんだけどね。」
なんだかおもしろくなってきて図書館だというのにクスクス笑ってしまった。
せっかくこうして一緒になったし、今日は本を読まずに一緒に帰ることにした。
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