18.5 結論、只の無力
藤崎が入院したらしい。それを教えてくれたのは、朝のホームルームに来た担任ではなく、放課後、部活の時間に会った忍足さんだった。
「入院?」
「まあ、怪我したとかなんとか」
俺もよう分からん、と付け加えられたが、どうにもはぐらかされた気がした。関西人の知らんけどは知っているという意味だと、古い友人に聞いたことがある。けれど、忍足さんが見え透いた嘘を吐くなんて、理由は言えないけど察しろという意味だと解釈した。
「病院は?」
「どこやろなあ」
やっぱり何も、教えてなんてくれなかった。
1日がとても、長く感じられた。それが毎日続くとなると、気が滅入るのも仕方がない。これで部活に集中しろなんて無理な話で、部長に怒られる数もしばしばだ。いや、それは少し違う。気が立っているのはどちらだったか分からない。
そんな跡部さんの隣には変わらず、笑みを絶やさない神田がいた。
元々の原因は彼女だと、誰も言わないが、俺は確信を持っていた。それならどうして、あんな茶番に跡部さんが付き合っているのか、尚更分からないのである。その分からない、の部分を、きっと忍足さんは知っているのだろうと思うと、自分だけが蚊帳の外だった。多分それが、苛立ちの原因だと理解していた。
教室から藤崎がいなくなって、一週間が経つ。最初こそ、悪い言葉で充満していた教室だったが、本人がいない分、やりがいがないのだろう。ついに飽き始めたようで、本人が戻ってくるまでにそれが消えていればどれだけ良いかと、絵空事を考えていた。だから今日、朝練が終わって、教室に入って、まず目を疑った。
本人のいない机には、ぽつんと、花瓶が置いてあった。そこからのぞく赤い彼岸花は、季節ではないから、造花である。それを指しながら、「死んだみたいだよね」と言った女子生徒の言葉は、一生忘れられないと思った。
本当はあまり目立つことはしたくなかった。面と向かって、おかしいと、そう言い放つ勇気は持ち合わせていなかった。だって、必要なかったから。彼ら彼女らが思い思いに藤崎に何をしようと、俺が藤崎の隣にいれば、全て解決するのだから。だからこれは、自分でも少し驚いた。藤崎の席を取り囲んで燥ぐ女子の肩を掴み、割って入る。花瓶を手に持って、ゴミ箱へと投げ捨てた。箱の底で、陶器の割れる音がする。それ以外の音はなかった。誰も何も、話していなかったからである。自分の席についてから、机を蹴った。
だから、これは呆れに近かったのである。次の日早めに登校すれば、男子が1人、彼女の机に花瓶を置いている真っ最中だった。舌打ちをすればやめるのだから、意志が弱いにも程がある。自分の席で、思考に耽る。これが、彼らの思い思いの1つだとするならば、これだけはどうしても、許す気にはなれなかった。
何回か繰り返して、先に回るように早く教室へと入って、僅か5回の失敗でそれはやめられた。クラスからは少し、浮いてしまったかもしれない。元々、顔の広い方ではないし不自由はしない。それに、藤崎が受けていた仕打ちが俺に向かってくることもなかった。まあ、でも、友達が居ようが親友がいようが、関係のない話だ。間違っていることを、許せないことをそう主張することに、悪いなんて思わなかった。
「まだですかね」
部活が終わり、皆が帰る中、忍足さんはずっと、携帯を睨みつけていた。返信に困っているようだ。画面の奥の相手は1人か2人しか浮かばなかったけれど、多分あちらだと妙な確信を持って、そして勝手に妬いてしまうのである。
藤崎が入院してから、俺は1回も連絡を取っていない。それは、きちんと本人の口から事情をきいた訳ではないというのが、理由の1番だった。だから、彼女の現状を知るツールは、この人に限られていた。タイミングを図ってから、そう尋ねた。
「あと3日やって。ちょうど今連絡きたわ」
「そうですか」
やっぱり、相手は藤崎らしい。予想が当たったことを喜べば良いのか、悲しめば良いのかも分からなかった。
「京子ちゃんは、クラスでどんな感じ?」
「……さあ」
これは仕返しのつもりで、そう呟いた。何も教えてはくれない癖に、一丁前にききたがる。ずるいと思った。
教室の中の出来事は、俺で解決できる。その意思表示だった。忍足さんはそれを汲んでか、それ以上、特に追及してくることは無かった。
ただの見栄だと知っていた。俺には知らない事が多すぎて、せめて俺の周りの出来事は、同じように知られたくないと思っていた。エゴだとか我儘だとか、言いたいなら言ってくれて構わなかった。
そう思っていたのに、そう思った自分を後悔するのは、そう遠くない出来事だった。
「おい、日吉」
朝練は少し早めに切り上げられた。着替えも済み、教室へ戻ろうとした所で、跡部部長に呼び止められる。溜め息を殺した。なんたって今日は、藤崎の登校日だから。早く会いたかった。だからこの溜め息は、ただの八つ当たりだったのだけど。
「何ですか、跡部さん」
「今日は調子良いな、いい事でもあったか?」
そう告げる跡部部長は、笑っている気がした。まさかこんなことで、呼び止めたとでも言うのだろうか。
「アンタも、笑ってますよ」
きっと、同じことを考えていた。
呼び止められたせいで、予鈴との戦いだった。この調子なら、ギリギリ間に合うだろう。走るのははしたない。急ぎめに足を動かして、教室まで歩いた。
扉を開けてまず、藤崎の姿を探した。きちんと、俺の隣の席、つまり彼女自身の席で見つけられて、ほっとした。そして、ぞっとした。
「………………」
言葉という言葉が出なくて、唯一出来たことと言えば、頭の中で、自分を殴ることくらいだ。藤崎は静かに、ただ静かに、机の上を眺めていた。そこにはいつか見た一輪の彼岸花があって、それを理解して絶句した。
どうして、こんな時に限って、こうなのだろう。それは油断していた自分への怒りであり、そういえば、跡部さんがあんな用件で俺を引き止めなかったら、もしかしたら彼女が気づく前にと、無意味な八つ当たりであった。
藤崎はそれを暫く眺め、右手でそっと握る。次に聞こえたのは、陶器の割れる音だった。黒板にぶつかった花瓶は粉々に、床に散らばる。丁度教室へ入ってきた先生が目を見開き、その視線は藤崎へと向かう。それを目で追って、俺も藤崎と目線を合わせた。
その顔が怒るでもなく、泣くでもなく、只々無表情だったことが、とても怖く感じた。
to be continue...
--->return Main[19]