13.5 それは赤い糸だった 後編
あれから、時間を見つけては毎日のように彼女へ会いに行った。
跡部が、普段使わないような、電車で来た理由がよく分かった。揃って病院を出た後、1人で帰れるだろと言われ、電車を覚えていないと返したら呆れられた。お前が、いつでも来れるように、教えてやったんだ、覚えて帰れ、と同じ電車に乗ってもらい、病院名と病室と、彼女の名前もしっかりと覚えさせられた。
先に教えて欲しかった事なのだが、とにかく彼女は凄い人で、俺なんかよりずっと偉いと、そう語った。言葉には気をつけろと念を押された。もうめちゃくちゃタメ口で話してしまったんやけど、なんて言える状況ではなくて、それは黙っておいた。
「忍足さん、こんにちは」
病室へ入れば、そうやって迎え入れてくれることもあれば、テレビゲームに熱中して気づかない事もあった。
彼女との雑談は話が尽きなかった。テニスの事や、学校であった跡部の間抜けな話なんかは特に好きらしい。対戦ゲームを持ってきて貰ったんです、一緒にどうですか、なんて誘われて、することもあった。
「ゲーム、お好きですね」
「ええ、好きです。楽しいもの。ところで忍足さん、」
そこで不自然に言葉を切るものだから、気になってしまう。顔を向けようとしたが、ゲームの画面から目を離してしまうと怒られるので、何ですか、と口で尋ねた。
「どうしてこの前から敬語なんです?」
「ああ…………その、跡部に言われたんです、言葉気いつけなさいって」
「あの人の言う事、間に受けなくていいですよ」
ふふ、と、笑いながら、CPUをなぎ倒していくのである。なんて恐ろしいお姫様だ。
「やめません? あなたの方が年上なのだから、」
「そうは言うても」
「お願い、って言ったら、あなたはきいてくれますよね?」
なんだかその言い回しに、違和感があった。それは彼女からのお願いではあったのだが、ただのお願いにしては少し言葉が多いような気がして。
「ねえ忍足さん、私あなたを庇ったこと後悔してないの。でもあなたはしてるでしょ? 私に何かをして、均衡を保とうって考えてる。暇になったらここに来るのはその所為ね」
彼女は何もかも見透かしていた。それが怖くて、何も言えなくなってしまう。そんな俺に構わず、彼女は続けた。
「だから私がお願いって言ったら、聞いてくれるでしょ? 敬語はやめて、私の方が年下なんだから」
ここまで言われれば、頷くしかなかった。
生まれた時から価値のある人間は、友達が欲しかったのだと思う。霜鷺さんじゃなくて、名前で呼びなさいとお願いされた。新しいゲームが欲しいとお願いされた。忍足さんの昔の話がききたいとお願いされた。そして俺は、それら全てのお願いを叶えなければいけないのだ。
それでもまだ、足りないような気がした。
数週間して、彼女は退院を迎えた。その日は部活が朝からあったのだが、跡部に来なくていい、と暇を出された。内心だけで感謝をしつつ、病院へと直行した。
「……景吾さんのせいね」
朝練がある話を知っていたのだと思う、病室に現れた俺を見ての第一声はそれだった。その通りだったので、苦笑するしかない。
荷物はまとめ終わっていて、親が退院手続きをしているから待っているとのことだった。閑散とした病室で、初めて会った日のように、部屋の隅から折りたたみ椅子を出された。
「じゃあ最後のお願いね。忍足さんのこと、聞かせてくれるかしら」
「俺の話なんてもう残ってへんよ?」
「まだある。私に言いたくない事よ」
言いたくない事を言え、というのが、お姫様の最後の我儘だった。我儘なら言うしかない。ただ不思議と、嫌な気持ちはしなかった。
「……………………結果論やと思うねん」
思ったことを、伝えるのが妙に難しくて。何を言っているのか分からなかったと思う。いや、もしかしたら、何を言おうとしているのか、分かっていたのかもしれない。彼女は真っ直ぐに俺の顔を見つめていた。
「俺が刺されとったら今頃死んどるかもしれんし、刺される所が悪かったら、京子ちゃんか死んでたかもしれへん。誰も死なんと、傷も残らず退院、ああめでたいね、なんて只の結果論や」
それはずっと、ずっと考えていたことで、彼女にだけは内緒にしておこうと思った話だった。
「トントンにしたいって話したやろ? 正解や。俺、ずっと考えとってん。何したらお返しになるやろって。結局思いつかんくて、京子ちゃんのお願いずーっときいてきたんやけど、まだ足りひんのや。俺の命とトントンにするの、どんくらいかかると思う? 一生かけへんと無理やろなあ」
年下の、女の子がいなかったら、こうやって言葉を発せたかも分からない。歩けたかも分からない。テニスをしていたかも分からない。だからこそ、人生の汚点で、失敗だったのだ。しかしそれは、これからの自分の人生を組み替えるという意味ではない。ただ、男として、恥ずかしくて、情けなかったのだ。
「せやから一生、京子ちゃんのお願い聞いたるわ。あれ欲しいって言うたら買うてやるし、助けてって言うたら助けたる。まあ、ダメなもんはダメやけど……あんま深刻に考えんと、魔法のカードくらいに思っとってや」
上手く笑えたか分からない。これは笑い話なのだけど、彼女は少しだけ泣きそうな顔をしていた。けどそれはすぐに、笑顔に変わるのである。何かがとてもおかしかったようで、控えめだった笑い声はついに抑えきれなくなったのか、腹を抱えていた。
「な、何がおかしいねん!」
「あなた結構、ロマンチストよね。いえ知ってたわ」
ひとしきり笑って落ち着きを取り戻す。しかし思い出したかのようにまた笑うのである。いい加減にして欲しい。キザだったかもしれないと自覚はあるが、それを言うことに抵抗を感じたことは無かった。しかしここまで笑われると、流石に恥ずかしくなる。
「私が、助けて〜なんて、言うと思ってる?」
「思うてへんよ。強い子やから」
「そうね。ありがとう。だからそのカードを使う気はないわ」
この答えすら分かりきってしまうほど、俺と彼女は互いのことを知っていたと思う。だから残念とか、そういう気持ちにはならなかった。
「でもそうね、使わないのは可哀想。だから最初のお願いだけど……」
「おん、なんでも言うてや」
互いに、顔は綻んでいたと思う。唇を結び直して、
「死ぬまで私の友達でいて」
もしかしたら俺は死んでいたかもしれないし、もしかしたら彼女は死んでいたかもしれない。
彼女の腕に引かれた1本の赤い線が、俺たちを繋いだ。それは只の結果論だ。だけど、それが、結果だった。
言葉ではなく、堅い握手で返事をした。
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