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全国合唱コンクール。2日前。
放課後、廊下を歩きながら楽譜を目で追う。何度も何度も頭に叩き込んだ。忘れることはないが、沢山書き込みをした楽譜を見ることで心を落ち着けていた。
大丈夫。何度も練習した。ソプラノに続くソロパートの12文字を何度も見返した。
「七桜」
私の思考を遮ったのは、先生の声だった。
「はい?」
「悪いんやけど、これ運んでくれへんか?」
先生はダンボールを抱えていた。
「大丈夫ですよ。どこまでですか?」
「図書室の横に物置になっとる部屋があるやろ。あそこや。鍵開いとるさかい、テキトーに入れとってや」
「わかりました」
ダンボールに入った荷物は意外と重かった。でも女子の腕力で持てない程ではない。
慎重に階段を降りる。図書室の前に差し掛かったところで、
「………………、っ…………」
壁を1枚隔てて、声が聞こえた。
その割にはやけに鮮明で、1枚だけ開いた窓が目に付いた。
確か今日は、図書室はお休みだったと思うけど。誰かいるのかと耳を欹てると、それは
(うわ………………)
聞き違うことなく女性の嬌声だった。
正直苦手だ。気持ち悪い、やめろと言いたい気持ちもあるが、私は他人の人生に不干渉でありたい。だから、バレないように、こっそり窓を閉めようと思ったのである。通ったのが私で良かったねと、一生感謝されることはないであろう事を考えながら、窓に手をかけた。
なんとなく、後悔してしまった。
お節介を焼かずに、さっさと立ち去れば良かったのだ。
隠れきれなかった私と、運悪く目のあった彼は、それを見開いたまま動かなかった。目を合わせた時間は、何も見なかったと誤魔化せる秒数をとうに過ぎていた。
心臓がうるさい。なんだというのだ。もう高校生だ。こんなことのひとつやふたつ、あとはトイレにタバコが落ちてたりとか、そういうお年頃じゃないか。
あと5分は離れないのではと思っていた視線を、頭ごと、女の手が下へと引っ張った。そこまでしか見ていない。足音がしないよう、荷物を置いて。そしてまたあの窓の前を、生々しいリップ音で鼓膜を揺らしなら通るだけで精一杯だった。
廊下でも、電車でも、家でも、ずっと楽譜を見ていた。
それはどうやら昨日までの、いや、学校で先生に荷物運びを頼まれるまでの日常で。早く忘れようとコンクールのことを考えているのに、楽譜を見るたびにあのうるさい音が耳から離れなかった。
明日が過ぎればもう本番なのに、こんなことで大丈夫なのかな。
「はぁ………………」
明日、練習に行くまでにはどうにかなれ、と逃げるように眠りについた。