18.5 全てを惹くもの
「本当に、足滑らせただけなの、大丈夫、ごめんなさいね」
病院のベッドの上でそう笑う彼女の心が、全然笑っていないことを知っていた。
それはその日の部活中の出来事で、遅れてやってきたジローが、「京子ちゃんがカッター持ってる男子に告白されてたC」と呑気に言うもので、こちらからすれば冷や汗で済む話ではなかった。
ジローにはどう見えたと言うのだ。問いただすことよりも、1秒でも早く彼女の元へ行くべきだと判断した。そして教室へ向かう途中で、砂の上に放り出され、気を失った彼女を見つけた。
曰く、2階の、教室の窓から落ちたらしい。いや、飛び降りたらしい。自ら。それを本人も否定はしなかったが、少しだけ意味合いが違うと感じた。京子ちゃんは、事故だと言い張っているけれど、絶対にそうでないという確信があった。
あれ以来、というのは、俺の代わりに怪我をして以来、彼女は例え小さなものでも刃物を嫌った。視界に入るだけで体を震わせて、ごめんなさいねと謝るのだ。そんな人が刃を向けられて、逃げようとしたなら、行き先は決まっている。多少のパニックもあったかもしれないが、彼女は自らの意志で落ちたのだ。しかし、落ちたかったわけじゃない。逃げたかっただけだ。
「ほんま気いつけや。ヒヤヒヤしたわ」
「だから、ごめんなさい」
京子ちゃんが、足を滑らせたと言うのなら、そういうことにするしかないのだけど。
訪れるのは2度目(全てを数えていたら覚えていない)である病院は、彼女のことを知ってしまえばお世辞にも良い所ではないだろうと思った。素直にそう言えば、どうやら少し遠い親戚と縁のある病院らしい。一応1人部屋も完備しているし、困らないからと言った。
そして、据え置きのテレビの近くにあったゲーム機が、長期の入院であることを告げていた。
「入院、どのくらいなん?」
「早くて1ヶ月だって。長すぎよ」
確かにそうだろう。既に元気です、と顔に書いてある彼女は悠々と、コンセントを繋ぎ始めた。対戦ゲームにしてもらったの。一緒にどう? それはなんだか懐かしい言葉で、すぐに頷いた。
『侑士、今東京駅なんやけど、迎え来て』
それは本当に、突然の電話だった。相手なんて見なくても分かる。深くため息を吐いて、
「アポなしで来んなや」
それだけ言って電話を切ろうとすれば、慌てたような声が聞こえた。
『冷たいやっちゃな! 今からお前ん家行くから待っとってや。あと暖房ごっつ上げといて。東京寒すぎ。ありえへん』
「せやから無理やって。無茶振りすんなや」
こっちはもう家を出て、駅に向かっている途中だというのに。
今日は練習のない土曜日だった。朝から行くところなんて決まっていて、少し早めに家を出ればこれだ。大体いつも、遊びに来る時は連絡しろと言っているのに、いつも忘れられるのだ。
「今日用事あんねん。せやから帰って」
『はあ? いくらかけて来た思うとんねん。タダじゃ帰らんわ』
「せやなあ……、じゃあ、付き合うてもらおかな」
自分でも何を言ってしまったか。でも、たったひとり、病室で暇そうにゲーム機と格闘している姿を想像すれば、1人より2人が良いだろうと思った。
***
「忍足謙也です」
なんかすごい。とにかくすごい。通称有名人匿い部屋にいたのは、自分とあまり歳の変わらない女の子で、目が回りそうだった。
凛とした表情で、大人びた印象のあるその子は、ざくざくとテレビの中でCPUをなぎ倒していた。こちらに気づいてから、初めましてと挨拶をする。
「忍足さん、弟いたの?」
「従兄弟や。まあ、誕生日はこいつの方が遅いから弟やな」
「あはは、なに、冗談よ。全国ベスト4、大阪四天宝寺の2年生」
流石にずるい。俺は彼女のことを何も知らないのに、彼女は俺のことをぺらぺらと話し始めた。主にテニスに関してだけれども。こうも知られていると、急に気恥ずかしくなってしまった。
京子ちゃん、と紹介された彼女は、とにかく人を惹きつける魅力を持っていた。大人びていると思ったけれど、偶に年相応の顔で、笑うのだ。気さくに話している侑士に感じたものが嫉妬であると分かって、頭を掻く。
「ねえ、忍足さん」
会話を切って呼ばれたそれに、きっと2人で返事をしたと思う。彼女は目を丸くして、ぱちぱちと瞬きをした。
「……2人いたら分からないわね」
「そろそろ名前で呼んでくれてもええんちゃう?」
それはとても自然な提案だった。多分、侑士は、名前で読んで欲しかったのだと思う。もしかしたらダシに使われてしまったかもしれない。あまりの話の良さに、そう思ってしまった。
侑士、謙也さん、と交互に呼ばれ、呼び捨てかいなと侑士がツッコむ。それで京子ちゃんは笑った。その笑顔を見るだけで、絆されてしまうのだ。それは無条件についていきたくなるカリスマとも呼べる気がした。
夕方になれば、帰らなければいけないのは俺だった。彼女との会話は、本当に尽きることがなかった。今、帰りたくないと思っている程度には。別れの挨拶をすれば、
「またね、謙也さん」
と言うものだから、また来なくてはいけなくなったのだけど、むしろ大歓迎だ。
「侑士、来週も遊びに来て良えかな」
「……電車賃は出さんで」
「アホ! そのくらい出すわ」
別に出してもらおうとは思ってない。本当に、全く、本当の話だ。本当だ。毎週来るものなら、いくら財布から消えるだろうかと勘定しながら、電車の揺れを感じていた。
to be continue...
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