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土砂降りだった。
窓に打ち付けられる雨の音をBGMにして、課題のプリントを仕上げる。終わった頃には18時を回っていた。
帰らなきゃ。鞄を持って立ち上がり、教室の電気を消したところで大事なことを思い出した。図書室から借りた辞書を、返し忘れていたのである。明日にしようと思ったが、以前返し忘れた時に、感じの悪い図書委員長に小言を言われたこともついでに思い出した。
昇降口と反対側にあるから、なんとなく面倒くさい。仕方ないのだけど。明日、自分を褒める姿を想像しながら図書室へと向かった。
消灯寸前だからか、廊下は暗く、うすら怖かった。返却ボックスに本を入れるだけ、本を入れるだけと心の中で何度も呟き、辞書を握る手に力がこもる。
無事本を返却した直後、何となくの違和感の正体にやっと気づいた。薄暗い廊下のなかで、図書室にだけ電気が付いているのだ。気づいてしまえばなんだか不気味で、ただ、人が残っているのならカウンターに返却する事が決まりだった。ドアに手をかけて、そして、ぴたりとその手を止めた。
咄嗟に屈み込んで耳をそばだてる。
「………さ…の、…………、…」
雨の音で良く聞こえない。音を立てないよう、数センチだけドアを開ける。この前の事で懲りればよかったのに、人間誰だって持ち合わせた野次馬精神を、完全に捨て去る事なんてできなかった。まあ、結局後悔するのだけど。
「せやから、最初から好きでもなんでもあらへんわ」
その声は確かに、財前君の声だった。途端に数日前の出来事を思い出す。だからここで引き返せばいいのに、人の心理とはかくも不思議なものだった。先程開けた隙間から中を覗けば、会話の先にはやっぱり、数日前の彼女がいた。
あの時たまたま、なんてものじゃなくて、放課後にこうやって図書室で会っていたのかもしれない。思春期真っ盛り、彼女と二人きりになれる密室なんて限られているもので、その考えは分からなくもない。と、見当違いなことを考えなければ、冷静でいられなかったのだけど。
「そんなの知ってる。別に身体だけでも良えって最初に言うたやん!」
「言うてへんし。勘違い甚だしいわ」
先日のような雰囲気、というよりは、修羅場に近かった。別れ話のもつれじゃないかと、都合のいいように考えてしまう頭を心の中で殴る。
「知っとるで。隣のクラスの七桜って子、好きなんやろ」
到底、野次馬ではいられなくなってしまった。赤の他人の、ゴシップのような話を聞いていたはずなのに、気づけば私は当事者側に回ってしまって。そうは言っても勝手に巻き込まないでという思いしかなかったのだけど。
「せやな。せやから別れろって言いよるんやけど」
「あんな女のどこが良えの?」
「アンタみたいな性格ブスには一生分からんわ」
私だったら、そんなこと言われたら怒る。わざとそんな言い方をしてしまうのか、彼の毒舌からくるものなのかは分からなかったけど。
私のいないところで、私のことを好きだと、きっぱりと言い放ったのである。それは私にとってはかなり衝撃的なことに近くて、雨の音なんて一切耳に入ってこなかった。こんなにひどい話を聞いているというのに、私は、何を考えているんだろう。
歯止めをかけたのは、私の最後の良心だった。これ以上聞く必要はない。確かにそうだね。心の中で会話を済ませて、立ち上がる。
ガン、と大きい音がしたのと、私の背中がすぐ後ろの棚に当たったんだと気づくのは同じくらいで。ああやってしまった。走って逃げてしまうか、どうしようかと考えている間に、図書室のドアは勢いよく開かれた。
腰を摩りながら視線を上げれば、あの日と同じような目をした、財前君がいた。